008 仮初のコーディペンデンス(2)

 それにしても今週に入ってからというもの、あやかの『もう寝ちゃうの?』を聞かない日がない。


 おそらく一日の通話に時間制限を設けたいと言えばあやかはそれを守ってくれるだろう。だが友人同士の電話に時間を決めるというのもおかしな話であるし、そもそもあやかと昌真は友人ですらない。高岡涼馬への復讐などという馬鹿げた目的によって結ばれた仮初めの相棒に過ぎないのだ。


 電話と言っても当然、某アプリの無料通話であるから通話料を気にする必要はなく、家の電話を占領しているわけでもないから家族に迷惑をかけることもない。だがそれでも、家族でも恋人でもない者同士が一日数時間にもわたる長電話を毎日休みなく、というのはどう考えても普通ではない気がする。


 あやかも決して暇なわけではないようだ。第一線で活躍しているロスジェネのメンバーに比べれば仕事が少ない分時間に余裕があるようだが、アイドルとしてのスキルアップのためにバレエやダンスなどのレッスンにも通っているらしく、その合間を縫って毎日昌真に電話をかけてくるのである。


 恋愛に関して昌真は自他共に認める慎重派であるし、こんなんで「俺に惚れた?」となるほどおめでたくはない。……おめでたくはないが、毎日これだけ話していれば嫌でもあやかのことが気になってくる。


 昌真の中には最早あやかが美少女だという意識はない。アイドルだという意識はもっとない。


 そもそものところ、昌真にとってあやかはそれほど好みのタイプではないのだ。妹で美人慣れしている昌真はあやかの容姿にはそれほど惹かれないし、頭の良い悪いは別にしても年齢に比べて性格が天真爛漫すぎる。


 だから昌真があやかに異性として惹かれる要素は実のところ少ないのだが、それでもあやかのことが気になってしまう理由は、あやかが一生懸命だからだ。


 人気がないなりに芸能活動には真摯に取り組んでいるようだし、見えないところで必死に努力もしている。不得意だという勉強に関しても決して後ろ向きにならず、精一杯真剣に取り組んでいこうとする姿勢が見てとれる。


 成り行きで始めることになった家庭教師という役割を昌真が受け容れ、最近では効率的なカリキュラムを組もうと考えるまでになったのも、あやかの努力する姿を認めてのことだ。


 だがそんな努力が空回りし、芸能活動についても学業についても思うようにいかない彼女を見ていると何だか可哀想になってくる――というのがここ最近における昌真の感想だった。


 明治の文人曰く、可哀想だた惚れたつて事よ。


 ……繰り返すが昌真があやかを見る目は妙に懐いてくる女友達か出来の悪い娘を見る男のそれであり、異性としてはほとんど意識していない。この先あやかをそうした目で見るようになる可能性も低いように思われる。


 だが、深入りは禁物である。彼女が属しているロストジェネレーションという組織に恋愛禁止という絶対のルールが存在する以上、恋愛的な意味で好きになってはならない人なのだ。


 そのことを思えば、やっつけ仕事でもいいから高岡への復讐という二人の共同作業を速やかに片付け、早々にあやかの前からフェイドアウトするのが第一優先だろう。生乾きの心の傷に治る見込みがない今、あやかとの電話という癒しがなくなるのは少し痛いがそれはそれ。その癒しが新たな心の傷を生む培地となっては意味がないのだ。


 ――そういったわけで、やる気がないなりに件の作戦も実現に向けての準備を進めている。


 もっともやる気がないのは昌真だけであり、あやかの方は依然としてやる気満々のようなのだが、案の定と言うべきか佐倉へのメールはなしのつぶてで、たまに気まぐれのようなタイミングで返事らしきものが返ってくるかどうかといった状態だという。そんな状態で高岡のニセ情報を送ったところで佐倉は食いついてこないだろうし、読んでもらえるかさえ怪しいところだ。


 そのあたりを踏まえ、昌真はさしあたって佐倉とのパイプを情報がまともに通る程度に太いものとすることをあやかに課した。と言っても、ストーカーがやるように一日百通もメールを送るような愚は冒さず、あくまで佐倉の興味をそそるような情報を小出しにする方針を付け加えて、である。


 それから何を置いてもターゲットとしての佐倉マキの適格性の確認だ。マスコミに嗅ぎつけられていないだけで既に高岡とデキているということであれば佐倉を落とそうとする試みそのものが茶番ということになる。だがマスコミに嗅ぎつけられないものを昌真やあやかがどうこうできるはずもなく、それについては世間に出回っている噂を信じるしかない。


 逆に佐倉にとって高岡がまったく好みでなかったり嫌っているということであっても、やはりターゲットを変える必要が出てくる。そのあたりを検証するため、佐倉マキに近い芸能界のメンバーに彼女が高岡のことをどう思っているかをそれとなく聞き出すという作業をあやか主体で進めてきた。


