第45話 告白

告白


 山嵜耕太。これが私の元の名前です。

 私は朝比奈重蔵と内縁の妻紀子との間に長男として生まれました。逗子の一地主に過ぎなかった重蔵氏の家はもともと山嵜姓を名乗っていました。ところが、あることを契機に重蔵氏は姓を朝比奈に変えました。私が山嵜姓を名乗っているのは母紀子が山嵜姓を望み重蔵氏が承諾したためです。このあたりのことは、おそらく、マスコミが重箱の隅をつつくほど詳細につまびらかにするでしょうから省きます。


 母紀子は新橋の料亭「米村」で働いていました。そこにやって来たのが山嵜重蔵です。そのあとの二人のことは詳しく申しません。ご想像のとおりです。母はどう頑張っても正式な妻として胸を張って表を歩くことはできませんでした。ただ、人生を歩み直すことはいくらでもできました。きっぱり重蔵と縁を切り再出発をすることだってできたのです。しかし私という人間を身籠ってしまったために母は内縁の妻として生きることを選びました。母は二十歳、父は六十五歳でした。その後、父の会社は大企業となり姓を朝比奈に変えました。父にしてみても姓を変えたのだから男の甲斐性と割り切って手切れ金を払うなりなんなりして母と別れ心機一転朝比奈家の家主として堂々と生きていけば良かったのですが、そこは男と女。ずるずると関係が続いたのでしょう。父は週に一度必ず私たちの住む幡ヶ谷の家に来てくれました。私の数えで五歳になったときは端午の節句に立派な兜をプレゼントしてくれました。私も母も父がとても好きでした。母は父が来る前の晩になるときまってそわそわし、父が好きな筑前煮を、

「一晩寝かしたほうがお父さん好きなのよ」

 と、言って作っていました。私はそういう母を見るのが好きでした。普段私と接するときは優しい母でしたが、父のことになると一人の女性として輝いて見えました。女というのは愛する人がいると母であっても年齢に関係なく美しくなれるものですね。父が来ると私は一週間分の愛情を父にぶつけました。母も一週間分の愛を父に注ぎました。そして父は二人の合計二週間分の気持ちをもろ手で受け止めてくれました。しかし、決まって翌日の朝には決まって帰ってしまいます。このような日常がずーっと続くのかと思い、私は、ある日別れ際に父へこう言いました。

「やっぱり今日も帰っちゃうの?」

 あのときの父と母の悲しそうな表情は今でも忘れることはできません。私も子どもながらに自分の家庭が普通の家庭とは違う事情があることをうすうす感づいてはいました。それにしても何故父は毎日家に帰ってこないのか、何故翌日になるとさよならしなければならぬのか、どこへ戻るのか、前の晩そわそわしていた母が何故父の帰るあと深く沈んでしまうのか、それらのことが溜まりに溜まってつい口をついて出てしまったのです。私は後悔しました。深く沈む母。母をこのような思いにさせる父に対して私の中に複雑な気持ちが混在するようになりました。そののち、父の来る日が十日に一度になり、二週間に一度になっていきました。私は母の悲しみに暮れる様子が日に日に増していくのを心配に思うようになりました。


 そんな中、母から神奈川県の逗子というところへそのうち引っ越すよと告げられました。理由は教えてくれませんでした。そして、逗子に引っ越してから一年後、私たちの家に知らない男がやってきました。男は母と私を冷視し、見下し、蔑むように、

「父は亡くなりました」

 と言いました。

「え?」

「重蔵のことです。式も済ませてあります」

 やってきたのは静馬でした。ああ、あの時、母の絶望をどのように形容しましょうか。母は膝の上に抱えた盆を強く握りしめ、わなわなと震え始めました。

「あなたがたのことは、すべて私に一任させていただきますので、よろしくお願いしておきますよ。いいですね」

 静馬が帰ると、母は途方を見つめて泣きました。私がちょうど七歳。急に父が来なくなってしまったから、母は父の身に何か起きたのではないかと、それはそれは気を揉んでいたのです。そして突然やって来た静馬の口から聞こえて来たのは、父の訃報だったのです。母は毎日毎日泣き続け、

「この先どうやって行きていけばいいのかわからない」

と呟いて、また冷めざめ泣くのでした。私は母の膝に手を置いて見守ることしかできませんでした。

 それから静馬はちょくちょく逗子に顔を出すようになりました。母は父のことを色々聞き、静馬は聞かれたことに丁寧に答えていました。ただ、親切そうに振舞ってはいるものの、奴の眼に色濃い情念が潜んでいることを私は感じていました。優しいことと目の前の女をモノにしたいことは表裏一体です。母には優しく振舞っても、私には冷たい眼を隠さなかったので、尚一層そう思ったのでしょう。


