1杯目

 ──チィチィチィ・・・チィチィチィ・・・チィ

 鳥の声がしてはっと彼、白枝シロエダは目を覚ました。数多の音がする。


「おかしい。・・・それに。」


 彼のいた世界では1ヶ月前からこんな音はしなかったはずだ。さらに彼は。今迄彼女が仕留め損ねた所は見たことがない。生きているなんて有り得ない筈だった。思考回路をひたすらに巡らす。


(何故僕は生きているのか?)


 彼の頭にある1つの考えがよぎる。   ──世界からの離脱。

 もし違う世界線に来ていたら全て説明がつく。だが、どうしてそうなったのか・・・そこまでは分からない。生きているそれだけで彼の心は嬉しさで溢れていた。



「さて、どうするか・・・?」

 夢にまで見た異世界生活。慌ててなんていられない。まずは現状を把握せねば。

 白枝は草原を歩き出した。見たことの無い綺麗な草や木が沢山生えている。異世界・・・。きっと白枝の表情は緩みに緩みきってとんでもない事になっているだろう。子供の頃から異世界ものの小説を読んでは日々妄想を繰り返してきた。正直彼女に殺されることは分かっていた。あまり痛くなかったし、驚きもなかった筈だった。

 20歩位歩いたところで不意に視界が渦を巻き始める。それに体中が痛い。色とりどりの花が混ざって気持ちが悪い。色が混ざってだんだんと黒くなっていく。

 彼の体は正直だった。1ヶ月間の苦しみは白枝の精神と体に深く刻み込まれていた。彼でなくとも大体の人はそうなるだろう。たとえ屈強な戦士であっても、頭脳明晰な学者であったとしてもだ。

 ガクンと体制を崩す。

「ヴッ・・・・・・」


 呼吸をするのでさえも辛い。苦しい。生と死との瀬戸際で彼の体が抗っているのだ。この苦しみが続くのならばもういっそ死んでもいい。そう思ってしまう程であった。

 ふと、朦朧とする意識と霞んでゆく視界の中に1人の人間を捉えた。

 ──敵が味方か。どちらでもいい。

 もし前者なら間違いなく殺されるだろう。1文無しの白枝には生かしておく価値もない。死ぬのならば変わらない。時間が早まるかそうでないかと言うだけだ。


(嗚呼、また殺されるのか。)

 白枝は意識を手放し、その場に蹲るようにして倒れた。




 そこはとても静かであった。心地の良い静けさ。あの世界とは違う静けさ。ぴったりと白枝の心に寄り添って安らぎを与えてくれる。ずっと求めていたもの。安らぎ、平和そして笑顔。之が死ぬということか。存外悪くない。

 心做しか口の中まで暖かい。独特の甘さと渋みが下を滑る。そう、だんだん苦くなってきて強烈な痺れを舌に・・・。


「うえっ・・・・・・。」


 今のは白枝の声であろうか。信じられないほど下品だった。吐き気と咳が込み上げてくる。一気に目が覚めた。木の天上、だった。畳、障子、そして白枝が寝ている布団。どこからどう見ても典型的な和室であった。


「!?!?」


「こら、君。ちゃんと飲まなきゃ駄目じゃないか。」


 そう、そこに居たのは美しい少女。髪を左右に括り、俗に言うツインテールをした見目麗しい女の子。大きな目と可愛らしい口が印象的な可憐な子。


 と、いうのは白枝の妄想である。現実は柔らかそうな赤髪をした着物の少年?だった。まあ、声も低かったし。少しガッカリしたがそんなことなど今はいいことだ。問題はだ。彼は美しい茶碗を持っている。いつもだったら見惚れてしまうがそれどころでは無い。もし毒だったら・・・最悪の考えが頭をチラつく。いつも悪いことから考えてしまうのが彼の欠点だった。先程の苦しみ。白枝はまだ生きている筈だ。体はまだ痛むがハッキリと意識はある。


「な、何を・・・」


「嗚呼、これかい?花茶だ。栄養が高く体に良い。君はかなり痩せていて餓死するところだったからね。君にはぴったりなのさ。」


 花茶・・・。聞いた事のないものだ。嗚呼、此処は異世界だったか。


(美少女がいないから実感が・・・あ、否決して僕は女好きではない。ハルトだったらきっと泣いて悔やんでいたよな。あいつ美少女に目がなくていっつも怒られてたし。ハルトならお茶吹いてただろ。ハルトだったら・・・・・・)


「君!?大丈夫か?そんなにこの茶が口に合わなかったか?」


 何故か少年?が驚き心配した様にこちらを見てくる。確かに茶は苦かったが・・・?さっき咳んだ時に唇の周りに飛んだ水滴を手で拭おうとすると、何が温かい液体に触れた。それは白枝自身の涙であった。自分でも涙を流していることに気がつかなかった。いつの間に。

 ハルトのことを考えると急に寂しさが込み上げてくる。さっき迄全然平気だったのに。ハルトは白枝の小学生からの幼なじみだった。本をよんだりゲームをしてばっかりの白枝と違ってハルトは活発でよく外を走り回っているようなヤツだった。趣味も思考も全然違ったけれど、一緒にいると気が安らぐというか、なんというか・・・。一言で表すと良い奴だ。ハルトはあの日白枝の背中を押してそれで・・・・・・。


「う、オエッ。グェッ・・・」


 急に吐き気がました。涙が止まらない。あ、あ、あ、あ、あ、あ・・・思い出したくない。


 少年が心配そうにこちらを覗き背中を摩ってくれていた。あまり泣いていた時のことは覚えていないが、何かを泣き叫んでいた気がする。かれこれ30分位たったであろうか。ようやく泣くのも吐き気も止まった。


「今、美味い茶を持ってこよう。茶菓子は洋菓子と和菓子どちらがいいかい?」


「・・・和菓子で。」


 気を利かしてくれた・・・のか。初対面のやつが急に泣き出して悪い印象を持たれてしまっただろう。あー、泣きすぎて目が痛い。こんなに泣いたのは何時ぶりだろう。小学生くらいか・・・?あの日から約1ヶ月。沢山のことがありすぎてじっくり物事について考える暇もなかった。自分でも想像がつかないほど色々溜め込んでいたのだろう。


 ──お前はすぐ抱え込むからな!なんかあったら俺に言えよ?言わなかったらジュースお前の奢りだかんな!


 ふと、親友ハルトの言葉が蘇る。

「どうやって君に言えばいいんだ・・・」

 喪失感だけが彼の心を埋めていた。



 出された茶菓子は月餅だった。今迄食べたどの月餅よりも美味しかった。温かい茶も美味しかった。少年──紫苑《シオン》に聞くとこの屋敷には月餅が好物の人がいるらしくたまに凄く美味しい月餅が置いてある期間があるらしい。白枝はいい時に此処へ来たそうだ。

 この屋敷には多くの人が暮らしているらしい。この世界について詳しく知らないことを話すと


「嗚呼、成程。じゃあ行く先が決まるまでこの屋敷にいるといい。」


 彼が古株と言うこともあり、案外サクッと決まってしまった。こういう時、主人公の熱い心やら、機転やら、巧みな交渉術やらでかっこいい見せ場を作るのではなかったっけ??

 それはともかく泊まる場所が決まったことはいいことだ。今日は全員が集まれる訳ではないらしいがある程度は仲良くなれるだろう。





 紫苑に聞いた話だが月餅の人は・・・・・・・・・・・・かなりの美少女らしい。






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