2章6節

 その夜アルベルティーヌ城では、盛大な夜会が催されていた。センティフォリア・ノアゼット両地方の反乱に対し、アルバ国軍の派兵を行った数日後のことである。

 名目は各国大使の慰労と親善をはかるというもので、アルベルティーヌ駐在の全大使とその家族が招かれていた。

 地方で反乱が起こっているこんな時機に、不謹慎な――という批判の声は、当然上がった。だがその声に、王は沈黙した。王と閣僚たちは、この夜会に別の目的を隠していたからだった。

 その夜会の真の目的を精力的にこなしていたオフェリアは、ワイングラスを片手に壁に寄りかかり、夜会の様子を眺めていた青年の姿を見とめて、軽やかに声をかけた。

「グラウス卿、お久しぶり」

「ご機嫌麗しゅうございます、オフェリア王女殿下」

 グラウス・ブレンハイムはオフェリアににこやかに笑いかけ、優雅に礼をとった。

「ここのところ夜会に姿をお見せにならないんですもの。どうなさっていたかと思っていました」

「お気にかけていただけていたとは光栄です」

「ご謙遜を。宮廷の女性たちがあなたのことをどのように噂しているか、ご存知ないの? ガルテンツァウバーの若き貴公子の姿のない夜会は、雪のない冬のようで味気ないと」

 オフェリアの言葉に、グラウスは苦笑した。雪国である故国・ガルテンツァウバーとからめての言葉は機知に満ちていて心地よいが、そこで生まれ育った者としては苦笑を禁じ得ない言葉だ。

「風土の違いですね。故国では雪はあまり美しくない。生活を苦しめる敵で、戦う相手ですから。アルバのこの気候ならば、舞う雪はそれは美しいことでしょう」

 オフェリアはグラウスの言葉に沈黙した。自分の発言を不用意と恥じたからではない。グラウスの態度が、言葉遣いが、何か心に引っかかったからだ。

 今日の夜会の真の目的は、各国大使の牽制と監視だった。アルバに対して害意を抱く国があるとすれば、諜報の任を負う外交官の長である大使が、何も知らされていないはずはない。

 オフェリアもまた、王女の立場を利用して多くの大使たちに接触し、当たり障りのない会話を繰り返しつつも、変化がないか、異状がないかを探っていたのだ。

 グラウス・ブレンハイム。北の大国ガルテンツァウバー帝国の大使・ブレンハイムの息子。初めてアルバ宮廷に姿を見せたのは二年前のことだ。当時は十七、今年で十九。

 その時、初めての夜会に――アルバ宮廷に、戸惑っているのが見て取れた。ホールの隅で佇んでいる姿は、明らかに浮いていた。

 それから二年。彼は上手に夜会を渡っていけるようになった――少なくとも今は、そう見える。だがそれは果たして『成長』なのか、『変化』なのか。

「お言葉は嬉しいのですが、殿下。実は私、急遽国に戻ることが決まりました。今日は皆様にそのご挨拶をと」

「え?」

 突然の言葉に、オフェリアは思わず聞き返した。そんな彼女に、グラウスは完璧な微笑みを浮かべる。

「近衛師団への入隊が内定しました。登用試験に提出した論文が果報なことに陛下に目に留まられたとのことで、至急国に戻るようにとの通達が参りました」

「それはおめでとう」

「夜会をすっぽかし、皆様に不調法をしてまで、試験勉強に取り組んだ甲斐がありました」

 悪戯っぽく笑うグラウスに、オフェリアもつられて笑う。だが心が、どこか晴れない。

 何だろう、この違和感は。

「それではいつ頃、国にお戻りに?」

「来月頃でしょうか。ありがたいことに、師団が迎えの船を出してくださるとのことです。船が着き次第、出立の予定でおりますが」

 船。その言葉を聞いて、ほんの少しだけオフェリアの表情が曇った。それをグラウスは決して見逃すことはなく、柔らかな声音で先んじて告げる。

「お国の有事は存じ上げております。難事にあっては、諸外国の動きを警戒されるのは当然のことです」

「それは……」

「ですが、高速艇とはいえ、ただの一艘の小舟でございます。それでどうこうできるアルベルティーヌではございますまい?」

 駄目だ。嫌な予感がする。オフェリアは思った。けれども、駄目だという理由がない。

 そう、グラウスが言う通り、たかだか一艘の船の発着に目くじらを立てることなどできないのだ。

「どうぞ道中、お気をつけて」

 そう言うより他に、オフェリアにはなかった。

 他の者に声をかけられて、その場を離れていくオフェリアを眺めながら、グラウスは大分温まってしまったワインを口に運び、先ほどのオフェリアの様子を反芻する。

 やはり自分が見立てた通り、勘のいい人物だ。頭も切れる。

 これでもし男であったならば、アルバ中興の祖と讃えられるだけの名君になれただろう。

 だが彼女は女で生まれてきて、そして。

「グラウス、首尾はどうだ?」

「ああ、父上。やっとお会いできましたね。お久しぶりです」

 その時ブレンハイムが現れ、息子にそう声をかけた。

「お前も忙しい身の上になったな」

「夜会が終わりましたら、またに戻ります」

 親子は周囲に聞かれても、何のことはない会話を繰り広げる。だがそれは、二人にはちゃんと別の意味を持っていた。

「皇帝陛下は、白い花をご所望だそうだ。出立には、忘れず携えていけ」

「白ですか。黄色の花や赤の花はよろしいのですね」

「黄色の花は浅薄な感じがして、好まれないそうだ。そして赤い花は」

 ごくり、と大使は唾を飲みこんだ。

「アルバ国民に憎まれているのだろう? そんなものを、持ち出すことはできない」

「赤い花は、それを憎む者たちにくれてやればいい」

 小さな、小さな声でグラウスは呟いた。隣に立つ父以外には聞こえないほどの声で。

 もうじきだ。グラウスは表情を引き締め、遠くを見た。

 目の前は、華やかな――だが人々が探り合い、騙し合う醜悪な宴。

 もうこれも終わりだ。もうじき、迎えの船が港に着く。

 出立の時は、近い。

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