深紅の舞台で。
ミスティが落ち着きを取り戻したのは十数分後のことだった。
されど頬は依然として赤く、足取りはどことなくおぼつかなかった。
でも、いくらなんでも俺と肩を歩いたまま町を歩くわけにはいかない。俺の肩に預けられた彼女の体温はやがて遠ざかり、友人と言うには若干近い距離で肩を並べて歩いたのだ。
――――ちなみに、ミスティが駆け付けたのは妙な予感に駆られたからだとか。
正直、助かった。
(……あ)
考えてみれば、俺はこのままミハエラ様の傍を離れてよかったのだろうか?
相手は元皇族だというのに、こうして離れたのは問題かもしれない。
「グレン? どうかした?」
隣を歩くミスティが首をかしげて尋ねてくる。
「ちょっとね。――――ってか、雪に濡れてるじゃん。傘使おうか」
俺はそう言って懐に手を入れ、折りたたまれた傘を取り出しミスティに渡した。
物持ちが良いのね、ミスティはそう言ってくすっと笑うも、俺が傘を一つしか出さなかったことに違和感を覚えた。
「一つだけ? グレンは?」
「俺はいいよ。別に寒くないし」
「なら、こうしましょう」
ミスティは傘を広げ、俺と更に距離を詰める。
俺たちは肩と肩が擦れ合うくらい傍で、同じ傘に入った。
「……色々問題にならない?」
「心配しないで。無辜な臣民に手を出す姉より、ずっと常識的だから」
どうやらまだ怒りは収まっていないらしい。
「それで、さっきは何を心配していたの?」
ただ、俺に投げかける言葉は優しさに満ち満ちている。
穏やかで、俺を気に掛ける包容力があった。
「ミハエラ様の案内を頼まれてたのに、事情があるとはいえ離れるのはどうなのかなって
「気にしないでいいの。それに、グレンが頼まれたのは出迎えだけでしょ? ……そうだ。どうしてグレンはあの倉庫に?」
「それなら、ミハエラ様の荷物が届いてるからーって話だったからさ」
「……なら猶更ね。ミハエラお姉様の荷物なら、ご本人が到着する前に城に届いてたわ」
(本当にただ戦いたかっただけなのか)
かと言ってこのままでいいものかと迷った俺だったが、ミスティは相手をする必要はないと繰り返した。
後のこと自分が夜にミハエラと直接話すとのこと。
俺は学園でしなければ行けない仕事もあるため、今回は素直に甘えることにした。
「ミスティ」
ここまで裏道を通り、なるべく人通りの少ない場所を選んでいた。
だが、もう学園が近いからミスティに距離を置くよう促した。
彼女は若干不満げにしつつ、傘から手を放そうとする。俺はその手に傘を握り直させて、駆け足になって強引に傘を預けた。
「俺も学園で仕事することにしたから、それじゃまた!」
「あっ、――――グレンったら!」
背中にミスティの声を受けながら、職員用の出入口へ向かう。
別に俺は学生用の出入り口から入ってもいいのだが、すぐにミスティが来ると思うと、カッコつけて傘を預けたのに収まりが悪い。
というわけで、俺は冬化粧された学園の中に足を踏み入れる前に、髪の降り積もっていた雪を払う。
仕事をするために借りている部屋への渡り廊下を進むと、久しぶりの顔が見えてきた。
「む?」
クライト・アシュレイ。
以前、アリスに女の敵と言われ、第五皇子の騒動ではトカゲのしっぽ切りにあいかけた、不憫な伯爵家が嫡男である。
「君か。久しぶりだな」
「こっちこそ。そっちは元気そうだね」
「おかげさまでな。……それで、君はどうして学園に?」
俺たちはとりとめのない話を交えながら渡り廊下を歩いた。
「いつも通り仕事って感じ」
「前々から気になっていたのだが、学園での仕事はどのようなことを?」
