六章―銀月大祭―
寒さ近づくその前に。
舞い上がる砂塵。辺りに漂う血の臭い。
そして、そこを歩く二人の強者。
「おいこの爺ィッ! 無駄足だったじゃねえかッ! 殺すぞッ!」
時堕・カールハイツが荒野を歩きながら苛立ちに満ちた声を上げた。
「……でスから、最初からその可能性が高いと言っていたでしょうに」
占星術師・ゲオルギウスがそれに答える。
彼らが進む荒野には時折、風化した遺体が転がっている。
おおよそが白骨化しているか、ミイラとなっていて最近の死でないことは明らかだった。
つまり、この二人が何かしたというわけではない。この辺りは小国家に挟まれた紛争地域で、遡ればガルディア戦争以前からつづく戦場だった。
「ったくよォ、大司教様がいらっしゃった――――って話じゃなかったのか? 紛争地域の難民に顔を見せに来てたんだろ?」
「それは間違いありません。ですが、我々は一足遅かったようでス。五人の大司教様たちは皆々様お忙しいとのことでスからね」
「また探り直しってことかよ」
「そうなりまス」
「…………ハァ。帰るか」
「でスね。ここに居ても意味はありませんし」
こうして二人は荒野を進んだ。
砂塵を切るように、時にミイラの横を横切りながら。
すると、不意に。
『行けェエエエエエッ! 殺せッ!』
『蛮族を殺せ! 皮を剥ぎ、首を曝せッ!』
何やら物騒な声が聞こえてきたのだ。
でも、それらの声は二人に向けられたものではない。物騒な声で同士で衝突しあい、更に剣戟の音や、魔法による轟音を奏であっていた。
耳を刺す強烈な音の暴力に対し、二人はそれでも落ち着いていた。
「次の目的地はどうするんだ」
「さて、検討中でス」
意に介することもなく、ただ自分たちの歩幅で歩くだけ。
歩くたびに音は大きくなっていく。
二人がその中心に近づいていることの証明だが、二人の様子は変わることが無かった。
しかし、おもむろにその足が止まった。
止めたのはゲオルギウスだった。
『貴様らは等しく蛮族だッ! この愚か者どもッ!』
それは女性の声だった。
ゲオルギウスはその声に聞き覚えがあったわけではないのだが、心の端に置いていたとある情報を思い返し、まさかと思い興味を抱いたのである。
『ッ――――撤退しろッ! あの女を相手にするなッ!』
『こちらも撤退だッ! 急げ急げッ!』
砂塵の先で、蜘蛛の子を散らすが如く勢いで人々が撤退していく。
「そういやァ、この辺りは例の姫様がいるんだったか」
「はい。シエスタ帝国が誇る元・第二皇女こと、
「シエスタみてぇな国の帝都から、こんな血の臭いがする荒野に引っ越したってのか?」
「聞けばそのような話でス。姫君の一目ぼれとのことでスよ」
二人が呑気に会話をしていたところへ、前方から数頭の馬が近づいてくる。
中央を進む馬を駆る者は豪奢なマントを砂塵に靡かせ、シルエット越しでも覇気を感じさせた。
その両隣を走る馬に乗る者たちも、筋骨隆々な大男たちであった。
馬に乗る者らは、二人の前で立ち止る。
「何者だ」
声を発したのは女性で、先ほどまで二人が話していた人物だ。
長い銀髪を靡かせた彼女の顔つきは美しくも、どこか野性的な力強さがあった。発した声にも迫力があり、訓練を受けたことのない平民であれば、すくみあがってしまうこと必定である。
「旅人だ。見て分かんだろ」
彼女に対し、カールハイツが気だるげに答えた。
「フードを外せ。我にその顔を見せろ」
「俺はてめェの民じゃねェ。従う義理はないと思うが」
「……ほう」
元・第二皇女と、彼女に付き従う騎士が一斉に殺気立つ。
けれど彼女はすぐに落ち着きを取り戻す。
依然として変わらぬ態度で、しかも自分たちが負けるとは思っていない態度の二人に対し、経験したのことのない不気味さを覚えた。
