AQUA LinQsへようこそ

揣 仁希(低浮上)

深夜の熱帯魚


 9月も半ばに差し掛かった少し風が冷たく感じる日のこと。

 私はいつもとは違う道を歩いていた。


「ついてないなぁ〜工事中だなんて」

 駅を出ていつもの帰り道を歩いていたら、水道管が破裂したとかで道が通行止めになってて回り道の真っ最中。

「テストは散々だし通行止めだし……あ、雨?」

 普段通らない通りを歩いていると、ポツリポツリと顔に水滴が落ちてくる。


「はぁ……ダメなときってこんなもんだよね……」

 真っ暗な空から降る雨が、ポツリポツリから土砂降りになるのはあっという間だった。

 私は薄手のパーカーを払いながら近くの軒下に避難した。

「傘……持ってきてないよぉ」

 見える範囲にはコンビニは見当たらないし、さて困ったぞ。


 走って帰るか、しばらくここで待つか、どうしようかと考えていると……


 ジジッジジッ


 と何かの音がして辺りが明るくなった。

「え?何?」

 振り向いた先には先程まで真っ暗だったショーウィンドウに淡い青色の明かりが灯り、色とりどりの魚が泳いでいた。


「うわぁ……キレイ……」

 空は真っ暗で辺りは土砂降り、でもここだけがまるで別世界のように光輝いていた。

「魚屋さんかな?」

 全体的に青色の光に包まれたショーウィンドウの脇には教会のステンドグラスの様に縁取られたお洒落な扉がある。


『AQUA LinQs』


「あくあ……りんくす?」


 これが私とペットショップ──正確には熱帯魚屋さんだけど、『AQUA LinQs』との出会いだった。




 ♪♪♪




 私、日吉 世那がこの『AQUA LinQs』でアルバイトをし出してから半年が過ぎた。


 半年前の雨の日に雨宿りがてら店内に入ってみて、私はすっかりこの店の虜になってしまった。


 店内は淡い青色の照明で統一されていて、壁一面の水槽には色とりどりの熱帯魚が泳いでいた。

 店の中央には天井を貫いて二階よりも上に伸びる円柱形の水槽があり、その周囲をグルリと小型の水槽が囲んでいる。

 店の一番奥には喫茶店のようなカウンターがあり、ヒラヒラしたヒレがキレイな魚──後で教えて貰ったんだけどベタという熱帯魚だそうだ──が入ったきれな金魚鉢が並んでいた。

 まるで御伽の国か海の中にいるような、そんな空間。


 当然、開店したばかりだからお客さんはおらず、奥のカウンターで40歳くらいの男性がコーヒーを飲んでいた。


「おや?初めてのお客さんですね?AQUA LinQsへようこそ」

「あっ、あの!すごく素敵なお店ですね!」

「ふふっ、そうかい?ありがとう。ゆっくり見ていくといいよ」

 男性は穏やかな、ちょっと見惚れてしまうような笑みを私に向ける。

灰色が混じった長髪を後ろで一纏めにして眼鏡を掛た優しげな雰囲気の人。

「あの……店長さんですか?」

「ええ、ああ、そうですね。初めてのお客様でしたね」

そう言って彼は名刺を渡してくれた。


『土方 千影』


「ひじかた……ちかげさん?」

「ええ、この店のオーナー兼店長をしております」

優しそうな笑みを浮かべた店長さんは、私に椅子を進めて紅茶を淹れてくれる。


冷た雨の後だったこともあり温かい紅茶は驚くほどに美味しかった。

時刻は午後10時、裏通りは今までに何度も通っていたはずなのにどうしてこの素敵なお店に気がつかなかったんだろう?