 これについて直接的な情報は得られなかったものの、代わりに有力な情報が得られた。佐倉は顔ではなく才能で男を選ぶタイプだ、というものである。


 ロリビッチの名に違わずスキャンダルには事欠かない佐倉の噂にあがる男は敏腕プロデューサー、演技力に定評がある個性派俳優、実力派の若手棋士、小説家デビューして芥川賞まで獲ってしまったモデルなど、年齢も容姿もまちまちだが研ぎ澄まされた才能を持った男である点において一貫している。そしてその男性遍歴を見るに、佐倉が意外と理知的な男を好むという傾向が浮かび上がってくるのだ。


 そのラインナップに加わる男として高岡涼馬はまず合格といったところだろうし、理知的なトークなら昌真もそれなりに自信がある。つまりターゲット変更の必要はなく、当初からの方針に沿ってラインの強化という具体的な作業を押し進めれば良い、ということになった。


 ……やる気がないと言いながらこういったことに手を抜けないのが昌真である。


 ただ昌真の中で佐倉を落とすというお題目があくまで努力目標であることに変わりはなかった。あやかには悪いが、そんなのは無理に決まっている。


 その代わりに昌真が密かに掲げているゴールは、高岡涼馬のフリをして佐倉と二言、三言の会話を交わす、というささやかなものだった。予想ではその時点で佐倉に気づかれ、作戦は失敗に終わる。だが、それでいいのだ。少なくともあの日二人で誓い合った作戦を実行に移したという事実は残るし、あやかもそれで納得してくれることだろう。


 そんな思惑を胸に秘めてあやかの家庭教師を続けながら、昌真は機が熟するのを待った。


 そして、その時は来た。


◇ ◇ ◇


『やったよ昌真!』


「補習回避?」


『ちーがうって!』


「なんだよ。頑張ったのに結局補習か」


『それもちーがう!』


「じゃあなによ?」


『マキちゃんだよ! ついにマキちゃんをお茶に誘えたんだよ!』


「え、マジで?」


『うん、マジで!』


 あやかからその電話がかかってきたのは梅雨も終わり、夏休みを間近に控えた茹だるような夜のことだった。あやかの言葉に昌真が「え、マジで?」などとステレオタイプに返してしまったのは、事態がそんな展開を見せることがあったとしても、それはまだだいぶ先のことだろうと考えていたためだ。


 あやかによる佐倉へのファーストコンタクトから一ヶ月余り。既読スルーばかりだったメールにも三通に一通くらいはレスがつくようになり、つい先日、奇跡的に数回のラリーが成立した。そんなレベルである。


 もちろん最初の頃に比べればマシになってきたと言えるが、佐倉へのアタックを決行してもいい段階にあるとはとても思えない。そのあたりの認識はあやかもまず同じだろうと信じて疑わなかったから、見切り発車でアクションをかけないように釘を刺す、などといったことも当然してこなかった。


 だがそこで空気を読まずに想定外のファインプレーを繰り出すのがあやかである。どこぞの楽屋で、明日佐倉がオフだという情報を小耳に挟み、ダメ元で誘ってみたところオーケーがもらえたということなのだ。


 ……まさに案ずるより生むが易しである。悩むだけ悩んでなかなか行動しないハムレット型の昌真と、考えるより前に行動するドンキホーテ型のあやか――案外、いいコンビなのかも知れない。


 だが驚くべきことに、今回に限ってはあやかの側で入念なプランを計画立案済みであった。


 そのプランというのはこうだ。あやかと佐倉は午後三時に某所で待ち合わせる。だが約束の時間直前にあやかからドタキャンのメールが入り、佐倉の予定が宙に浮く。まさにその時、佐倉は高岡の姿を目にする。何という偶然、これって運命? 「ひょっとして、高岡涼馬さんですか?」の一言から会話が盛り上がる二人。このまま立ち話はちょっと……そうだ予約してある店がある。ちょうどいいからそこで、とトントン拍子に二人の仲は深まり、その日のうちに愛のホテルへGO。そのあとは計画通り粛々と罠にハマった獲物の料理を進めるだけ――


「……ちょっと待て」


『んー? あたしの完璧なプランになんか問題あるぅ?」


「大ありだ。直前ドタキャンとかどう考えてもマズいだろ」


『えー、どこがマズいのよー』


「あのな、仮にも芸能界の先輩だろ。しかも憧れの人って設定じゃないか。そんな人に初めて会えるってのに直前ドタキャンはないって。あやかがすごくいい加減なやつだって思われるぞ」


