さよなら人間

三谷エイジ

人の生きる理由について

人は何のために生きるのか?

その答えはおそらく史上もっとも偉大な哲学者や文豪でさえ答え見出すことのできなかった問いだろう。

私はその問いにからめとられている。

私の人生が悩んでいる諸兄の役に立てれば幸いである。


私は学生時代から感受性に人とずれたところがあり、感動するという経験をしなかった。

まして学生時代というのは「みんな」ですることに感動するようにできているのだ。

体育祭、文化祭、「みんな」と一緒にすることが私にとっては苦痛であった。

そんな私だが一度だけ感動した経験を持つ。

それは、芝浦電機という、大手電機メーカーの創業者松村幸助の講演を聞いたときである。

彼は、昭和の時代に裸一貫から創業し、日本を代表するリードカンパニーにまで押し上げた経歴の持ち主だ。

彼の経営哲学は実に簡単なものだ。

「社会のために役立つ製品を作り、人々の幸福に寄与する。」

感受性の異なる私にさえ響くほどだった。

彼自身の人生がその言葉に偽りがないからだろう。

私は、生きる意味を見出した。

彼の元で人の幸福になる製品を創ることである。

高校時代はそこまで成績の良くなかった私が努力したところでいける大学は地方の公立大学に過ぎなかった。

だが、私は腐らなかった。信念があったからである。卒業後私は多くの技術者志望がそうするように、

大学院に進学したが、東京工業大学という、工学系では最高峰の大学に進学することができた。

私は研究を重ねついに教授の推薦で芝浦電機に就職することが出来た。

私の人生はようやく始まるのだと、奮い立った。



しかし、現実には入社したての若造が製品企画などできるはずもなく、日々先輩から与えられる仕事をこなしていくだけだった。

別にそれはいい。実際に私が失望したのは創業者松村幸助の醜聞である。

松村は自分の創業した会社を息子に継がせようとしていた。

しかしその、息子というのがまたひどく馬鹿で、経営のイロハがまるで理解できていなかった。

現場は大混乱し、多くの役員や事業部長が会長となった松村に抗議したがすべて取り合わなかった。

組織の混乱は数字となって如実に現れる。

創業以来初の赤字を計上し、株価は急落した。

そこでも、松村は息子を叱責するのではなく、部下に無茶な指示を下すだけだった。

私は、自分の信念にまでなっていた松村の現実が堕落していくのを見てひどく失望した。

入社時の熱い情熱は冷めた凍土となって、私はただ会社に行って給料をもらうだけの人間に成り下がった。




ある時漫画を買おうと書店に向かうと刺激的なタイトルの本を見つけた。

「人生に生きる価値はない」

ある哲学者の書いたエッセイ集である。

彼に言わせれば、世界のすべてはいずれ消滅するのであり、人生にいかなる価値も見いだせない、ということだった。

乱暴ともいえる論理だが何故か染み渡るように理解できた。

私の感受性が求めているのは人々の幸福のために働くことなどではなく、彼のように嘘偽りもなく真実を見据える哲学の道ではないかと思った。

私は著者の主催する哲学塾へ参加を申し込んだ。

そこには多くの変わりものがいた。小説家、AV監督、同性愛者、自殺志願者。

中でも私が気になったのは、ヨガの修行者という男性だった。

彼はいかなる苦しみもヨガの修業を積むことで救われるという思想の持ち主だった。

私は哲学塾に通っているうちに一つの事実に気づいた。

それは、ここにいる人間の多くは、世間で生きるには恐ろしく不器用であり、生きる理由として哲学を学んでいる、ということである。

私はこうした場所にきて始めて生きているという実感を味わった。



しかし、不運なことに哲学塾は先生の健康状態の悪化のため、閉塾することになった。

私は、今後の自分がどうすればよいかまるで見当もつかなくなってしまった。

そこで、ヨガの修行者である男性と会って相談してみることにした。

彼は、ためたお金でネパールに移住しヨガの修業を極めるということだった。

要するにもう学びの時は終わり実践の時が始まったということなのだろう。

私は哲学から生きる理由を見出すことはできなかったが、老子という、自分の感受性にぴったり合った思想家に会うことが出来た。

ちょうど経営が悪化し、早期退職者を募っていた会社に退職願を提出し、やや多めの退職金を受け取った。

そして、地元長野県の山奥に放棄されていた格安の農地と民家を買い取り、自給自足の生活を始めた。

多くのストレスからは解放され、自分の時間も増えた。

しかし、これでよかったのか?という問いだけはまだ私を許してくれそうもない。

どこまで行っても悩みは尽きない。

この世に天国などなく、人生に生きる価値はないということか、そう思った。

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