牢屋〜3〜

「エラ、いけそう?」

「多分平気。そっちは?」

「絶好調です、おかげさまで」

「じゃあ行こっ」

 エラはまた箱のへりに腰掛けて、尾びれを垂らして乾かし始めた。ゆっくりと人の足になっていくそれを見つめながら、ウィルはふと大切なことに気づく。

「エラ」

「ん?もーちょっと待ってね、あと少しで乾くから」

「や、そうじゃなくて……今って、?」

「夜……かどうかは知らないなぁ。なんで?」

「日光キライだから」

 エラは一瞬きょとんとして、あぁ、と納得したようにふわりと微笑んだ。

「そういえばウィルって吸血鬼なんだったね。やっぱり日光浴びたら灰になっちゃうの?」

「日光浴びたことないから分からない」

「ふーん。まぁそりゃそうか。灰になるかもしれないのに日光浴びたくないよね、さすがに。日陰とか曇りの日はセーフ?」

「ん、多分大丈夫」

「なら一旦外に出て、様子見ながら海目指そ?」

 決まり、とエラはぐっと体を押し出して、とんと床に着地した。すっかり体調は回復したようだ。言葉通り、人魚は回復力が凄まじいらしい。

「じゃあ、出発ね!」

 エラの輝かんばかりの笑顔に、ウィルは圧倒されて、言いかけた言葉を思わず飲み込んだ。

『ちゃんと逃走経路は確認しているのか?』という問いを……。


 *


「どうしようウィル、早速ピンチだよ……!」

 ほら言わんこっちゃない。

 というか、なぜあの時ちゃんと聞かなかったのか自分。こうなることは予想できていたはずだぞ。

 牢屋の扉はウィルが余裕で破壊し、脱獄は上手くいったのだが、そこからが問題であった。

 ここは貴族の屋敷。当たり前のように使用人がそこここを歩いており、エラはすっかりパニックになってしまっていた。

 ウィルからすれば、2人がいなくなったことが全く気づかれていないのが滑稽こっけいで仕方ないのだが。

(どうしたことか……)

 とりあえずエラを落ち着かせるために近くの開いていた部屋に入り、鍵を閉める。内鍵で助かった。

「エラ、大丈夫か?」

「あううぅぅ、怖かったぁぁぁ」

 ガタガタ震えながら「人間怖い、人間怖い」としきりに呟くエラの背中をとんとん叩きながら、ウィルはぐるりと部屋を見渡す──と。お、いいもの見つけた。

「エラ、あれ見て」

 ウィルはちょんと部屋の壁を指さした。

「え?」

 エラが素直に目を向けると、そこには。

「……嘘でしょ……!」

「俺たちはラッキーだ。あそこから逃げよう」

 ドアの向かいでひらひらと揺れているカーテンと、──開いている窓。しかも窓の外は真っ暗。夜だ。

 ウィルが窓の外をのぞくと、地面が思ったより近い。2階くらいだろうか。この高さならエラを抱き抱えたままでも安全に飛び降りることができる。どこからどこまでツイている。

「エラ、ここからお前をかついで飛び降りるぞ。大丈夫か?」

「おっけー。でもその前にちょっと待ってね」

 何をするつもりだ、とウィルが思っていると、エラはいきなりカーテンをビリリと破いた。そして体に巻き付ける。即席ドレスの完成だ。

「やっぱりこの格好じゃ目立つかなぁ。まぁいっか。裸よりマシでしょ」

「……」

「ん?どうしたのウィル?」

 ウィルは信じられなかった。

 何が信じられなかったって、エラが今まで裸だったことに気づかなかったおのれの鈍感さにだ。

 それにしても、何で気づかなかったんだろう?

「あ、ウィルもカーテン巻いとく?ウィルの服もボロボロだもんねぇ」

 エラが見当違いなことを言っているが、今は助かった。そういうことにしておこう。

「そうだな」

 ウィルは短く答えて、エラと同じようにカーテンを割いた。


 *


 カーテンを体に巻き付けた奇妙な二人組は、大きな屋敷の庭をこそこそと走っていた。

 無事に庭を囲っている塀にたどり着く。

「やったね、ウィル!脱獄成功だよ!」

 牢屋の時よりも少し声を落としながら、エラはガッツポーズをして見せた。

「まだ油断すんなよ」

 言いつつエラの頭をポンと叩く。だが心中はもやもやと疑問が渦巻いていた。

(あいつらが俺に興味が無いとはいえ、こんなに何事もなく脱出できるものなのか?それに、エラが繋がれてなかったのも引っかかる……そもそも、エラはどうしてあんな地下牢にいたんだろう)

「ウィル?」

 エラの声にハッする。エラの顔が目の前にあり、更にドキリとする。

「ボーッとしてたの、大丈夫?でも今はそれより外に出ないと」

「ん、ごめん。そうだよな」

 塀はウィルの身長より高い。ウィルは再びエラを脇に抱えて、ひょいと飛び越えた。ああ、体が軽い。

「これでほんとに脱獄成功だな」

「うん!ありがとう、ウィル」

 エラがふわりと笑うのに合わせて、夜のそよ風がふわりとそよいだ。エラの金髪が柔らかく揺れ、カーテンドレスがわずかに膨らむ。

 そして、風に乗って運ばれてくる、エラの血の香り。ウィルの喉が、クル、と鳴った。

(さっき飲んだばかりなのに、まだ狙っているのか!)

 自分にうんざりだ。思わずため息をつく。

「ねぇ、ウィル、聞いてる?さっきからボーッとしてるけど、今日は休んでおく?」

「いや、大丈夫だ。ごめん、行こうか」

「謝らなくていいよー。じゃあお言葉に甘えて、出発だねっ」

 エラは意気揚々と歩き出した。だが。

「おい、エラ」

「ん?やっぱり休憩する?」

「いや、そうじゃなくてさ。どこ行くの」

「海、だけど。あ、でも私は海までの道知らないから、とりあえず街に行って、」

「あほ」

 ウィルはエラの頭を軽くこずく。「あいたっ」と頭を押さえるエラは、もしかして。

「そっち、さっきまでいた屋敷だから」

 ──もしかして、物凄い方向オンチなのではないのか。

「え、ウソっ!あ、あはは、道って難しいね?」

 そんなウィルの予測は、悲しいことに的中してしまった。

 がくりと膝を折りそうになるウィルに、エラは朱に染まった顔で「前、歩いてよ」とボソリ。

 俺だって街なんて行ったことないんだけど……。まぁとりあえず明かりがある方に行けばいいか。

「エラ、行くぞ」

「うん。あー、ウィルがいてくれてやっぱり良かったぁ!私1人じゃ、迷子確定だもん」

「お前……ひょっとして付き添いがいる理由って、これか!」

 この旅はいろいろありそうだ……。

 脱獄からわずか5分。ウィルはすでに不安しかなかった。

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