「そりゃ……この学園が公的な施設だからってので、領主代行として確認が必要な仕事とか。他にも、ジルさん繋がりの輸出入管理だとかもあるけど」
「ジルさんというと、学園長か。相変わらず、君の交友関係は計り知れないな。あの大魔法使いを愛称で呼ぶとは驚いたぞ」
話をしながらクライトの横顔を見る。
しっかし、本当に俺と一歳しか変わらないのか? 筋骨隆々すぎる体格と大人びた顔立ちには、いつ見ても驚かされる。
――――ふと。
「なんでこんなに賑やかなのさ?」
どうやら休み時間に突入したようなのだが、いつも以上に生徒たちの声が賑わっているように感じた。
「一年に転校生が来てな。その転校生がそれはもう見目麗しい姫君なんだ」
「あー……ジルさんも言ってたような。ってか、姫ってことは何処かの国の王族なんだっけ?」
「いいや。この場合の姫は高貴な身分という意味の姫だ」
「ああ、なるほどね」
「ん? 君はあまり気にならないようだな」
「そんなジルさんと同じようなこと言われても。綺麗な子ってのは分かったけど、だからといって別に俺と関係あるわけじゃないしさ」
「……まぁ、君の傍には二人も美姫が居るからな」
そう言う意味じゃないって、と俺は苦笑を浮かべて否定した。
けど、やっぱり名門と言えど少年少女。
評判の転校生が居れば、学園ごと賑やかになるらしい。
「学園内ではあの二人に劣らぬ佳人と評判だ。男子諸君の間では、また君に取られないかと思う輩も居るそうだぞ。――――ほら、見てみるといい」
渡り廊下の途中で幾人かの男子生徒たちとすれ違う。
俺が振り向いてみると、彼らは妙に俺を警戒していた。
ついでにもう少し進んだ先の廊下では、俺が来るや否やわざとらしく並んで会話をはじめた者の姿もあった。俺をその先に進ませたくないようだ。
「別に取る取らないの話じゃないんだけどね……」
「では嫉妬と言い換えよう。それにしても嘆かわしい話さ。名門シエスタ魔法学園の生徒として、情けない姿だ」
「いいよ、気にしてない。それも青春だと思っておく」
「実のところ、ただの青春と片付けることもできなくてな」
「ん? どういうこと?」
「君はあまり知らないだろうが、君を疎んでいる男子諸君の九割がとある派閥と関係してる。貴族であったり、ある者は貴族の嫡子だったりとな」
その言葉だけで想像できる。
「元・第五皇子派かな」
奴の派閥に居た関係者なら俺に不満があってもおかしくない。
これはあくまでも、俺が暗殺者として何らかの関係があるということではない。裏で暗躍し、多くの貴族と
つまるところ、そのラドラム・ローゼンタールが背後にいると思われているハミルトン家へも思うところがあるということ。
………男子諸君の嫉妬については如何ともしがたいが。
俺がこう思っていると。
「正しくは、近衛騎士団長派であったり、色々だな」
クライトが言った。
曰く、第五皇子派だった貴族は主君が死んだことにより派閥が瓦解して以来、彼らにとって都合のいい有力人物たちへ鞍替えしたのだとか。
それらの者たちは当然、ハミルトン家やローゼンタール家とは距離を置いている。
悪感情も、わかりやすいという話だ。
「あまりにも目につくようだったら私にも教えてくれ。伯爵家の跡取りとして、情けない生徒には灸をすえるからな」
クライトが肩をすくめ、やや仰々しく首を振った。
「別にいいよ。それでクライトまで疎まれたら面倒じゃん」
「忘れたのか? 我が家はすでに君と同じ一派なのだが」
「あー……考えてみれば確かに」
「帝都ではローゼンタール派と呼ばれたり、ハミルトン派と呼ばれて定まらないがな。しかし、三つの家系のみで大きな一派になるとは、わからないものさ」