「我が名はミハエラ。そなたらが歩く場所は我がシエスタ領内である。故に我の命令を聞く義務があろう」
「失礼でスが、それは誤りでス」
「誤り、だと?」
「はい。貴方の領地はここより数分戻った場所からでス。ご覧になれますか? あちらに鎮座する大岩が国境だったはずでスが」
ゲオルギウスが見た先に大岩が鎮座していた。
ミハエラは振り向きそれを確認し、すぐに溜息を漏らした。
「悪いが、それでも無視はできん」
「あン? なんでだよ?」
「そなたらの立ち居振る舞いを見るに、ただ者でないことは明らかだ。故に我はそなたらの素性を知らぬまま見逃すことはできん」
ただでさえカールハイツは苛立っていたというのに、これではいつ手が出てもおかしくない。
そのため隣に居るゲオルギウスは自分がどうにかしなけばと思った。
しかしカールハイツは楽しそうに笑い声をあげ、仕方なそうに口を開く。
「安心しとけ。俺様たちはこのまま中立都市に向かう」
「残念だがそれだけでは情報が足りん。せめて、そなたらがここに来た目的を教えてもらおう」
「いいぜ」
ゲオルギウスはもの言いたげだったけど、気にすることなくカールハイツが笑う。
「この辺りに大司教様来てるって話を聞いてな」
「……なんだ。そなたらは聖地の信者だったのか」
面倒だと思った。
聖地の教えを信じる者は一個人であろうと手を出したくない。それがミハエラの考えで、同じように彼女に付き従う騎士たちも肩をすくめていたのだが……。
「違ェよ。殺しに来たんだ」
ミハエラたちは一瞬で目を見開き、唖然とした。
「で、どうだ? この答えじゃ足りねえか?」
「い……いや……目的は分かったが……」
「だったらなんだよ、不満だってのか? 別にてめェらに関係ねェだろ?」
予想していなかった言葉にミハエラは返答が思い浮かばない。
こうしている間にもカールハイツとゲオルギウスが歩きはじめ、ミハエラの隣をすれ違う。
やがて二人は、砂塵の奥に消えてしまった。
「姫。よろしいのですか?」
「無視はしたくなかったというのが本音だ――――が、分からん。あの二人には手を出すなと、と本能が訴えかけて来たのだ」
「……確かに迫力がある者たちでしたな」
「うむ。それに奴の声、本気で大司教を殺すつもりに見えた」
ミハエラはしばらくの間立ち止り、先ほどの出会いを反芻する。
動きはじめたのは、数分が過ぎてからのことだった。
「砦に帰還する」
「はっ!」
騎士たちの声を聞き馬を走らせる。
そうして走らせるうちに、ミハエラは遠く離れた生まれ故郷のことを思い出す。
「もうすぐですな」
「うむ、数年ぶりの帝都だ。……夫と娘には悪いが、しばらくは離れ離れになるな」
秋の暮れ、久しく見ていない帝都の景色に思いを馳せる。
帝都に到着するのは雪が降る前か、はたまた降りはじめた頃か。
「ミスティは元気にしてるだろうか」
風剣の異名を持つ姫は灰色の空を見上げ、目を細めたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
天球の頂上から降り注ぐ陽光は暖かかったが、最近は朝晩がめっきり冷える。
これはシエスタにも冬が近づいてきている証拠だろう。
――――ところで、俺は帝都の冬にあまりいい思い出がない。
遡ること一年前には第五皇子のパーティで父上がバルバトスに嵌められ、あわや大惨事に陥るところだったから仕方のないことなのだ。
今ではその城に度々足を運んでいるのだから、人生は不思議なもんだ。
「以前にも増して筋がいいですね」
庭園の一角で、魔法の師こと魔法師団長クリストフが俺を褒めた。
俺の手元に生じた雷魔法の出来を見て、本心からの称賛の声を発したのだ。
「何かあったのですか? グレン少年を刺激するような何かが」
「……いえ、特には」