温かい紅茶を飲みながら、淡い青色の空間を見渡す。


「それにしてもお嬢さんはよくこの店がわかったね」

「え?」

この時の私には店長さんの言ったことの意味がまだわかっていなかった。




♪♪♪




 のしっのしっと丸っこいカメが歩いていく。

 時折、こちらを振り返ってはまた店内を一周。


「ロビンってどうして曲がり角で振り返るんでしょうね?」

「ロビンはね、臆病なんだよ」

「臆病?」

「うん。振り返るのはちゃんと僕等がいるか確認してるのさ」

「へ〜」

「ほらね、僕の姿が見えないとああやって戻ってくるんだよ」

 店長の土方 千影さんがカウンターの下から半分だけ顔を出して指差している方には、カメだからよくわからないけど何となく不安そうなロビンがちょっと急ぎ足でこちらに向かってくるところだった。


「寂しがり屋さんなんですね、ロビンは」

「うん。ずっと一緒にいるからね」

 店長の足元まで戻ってきて首を上げて、ジッと見つめるロビンの愛らしいこと。

 ロビンの頭を撫でて餌の草木をあげる。


 もしゃもしゃと食べる姿も、また可愛い。


「陸ガメってこんなに大きくなるんですね?もっと……こう小さいのかと思ってました」

 私が店長にそう尋ねると、ロビンが何?って感じで頭を上げる。

「ふふふ、何でもないですよぉ〜」

 あっ、そう?って再度もしゃもしゃと食事に戻るロビン。

「ロビンはアルダブラゾウガメって言ってね、陸ガメの中でもかなり大型なんだよ。長生きだし案外人懐こいしね」

 店長がロビンの名前を呼ぶたびに、呼んだ?と頭をあげるのは見ていて微笑ましい。


「僕の家に来たときは30センチくらいだったんだけどすっかり大きくなっちゃったね」

 今のロビンの体調は70センチくらい、店内の通路幅ギリギリ。


 食事を貰って満足したのか、また店内の巡回に戻っていくロビン。


「陸ガメって飼育は難しいんですか?」

「飼育自体は難しくはないんだけどね、ゲージとか紫外線ランプとかが高くつくからね」

「寒いとダメなんでしたっけ?」

「うん、大体25度から35度くらいを保ってあげればいいよ。冬場はもうちょっと低めでもいいかな、冬眠するカメもいるからね」

「ロビンは冬眠……しないですよね」

 店内は常時水槽の温度を一定に保ってあるのでどちらかといえば暖かい。


「陸ガメが飼いたいなら千鶴くんに聞いたらいいよ。彼女カメ好きだから」

「沢山飼ってるんでしたっけ?千鶴さん」

 千鶴さんというのは、アルバイトの先輩でこの店がオープンしたときから働いているらしい。


 ハタチ過ぎのキレイなお姉さんなんだけど、ちょっと色々残念な人だ。

 何が残念かと言うと……それはまた今度、千鶴さんがいる時にでも。


「こないだもまたヘルマンリクガメを連れて帰ったからカメだらけなんじゃないかな?」

「どんな部屋ですか……カメだらけって」


 確かにカメを見る千鶴さんはちょっと怖い。

 ギラギラしてるって言うか、カメがビビってゲージの隅に避難するくらいだし。


「おや、もうこんな時間か……そろそろ店を開けようかな」

「あっ、ホントですね。もう10時なんですね」


 この店、何故かオープンするのが晩の10時なのだ。

 で、深夜の2時頃か下手すると朝まで開いていることもある。

 私は12時か1時くらいには帰るんだけど結構寝不足になってる。

 金曜から月曜まで営業して火曜から木曜はおやすみの変わったお店だ。


 深夜でもそれなりにお客さんが来るのが不思議で仕方ない。

 まあ、そのお客さんも不思議な人が多いのだけど。


「さて、今日はどんな楽しいことがあるのかなぁ」


 照明のスイッチを入れると店内の照明も淡い青色に変わる。

 まるで海の中にいるみたい。


 カランカラン。

 あっ、お客さんが来たみたい。


「いらっしゃいませ、AQUA LinQsへようこそ」









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る