しかし発言力は他の派閥に負けていない。
国内外に名を馳せるローゼンタール家に加え、あのクリストフが勝てないと認める父上。更にアシュレイ家だって伯爵なのだ。
急激に勢力を強める様子には、他の派閥が警戒して然るべきだった。
「――――しかし、あれほど袖にされたというのにめげない男子諸君には、敬意すら覚える」
ふと、クライトが話題を変えた。
「ん、誰に?」
「転校生にな。彼女の口調は穏やかで気品を感じさせるが、その実、はっきりとした断り文句を孕ませている。なんとも見事な女性だぞ。その防御力には、実は恋愛対象が同性なのかもと言われてるくらいだ」
「詳しいじゃん。クライトも自分で押してみたとか?」
「ば、馬鹿を言うな! こちとら許婚がいるのだぞ!? 帝都で父上と共に転校生と会い、その際に転校生の口調を覚えたというだけだッ! 私は貴族として挨拶に行っただけなのだッ!」
「ごめんごめん。つい」
などと話をしている間に、俺は目的の会談の手前にたどり着く。
クライトは別の場所に行くようで、荒げていた声を落ち着かせてため息を吐いた。
「ではな」
「話し相手になってくれてありがと。楽しかったよ」
「……ふん、それは何よりだ」
あいつは若干照れくさそうにそっぽを向いて何処かへ行ってしまった。
「お前やっぱりいい奴だろ」
勝手に男友達と思っている俺からしてみれば、末永く仲良くしていただきたいものである。
……さて、というわけで仕事だ。
予定外の流れになってしまったが、忙しいことに変わりはないのだから、この時間を無駄にしないよう努めなければ。
◇ ◇ ◇ ◇
「てなわけで、仕事を頼みたいわけさ!」
ドンッ! こんな音を立てて俺が借りた部屋にやってきたジルさんが言った。
勿論、全部わからない。
何が「てなわけで」となり、仕事を頼みたいのかさっぱりだ。
なので無視するに限る。
一瞥もくれず机に向かっていると。
「頼むよぉ~……いいじゃないか若者! 私と君の仲だろー……?」
ジルさんは机までやってきて、俺が片付けていた書類の上に仰向けになりおおせた。
頬が引き攣りそうになる。でも俺も負けていられない。
「ふ、ふぐぉ!?」
ペンを手にしたまま、反骨精神を露に手を動かす。
その手が偶然にもジルさんの脇腹を突いたのだ。
「あの、若者? だか私は――――へぐぅっ!? ま、待て! 待ってくれ! 当然お礼はする! これは正当な取引になるんだぞ!?」
「……ついさっき、ジルさんの弟子と一戦やりあったばっかりなので遠慮します」
これには直接的な理由はない。
単に俺の気持ちの問題だ。
「うちの文官三人を増援に送ろう」
が、俺の興味を誘う言葉が聞こえてきてしまう。
「どうかね? いくらでも手は欲しいだろ?」
「内容次第です」
「ああ気にしないでくれよ。これは前々から決めてたんだ。今回は君のお父君も忙しそうだしね!」
「はい? ではなんでここで文官三人って言ったんです?」
「そんなの、私がそれにかこつけて言ったからに決まってるじゃないか」
すっげぇ無視したい。
でも、ジルさんの気が変わるのは避けたかった。
「明日の午後から学園内の大講堂で集会があってね。その前後で書類の回収とか運搬があるんだけど、手が足りていなくて困ってるんだ。ほらうちって、教員も女性が多いだろ?」
「それは、」
「ああ、別に男女差別とかいう時代錯誤なことをいうつもりじゃないさ! だが実際、男手があると助かる話は如何ともし難くてね……」
「……いつも思うんですが、魔法を使って運べばいいのでは?」