 ある日、奴は珍しく夜まで居座り、帰り際、私を見やりながら母に何か告げ口をしました。母は私に「送っていくから」と出て行きました。なんだか私は嫌な予感がしました。具体的に何なのかはわからないけれども、絶対に行ってほしくなかった。母は「大丈夫だから。先に寝ていなさい」とだけ言い、出て行きました。私は絶望感で頭が真っ白になり、一目散に寝床へ駆け込み、頭まですっぽり布団をかぶって、一切の空気を遮断しました。でも、時計の針の音は布団を簡単に通して聞こえ、私の心臓を一秒ごとに突き刺していくのでした。

 やっと玄関で人が動く気配を感じました。午前零時でした。母さんに違いない。母を迎えに

「おかえり」

 と言って部屋から出ようとしたその刹那、

「来ないで!」

 と母が叫びました。びっくりして襖を開けられませんでした。しばらくして、

「お願いだから」

 とも言いいました。悲痛な声でした。私は今までそんな言い方をされたことが一度もありませんでした。私はそのまま黙って部屋に引っ込みまた頭まですっぽり布団をかぶりました。母は玄関を上がるとそのまま風呂場に行きました。長い間出て来ませんでした。お湯を流す音がずっと聞こえました。私は母が私の寝床に来るのをずっと待ちましたが、結局来てくれませんでした。今度は台所ですすり泣く声が続きました。


 それから数ヶ月、いや、半年程が経ちました。母は妊娠しました。静馬は、母のお腹が大きくなったことを知って来なくなりました。そして、出産して母子ともに退院した翌日、静馬がまたやって来ました。玄関で母と静馬が何か言い合いをしていました。それでも静馬は土足で家に入ってきました。部屋という部屋の襖をバッと開け、何かを探していました。その時のあいつの眼は狼のように血走っていました。私はあいつをやっつけようと

 「ワーッ」

 と叫びながら足に抱きつきました。でもあいつは私を振り解くと容赦なく壁へ私を放り投げました。意識が朦朧とする中、母の寝室に入る静馬が見えました。奴は弟を見つけニタッと笑いました。母が、

「やめて」

 と叫んで奴にしがみつきました。奴は、

「ええい!」

 と言って母の顔を張り手しました。母は気絶したのか蹲ってその場に倒れ込みました。奴は足で母の身体を退けて弟を抱きかかえ玄関へ向かおうとしました。私はもう一度奴に突進しましたが、待ち構えていたらしく、あいつのかかとが私の顎を一撃し、私は意識を失いました。

 どのくらいの時間が経ったのか、気がつくと、あいつと弟の姿はなく、隣の部屋で母が泣いていました。私が

「なんでだよう」

 と母に言うと、母は、

「耕太、いいかい、よく聴きなさい。母さん、何日か家を留守にするかもしれない。三日経っても帰らなかったら、その時は蓼科の叔父さんに電話しなさい。そして、母さんが帰るまで、しばらく蓼科へ行っておいで」

 と言いました。嫌な予感は的中し、母は帰って来ませんでした。私が成人式を迎えた時、叔父は全てを話してくれました。その時に私は朝日奈家へ復讐することにしました。必ず静馬に天罰を下すんだと。それからのことは弟の雅美から話を聞いていると思いますし、捜査で明らかになっていると思うので割愛します。


 弟には立派に生きてほしいと願っています。持ち前の明るくて優しい性格は母譲りですし、憎い静馬の血が半分流れていますが、静馬の血が流れているということは父重蔵の血だって流れていることになります。弟なら朝日奈家の当主を立派に勤めてくれるはず。私は母と父の元へ参ります。また母の筑前煮を父とつつくことができる。


雅美へ。

 お前の出生を明らかにすることが果たして正しいのか日々悩んだ。でも、母ちゃんの子であることを示したことは間違っていないと信じる。

 過去から脱却できずに先に旅立つ兄の至らなさを許せ。お前は俺と母の分まで生きるんだ。しばらく世間の目は冷たいと思うが、持ち前の明るさで乗り切って欲しい。お前ならできる。

 人は何のために生まれ、何のために生きるのか。私は私なりに考えて生きたつもりだ。おかしいことはおかしいんだ。不条理を正すことは正義なんだ。ただ手段を間違えると俺みたいになっちまうから、よくよく考えてな。先に行ってる。

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