第20話 溶暗
その夜、レオはまた<ナイツ>の売人のアジトを暴き、巧みに偽装されたの密輸組織を聞き出した帰りだった。
売人や敵のハンター数名をぶちのめし、彼らは今も折れた手足を丸めて転がっているだろう。公安にも連絡しておいたから、おっつけ逮捕されるはずだ。レオの仕事は彼らを逮捕することではなく、再起不能にすることなのだ。
バイクを止めてあるのはワンブロック先のライトの下。レオは特に急がなかった。ガードをかけていなくても盗られる心配などない。彼のバイクは人間になぞ乗りこなせるシロモノではないのだから。
野人はグラスをかけなおし、ジャポネスク・シティで一番危険な地区を、まるで夜の散歩を楽しむかのように進んでゆく。
男たちの争う声を聴いたのは、端末でシンジョウに報告を入れようとした時だった。汚い罵り文句は脇の暗い路地の奥から漏れてくる。
「てめぇっ! ぶっ殺されたいか!」
「ブツだけせしめといて金を払わないたぁどういう了見でぇっ!」
「違う! 払わないとは言ってない! ただ、今夜だけは見逃してくれっ! 親父に……親父にばれそうなんだ!」
怒鳴り散らす声に弱々しく抗う声が聞こえた。明らかに闇取引のいざこざのようだ。
めんどくせぇ……だがもし<ナイツ>辛みなら俺の仕事になるか……
とりあえず確かめようと路地の入口の壁にもたれた。この距離なら特に聞き耳を立てずとも、彼の聴覚には囁き声でさえダダ漏れだ。
「お、俺は今夜金を持ってないんだよ」
「ならてめぇの親父に小遣い貰えばいいだろうがぁ!」
泣きそうな応えに嘲笑う声が被さった。
「ははは、そりゃいいや! てめぇも、てめぇのダチもボンボン揃いなんだろ? この事が明るみになって困んのは、てめぇらのおとうちゃん達だもんなぁ」
「こいつを少々痛めつければ、あとは芋づる式に金が付いてくるぜ」
「そっかぁ。最近なんだかこの辺りもキナ臭くなってきたから、ここらで一儲けしてズラかるいい機会だぜ。そら!ぁ」
「やっ! やめっ!」
続いて肉を打つ鈍い音と弱々しいうめき声。
「ち」
レオはす、と広い肩を回して暗い通りからさらに闇の濃い路地へと入って行った。争う声はかなり奥から聞こえる、先は行き止まりでアングラバーの裏口になっていた。
地下から騒々しいリズムと大勢の人間の気配がする。突き当りの古びたビルの奥は階段になっていて、奥に貧弱なホログラムが光り、その光を反射してナイフが鈍く光るのが見えた。争いは汚い建物の前で行われている。
「コイツでちょこっと遊ばせてもらうよ」
男の弄ぶナイフは、レオの持つものとは違い小ぶりのものだが、刺された場所が悪ければ無論死に至る。男たちはサディステッィクに笑っているから、獲物は殺されないまでも、無事では済まないだろう。路上に二人、屋内に数人の気配がする。
「や……やめ、やめて!」
被害者はまだ若い男のようだった。
「やめられねぇな。実はおめぇ嫌いなタイプなのよ。だからちょっと痛い目を見てもらおうってさ。ここんとこと……ああ、この辺りにもどうかな?」
「ははは! そりゃいいぜぇ。金持ちのヤサ男の顔に井の字型の傷なんて洒落てらぁ。こいつに騙されてた女達には溜飲の下がる話だなぁ。するってぇと、こりゃ社会奉仕か?」
「そうそう。俺らはボランティアだぜぇ?」
「ひゃあ! 顔は! 顔はやめて! 助けて!」
男たちは聞かず、ひぃひぃと泣いている若者の頬に刃を近づけた。
「その辺で止したがいい。虫ケラ」
低い恫喝。
「何!?」
「だ、誰でぇ!」
「誰でもいい」
暗がりから現れた巨大な影に、男たちは一様に怯んだようだった。
「あんたらの事情は知りたくねぇが、その程度にしてやりな」
言いながらレオはつけていたグラスを外した。
闇に浮かび上がる二つの金色。
「……な……」
「やっ! 野人!?」
おかしいくらいに男たちは慌てた。
「そうだ。俺は野人だ。お前ら二人の息の根を止めるなんざ、朝飯前だぜ。さぁ、どうする? 運が良ければ、そのしょぼいナイフでかすり傷ぐらいはつけられるかもしれねぇが、やってみるか?」