「何事も魔法でってのは感心しないね。健康な身体あってこその魔法だろう? だから皆には運動もするようにと言い聞かせてるんだが、このご時世だと中々ね」
一理あるけど、この人が言うとなんとも。
だが答えは決まっている。
こちらとしても、文官を借りられるのなら礼はしなければ。
「いずれにせよ、そのくらいでしたら構いません。協力します」
「助かるよ! ――――ところで、私の弟子と一戦やりあったっていうのは何だい? ミレイユが帰還早々君を襲ったとでも?」
「よくお分かりですね。一枚噛んでましたか?」
「いいや。あのお転婆ならやりかねないなーと思ってね」
貴女も大概ですよと言いたい。
……だが本当に噛んでなさそうだから、この際棚上げとしよう。
◇ ◇ ◇ ◇
翌日。
講堂で開かれる集会は、銀月大祭にかかわる集まりだった。
その中でも、シエスタ魔法学園の学園祭にかかわる内容が主体となる。
このことを俺は、当日の昼過ぎになってから理解した。
資料室でいつもと違う書類仕事に励んでいたら、必然的に内容がわかったのだ。
「ま、だと思ってたけど」
「グレン様? 何か仰いましたか?」
「いえ。アルウェンさんも大変だなーと」
「大丈夫ですよ。もう慣れましたから」
ジルさんの補佐官こと、アルウェンさんが苦笑する。また、俺たちの周りには他にも教員たちがいて、忙しなく仕事に励む様子が見て取れる。
「それにしても申し訳ありません。毎年のことなのですが、銀月大祭前の集会では、どうしても何度も講堂を往復しなければならなくて……」
しかし、気になる。
ここにいるアルウェンさんは仕事ができる女性だ。自由奔放な学園長の傍で長い間努めてきたことがその証明でもある。
だというのに、毎年のように書類周りで忙しくなるとはどういうことだろう。
「……一つ聞いてもいいですか?」
「はい、どうなさいましたか?」
「毎年のように忙しくなるとのことですが、事前に準備することはできないんでしょうか」
不躾なことは承知しているけど、聞かずにはいられなかった。
すると、アルウェンさんは若干苛立った声色で答える。
「政治的に高度な話が関わってくるせいもあり、生徒たちに情報を伝えられるのがギリギリになってしまうんです。すべては、貴族たちの
その苛立ちは俺に向けてではなく、彼女を悩ませる貴族たちの面倒な関係にあった。
なおのこと、魔法で荷物を浮かべてでも運ぶべきではなかろうか。
とか言ってしまうと、またジルさんが関係してきそうだからやっぱいいや。
「銀月大祭は多くの金や人の流れが生じる大イベントですから、国内に限らず、国外と関係のある貴族も関わるのです。おかげさまで、我々がしわ寄せをいただけるというわけですよ」
「……ほんとにすみません。今年はうちも関係ありますので」
「い、いえいえいえいえっ! お気になさらず! グレン様は勿論、ハミルトン子爵のおかげで私はいつも助かっておりますから! これまでの領主と違い、我ら下々の者も気遣ってくださってますし!」
「あはは……そう言っていただけると救われます」
俺は周囲の教員からも似たような言葉を投げかけられながら、仕事のつづきに戻る。
アルウェンさんはさっき、生徒に情報を告げるまで時間が掛かるという旨を口にした。
書類を見るに、学園祭も無関係でいられないらしい。
この学園には国内の有力人物の子は当然だが、他国の有力人物の子も居る。
その影響で学園側としては、まず貴族たちとの折衝をすべて終わらせてから、学園祭での出し物をはじめ、各催し事への許可や割り当てにリソースを割く。