『そんなの覚悟の上に決まってるじゃない!』


「覚悟の上って言ったってなあ……。トップアイドルだろあっちは。貴重なオフにライバルグループの後輩のためにわざわざ時間さいてくれるってのに、その厚意を踏みにじるような真似するのはどう考えても良くないって」


『良くないことだなんてわかってるってば!』


「だいたいうまくいく、いかないに関係なくあやかはこれからも芸能界から離れられないんだろ? そこにはたぶんずっと佐倉がいるんだぞ。パワーバランスで言えば明らかにあっちの方が上だし、関係がこじれたら嫌な思いするのはあやかだ。そういうことわかって言ってるのか?」


『昌真こそわかってないよ! あたしたちが何やろうとしてるか忘れたの?』


「……」


『あたしたち、マキちゃんを騙してハメようとしてるんだよ? 復讐のために利用しようとしてるんだよ?』


「それは……そうだけど」


『それなのにこんなとこで日和ひよんないでよ! 情けは無用! マキちゃんを破滅させるくらいの気持ちでいかないと!』


「うーむ……」


 いつの間にかあやかの中では佐倉マキを破滅させることになっているようだが、破滅させるべきは高岡であって佐倉ではない。


 だがそんなことを言ってもはじまらないだろう。いずれにしたところで佐倉を復讐に巻き込もうとしていることに間違いはないからだ。


 昌真にもあやかの言いたいことはわかる。と言うより、自分たちのやろうとしていることを考えれば彼女の言っていることの方が正論だ。成功の可能性という点においてもおそらく及第点――いや、客観的に見れば現時点で考え得る最も実効性あるプランと言うべきだろう。あやかの言う通り完璧なプランかも知れない。……さっきあやかに指摘したようなデメリットに目をつぶれば、の話ではあるが。


 だがそのデメリットはほとんどがあやかに降りかかる類のものであり、昌真の側に害があるわけではない。あやか自身がそのデメリットを考慮しても背水の陣で挑むと言うのなら、作戦の早期決着を望む昌真としては反対ばかりしているわけにもいかない。


 それにここまでお膳立てしてもらって敵前逃亡では、さすがに男が廃るというものだろう。……となると、ここは妥協案を提示する必要がある。やはりクリティカルなのは直前ドタキャンだ。せめてそこだけ何とかすることができれば――


「だったらこういうのはどうだ」


『こういうのって?』


「直前でドタキャンするにしてもワンクッション入れる。明日の朝、『急な予定が入って行けなくなるかも知れない』って佐倉にメールを打っておく」


『えー、それじゃ来てくれないかも知れないじゃん』


「それならそれで仕方ない。次のワンチャンに賭ければいいだけの話だ」


『でもでも! 次なんてもうないかも知れないし!』


「そこだ! いいか? あやかの作戦だと今回失敗したらそれで終わりだ。佐倉は二度とあやかの誘いには乗ってこなくなる」


『そうかもだけど……だったら、今回でキメれば?』


「そんな希望的観測に従って動くのは得策とは言えない」


『うー』


「逆に考えるんだ。今回誘いに乗ってくれたんだから、まだワンチャンある。その可能性を残すためにも、ここで佐倉との関係を駄目にしてしまうようなハンドリングは避けたい。あやかの立てた作戦は認めよう。だがそこが通らないなら俺はこの作戦には乗れない。何と言われようとそれだけは譲れない」


『……わーかったよ。昌真の言うとおりにするよ』


「あと一応聞くけど、あやかも現地入りするとか考えてないだろうな?」


『もっちろん!』


「どっちのもちろん?」


『もちろんあたしも行って陰から二人を見守る!』


「駄目だ。絶対に来るな」


『えー!? なんで!? 異議あり! それじゃあたしだけ蚊帳の外じゃん!』


「あのな、ドタキャンしたやつがウロチョロしてるの見つかったらマズいだろ」


『……あ、そっか』


「まとめるぞ。朝、佐倉に行けなくなるかも知れないってメールする。あやかは現地には来ず、家で大人しく待ってる。そのふたつが満たされることを条件に俺はこの作戦に同意し、あやかのプランに従って動く。それでどうだ?」


『……はーい、わかりましたー』


「よし。それじゃ具体的なところを詰めようか――」


 高岡への復讐作戦についての打ち合わせ――あの日に連絡先を交換し合ってから初めてそれを本来の目的で活用することになった。そんな思いを抱きつつ明日の詳細な計画を立てながら、昌真の頭にはまだ何かがひっかかっていた。


 ベストに近いプランであることは疑いない。ワンクッション入れると決めたことでドタキャンの弊害も薄れた。……だが、何か大きなことを見過ごしている気がする。この作戦における落とし穴――それもあやかではなく、昌真に厄災が降りかかる系の……。


 その正体がはっきりしないまま、いつになく白熱した二人の議論の中に蒸し暑い夜は更けていった。

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