弱いものには強かったが、元々大した度胸もなかったのだろう。男たちは若者を突き飛ばすと
声も立てずにレオの横をすり抜けて逃げ去った。屋内で様子を伺っていた数人の気配も消えた。
後には地べたに這いつくばって泣いている若い男が残った。
「おい。立てるか?」
「ひ、ひいいい! たったすけっ」
若者の口腔や汗腺から<ナイツ>の香りが立ち昇った。この様子では中毒とまではいかないまでも、最近は立て続けに吸引しているらしい。しかし今はすっかり打ち萎れて、顔は血と涙に汚れ、下半身は漏らした小便にまみれていた。彼は情けない泣き声を立てた。
「ひあああ……」
「面倒くせぇ……」
近くで見ると男は本当に若かった。腰が抜けた状態で、あわあわと尚も逃げようとしている。人間の生活年齢でまだ二十歳にもなってはいないだろう。もしかすると十六・七の少年かもしれない。ジャポネーゼは見た目は年齢より若く見えるから、本当のところはレオにはよく分からない。
だが、この男を少し揺すぶれば、今逃げた小物たちの絡む別のルートが判明するかもしれない。先ほどの話では、この男の父親は街の資産家らしいし、<ナイツ>の市場が思わぬところで展開しているのは間違いなさそうだ。
シンジョウとの契約は、どんな小さな密輸経路でも疑わしい情報でも手に入れ次第、報告しろという事だった。後は向こうが分析して捜査する。
「おいお前、助けてやる」
レオは低く言って、男のベルトに手を掛けた。
「え? ひええっ!」
荷物のように肩にしょわれて若者は細い悲鳴を上げた。
「うるせぇ。騒ぐと落っことすぞ」
レオの一括で若者は黙った。
「た……助けて」
「今言ったろう? 助けてやるって。いいからその口塞げ」
レオは言いながら腕の端末を開いた。青い電子の画面が闇に浮かび上がる。
「シンジョウ」
「お前か。今連絡が入った。今回もご苦労だったな」
「あの後、もう一件あってな。どうやらこの街のお坊ちゃまたちにも<ナイツ>は浸透しているらしいぜ。そのことについてはこいつから聞いてくれ。おい、お前、名乗れ」
「名……?」
「名乗れ」
レオは繰り返した。
「ケ……ケン・タカクラ」
「投げ出されたいか! 本名を言え!」
「ひいいっ!」
「待て。その顔、見覚えがある」
画面の中のシンジョウが言った。レオはぐいと端末を近づけた。
「ほぅ……アンタは経済省の副事務次官のご子息ではなかったかな?」
「ひぅ……しっ……知っ……知って」
「まぁね。私の仕事は知る事だからね。君、最近何度か公安のお世話になったでしょ? 女性からみだったかな。その度お父上が揉み消してたようだけど」
「この坊ちゃんは最近<ナイツ>がお気に入りのようだぜ」
「おやまぁ、そこまで堕ちちゃったかぁ」
シンジョウは飄々と言った。
「お……親父には黙ってて……」
「さぁね。とにかくアンタにはこれから聞きたい事が一杯あるからね。君済まないが、迎えをよこすからこのドラ息子を放り込んでくれないか? 後は我々の仕事だ」
「承知」
レオは短く言った。若者は肩の上で無様に泣き叫ぶ。
「嫌だ! 刑務所は嫌だ! 助けて! 見逃して!」
「うるせぇ! 殺されなかっただけましだと思え!」
「ほんとにそうだよ。<ナイツ>に手を出さなけりゃ、まだしも救えたかもしれないけどねぇ、ダメダメ。……ああ、ホントやだねぇ。どんなに片づけても仕事は後から後からやってくる。君、知ってるかい?」
画面のシンジョウは肩を竦める。
「知らん」
「私はねぇ、仕事のお蔭で人生のシアワセ棒に振った男なんだよ。だから、仕方がないから仕事が無くなるまでとことん攻撃することに決めたのさ。ああ、これで今夜も徹夜だねぇ。何日家に帰ってないんだか。君、こうはなるんじゃないよ?」
げっそりした顔でシンジョウは笑った。
「大きなお世話だ。俺は仕事よりシアワセを取る」
レオは無慈悲に答えた。
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