そのため、学園祭としての準備期間は三週間程度であるとか。
(これがギリギリで、しかもちょうどいい期間って感じか)
代わりに教員たちは動けるようになってすぐに忙殺される。
すべては生徒たちのため。
何とも生徒揃いの教員ばかりではないか。俺も胸を打たれそうになってしまった。
「よし――――っと」
俺はまとめていた書類の支度ができたため、作業に使っていた机を離れる。
紙の束は重くないけど、なにぶん重ねに重ねたためかさばる。両手で抱えて落とさぬよう注意を払った。
「俺は講堂に行ってきます」
「はい。度々ご足労をお掛けしますが、よろしくお願いいたします」
アルウェンさんに返事をもらい、資料室を後にする。
廊下に出た俺が向かうのは、学園でも奥まった場所に位置する場所だ。
目的の講堂に足を運んだ経験はあまりないが、その講堂は大きく目立つため道に迷うことはない。
行き来もしやすく、ほとんどの階と繋がっているため行きやすかった。
――――資料室を出て、数分。
面前にそびえ立つ巨大な木の扉を開けると、その奥には奥に向かって下がっていく席が並んでいる。
その光景はさながら著名なオペラ会場のようで、学生のための施設とは思えないほど豪奢だ。ほとんどの階層と繋がっているのも、こうした巨大な造りだからである。
俺はその通路に敷き詰められた深紅の絨毯を歩いていく。
幸いなのかどうかという話だが、生徒たちの注目を集めることはなかった。
いまはこの場に集まった生徒たちがいくつかの団体に分かれて、教員や外部の者から学園祭、その他に関する情報を聞いている最中だったから。
(どこだろ)
持ち運んだ書類を両手に抱えたまま周りを見渡す。
渡す相手だが、アルウェンさんの気遣いによりアリスとミスティのクラスに対して。
顔見知りのため探すのが楽だろう、こうした理由のためだ。
それから、広い講堂を見渡すこと数十秒が過ぎた。
目的の二人の姿は、間もなく視界に収める。
(あっちか)
一つ下の階層に居た二人を見つけ、書類を落とさないように歩きだす。
階段を降りるときには下が見づらいけど、このくらいならどうってことない。
「あ、ハミルトン家の! 俺たちも手伝おうか?」
「こんにちは。そんなに持って大丈夫?」
途中で幾人かの生徒たちが声を掛けてくれた。
今日まで学園に何度も来たこともあり、こうして気軽に声を掛けてくれる生徒たちも居た。
そりゃ、昨日の男子生徒たちのような者たちもいるが、基本的にはほとんどの生徒が俺に対しても気さくに接してくれる。
「ありがと。でもこれくらいなら大丈夫だよ」
相手も恐らくどこかしらの貴族だろうけど、あまり気にせずフランクに返した。
学園内では身分の差はない、と前にジルさんも言ってたから大丈夫だろう。声を掛けてくれた二人も笑顔で俺を見送ってくれたから、そのはずだ。
というわけで、また階段を下りていく。
すると、少し先の場所に固まった団体の中で、アリスが俺に気が付いて手を振った。
『転ばないように気を付けてくださいねっ! ……っというか、私も手伝いますっ!』
唇の動きから察するに、こんな感じだろうか。
つづけてミスティが俺を見て。
『私も手伝うわ』
声に出さずこう言ったのが分かった。
でも俺は二人に「大丈夫だよ」と返す。二人は自分たちの行事のために話を聞くべきだし、こういう仕事は手伝いで来た俺に任せるべきだ。
……階段を下りきった俺は、さらに下の階へつづく階段と、左右に伸びた連絡通路のある踊り場を進んでいた。
あと一つ下りれば、アリスとミスティが待つ階層にたどり着くのだが……不意に、灯りが消えた。
(ん?)
