5章14節

 雪が舞っていた。灰色の空から降る雪を、カティスは一人見上げる。

 レーゲンスベルグに戻ってきてから一月がすぎ、レーゲンスベルグも慎ましやかな新年を迎えた。

 この一月、カイルワーンは傍目にはまともそうに見えた。医者の仕事をし、『粉粧楼』でセプタードと一緒に献立作りをし、それなりに働いてそれなりに休み、生活は落ち着いているように見える。

 ただフロリックのところに顔を出す機会は増えているようだった。彼のつてや人脈を利用して、何とか王城のアイラシェールにつなぎを取ろうと画策しているようだが、今のところを成果が上がっていないようだ。

 一見穏やかでまともな日々だ。それがカイルワーンの嘘と無理に支えられているかもしれないと思いつつも、カティスには差し当たってできることが思いつかなかった。

 そして――と思って、カティスはため息をつく。

 雪が降る屋外で、延々一人立ち尽くしているのは、迷っているからだ。

 もう決めたことだ。覆せはしない。

 けれどもカイルワーンにこのことを告げるのは、正直気が重かった。

 行かずにすむのならば、それに越したことはない。あの状態のカイルワーンを独り残していくことは、思い上がりかもしれないが気が引ける。

 だが、自分には自分の生活がある。これはどうしようもない大前提だ。

 だから、意を決して扉を叩き、自分を迎え入れてくれたカイルワーンに告げた。

「ノアゼットで、大規模な傭兵の徴募をしているらしい。首都だけではなく、あちこちの村や街で徴募の鐘を鳴らしているという話だ」

 カティスの言葉に、カイルワーンの顔が曇った。

「ここのところ稼ぎに行ってなかったから、正直懐が寂しい。だから、行くことにした」

「ノアゼットの傭兵になって、アルバと――自分の国と、戦うつもりか」

「まだノアゼットの侵攻先が、アルバと決まったわけじゃない。そうなればアルバ国内でも徴募があるだろうが、不確定なものに賭ける余裕は、今の俺にはない」

 手を伸ばして、カティスはカイルワーンの肩を軽く叩いて、ことさら気負わずに言った。

「冬に準備を整えて、春が来たら行動を開始するつもりなんだろう。とすれば、早くても四月か五月までは戻ってこれないな。しばらく留守にするけれども……勘弁してくれな」

 カイルワーンは何も言わなかった。ただ険しい表情で、一心に自分を見上げていた。

 カティスはただ黙って、カイルワーンの反応を待った。その脳裏を、カイルワーンが言いそうな言葉が想像として駆け巡る。

 『どうして僕が君の行動に許しを与えなければならないんだ』と言うかもしれないし、『気をつけて行ってこい』と言うかもしれない。『よく効く傷薬でも作ってやるよ』と言って、何かしら持たせてくれるかもしれない。

 それとも――。

「行くな」

 それは震える声だった。長い沈黙の後、苦渋を飲み下したような面持ちで、カイルワーンは言った。

 顔色が悪かった。

「行くな、カティス」

 その言葉は、その反応は、カティスにとってはあまりにも意外だった。照れが交じった苦笑をカティスは浮かべる。

「なんだ、寂しいのか? お前にそんな殊勝なことを言ってもらえるとは思って――」

 途中でカティスは言葉を呑んだ。冗談を言うには、目の前のカイルワーンの様子は、あまりにも異常だった。

 驚きと迷いと苦悩。ためらいながらも、それでも意を決したとばかりに口を開き、カイルワーンは告げる。

 ただ一言。

「行けば、死ぬぞ」

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