講堂はほとんどの箇所が真っ暗闇に覆われて、最奥にある檀の上だけが照らされる。
驚きの声が各所から上がるところへと、どこからともなく。
〈失礼致しました。魔道具の操作を誤ったようです〉
という声が響き渡った。
拡声器? いや、それも魔道具か。
どちらでも構わないけど、足元に気を付けて進まないと。
「――――あちら……でしたわよね……」
すると、そのとき。
連絡通路を歩いてきた女生徒と俺の肩が微かに擦れ合った。
(っとと)
暗闇であろうと気配はわかる。
だから反応して身体を動かすことで、女生徒との衝突を避けのだが……。
(すごいな)
女生徒もまた、俺と同じようにすぐさま反応してみせたのだ。
おおよそ学生とは思えない振る舞いに驚きの声が漏れそうになる。だが、その声が漏れるより先に、俺が抱えていた紙が数枚ほど床に落ちた。
「も、申し訳ございません……っ! ちょっとよそ見をしてまして……っ!」
「いえいえ、俺もなのでお気になさらず」
その女生徒は謝りながらしゃがみ込み、俺が落とした紙を集めはじめた。
こちらはしゃがみにくいから助かったところである。
「――――リア様。どうかなさったの?」
「……ータスさん! よければ、俺の手を!」
「いいや――――それなら俺が――――ッ!」
近くから声が聞こえてきた。
その声は俺の傍に居る女生徒に向けられているようだ。
もしかして、彼女が噂の転校生なのだろうか。呼び声の多くが男性のもので、競うような声にはそう思わせられる。
……しかし、聞いたことがある気がしてきた。
勿論、女生徒を呼ぶ声ではなくて、女生徒本人の声について。
「重ねてお詫びいたしますわ。先ほどは私の不注意でし――――」
その疑問への答えが、少しずつ近づいてくる。
「……え?」
つづけて、俺の情けない声。
立ち上がった女生徒は俺が抱えた紙の束に紙を置き、ふ……っと顔を上げて俺を見た。
まだ、辺りはほとんど暗闇だ。
それがまるで、あの日の夜みたいだった。
「…………」
「…………」
あの晩、リベリナで過ごした命懸けの夜のこと。
必死になって彼女を守ろうとしたときのように、暗がりの中で彼女が俺の瞳を見つめていた。
互いに硬直して、数秒。
灯りが戻り、俺たちの周りが照らされる。
駆け寄ってきた彼女の級友たちが何か言いたげだったけど、皆、一様に口を閉じる。
それは、俺の目の前にいる彼女が煌々とした可憐な笑みを浮かべ、更に瞳から一筋の涙を流していたのを見て。
――――そして。
「……また、お逢いできましたわね」
驚きのあまり硬直していた俺の胸に、彼女が――――リリィが勢いよく飛び込んできた。
俺が抱えていた紙の束は宙を舞い、花弁のように舞い落ちる。
普段であれば容易に受け止められるはず。だけど、まだ驚いていた俺は後ろにしりもちをつきながら、リリィのことを受け止めた。
「リ、リリィ!?」
「ええ、私ですっ! リリィですっ!」
彼女は涙を流しながら、俺の胸板に顔を擦りつけていた。
だけど分からない。どうしてリリィがこの国に居て、しかもシエスタ魔法学園の制服に身を包んでいるのか、端から端までまったく理解が追い付かない。
だが、本物だ。
彼女は紛うことなく本人だ。
(そうか! 転校生って……ッ!)
色々と合点がいった気がする。
これまで得た情報をすべて掛け合わせると、それがリリィだと言われるとしっくりくる。
ただ、俺が予想できる話でなかったというだけだ。
(あの狸が知らないはずがないな)
ということは意図的に隠されていた。
とは言え、俺には知る機会が何度もあった。
思うところは色々あるし、言及したいことは山ほどある。
しかし、若干冷静になった俺はそんな状況でないことを理解した。
周囲から聞こえてくる驚きの声。
リリィの級友たちがそれはもう驚愕し、男子生徒の何人かは魂が抜けたかのように唖然としていた。
『――――しかし、あれほど袖にされたというのにめげない男子諸君には、敬意すら覚える』
そういや、クライトが言ってたっけ。
なのに急に現れた俺がこんなことになってたら、驚いて当然だろう。
近くに偶然見えたクライトが、頭を抱えて天井を仰ぎ見ていた。
更に説明すれば、当然のようにアリスとミスティも目を点にしていた。
……やがて、ほぼすべての生徒たちが驚嘆の声を上げたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
【告知】
1・新作
『物語の黒幕に転生して~主人公を裏切るキャラに転生したので、ゲームの知識と自分だけのスキルを駆使して異世界の理不尽に立ち向かう~』
こちらの連載を開始しました。(現在はカクヨム限定です)
新作は約20万文字まで毎日更新となるので、是非プロローグやあらすじをご覧いただけますと幸いです!
2・『魔石グルメ』の更新も明日から再開します!
以上、この場を借りて2つご連絡させていただきました。
引き続き、著作をどうぞよろしくお願いいたします。
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