俺が白獅子を戦ったことに加え、カールハイツとも戦ったこともラドラムしか知らない。
しかしラドラムはカールハイツからの手紙を含む、聖地の不穏な動きはシエスタの重鎮にも知らせていた。そのため当然、クリストフも事情は知っている。
………いや、正しくはこうか。
俺が白獅子と戦ったという話はクリストフも知っている。
けれど、俺が倒す直前まで戦ったとは思っていない。
クリストフの耳に届いたのは、俺が命掛けで白獅子を撃退した後に中立都市リベリナに帰還を果たし、その後、何者かの手により白獅子が殺されていた、という話だ。
それでも、クリストフは俺が帰国してすぐに讃えた。
彼にしては珍しく、熱のこもった態度で俺の戦いぶりを称賛したのだ。
何せ白獅子はガルディア戦争における英雄と謳われる存在だ。
その英雄を前に死なず、逆に撃退したということに強く驚いたらしい。
(これも伝えるのは迷ったけど)
俺が重傷を負ってリベリナに帰った時点で、何かあったことは誰にだって分かる。
ここで白獅子との戦いを伏せることは叶わないことから、なるべく情報の取捨選択をして公にされたということだ。
……隠す理由だが、結局のところは以前の帝都議会の件に遡る。
俺にバルバトス暗殺の容疑がかけられたのは記憶に新しい。
であれば、白獅子との戦いでほぼ勝利を収めたという結果を伝えてしまえば、大時計台におけるカールハイツの件も俺が関わっていると思われるだろう。
こうなってしまえば、今日まで色々動いたことが無駄になってしまう。
「さて」
俺が考えているところでクリストフが口を開く。
「今日はこの辺にしておきましょう」
「最近、クリストフ様は随分忙しそうですね」
「それはもう。……法務大臣殿からはリバーヴェル絡みの仕事を丸投げされたり、他にも帝都における将軍が不在のため騎士のまとめ役もそうですし、そもそもの魔法師団の仕事も年末が近づくにつれ仕事が増えますから」
「な……なるほど……」
話に聞くだけで多忙すぎる。
それでよく生きていられるなと思った。
「グレン少年からもアルバート殿に伝えてくれませんか? 現場実務はしなくても構わないから、いくらかの文書仕事と、あとは名前だけ貸してください、と」
そのくらいしてあげても罰は当たらないだろう。
父上は絶対に将軍なんてやらないと言い張っているが、クリストフが口にした程度の仕事なら許容してくれる可能性も……。
「すみません。ラドラム様が近くに居る間は絶対に断られると思います」
やっぱりないわ。
あの狸男が居る限り、父上は絶対に帝都と関わろうとしないはず。
「ええ、私もそう思います。名前を貸すだけと言ったが最後、何かにつけて仕事を任され、面倒ごとを押し付けられるに決まっていますので」
クリストフが歩き出したのに倣い、俺も庭園を歩きはじめる。
途中で俺は城の外へ、クリストフは口にしていた仕事をするため城内に戻るのだ。
近頃は俺も顔見知りの騎士や給仕が増えた。
特にミスティの世話をする人たちとは仲が良く、ついでに彼女の部屋に寄って行けと言われることが多々ある。
しかし、部屋の主であるミスティが居ないのにそれは如何なものか。
ミスティの周囲の者たちはよくわからない。
「……そういえば、アルバート殿はいまフォリナーの領主でしたね」
「あの、それがどうかしたんですか?」
気が付くと、クリストフの唇が幾分か緩んでいた。
さっきまでの疲れた様子がほんの僅かながら解消されたように見える中、クリストフは微笑を浮かべて繰り返す。
「大仕事を一つアルバート殿にお任せできると思い、若干肩の荷が下りたところです」
「微妙に俺も巻き込まれそうな気がしますね」
「はい。恐らく巻き込まれるでしょう」
断定した彼は城に入る直前、俺の方を向いた。
それにしても整った顔立ちだ。
女性が黄色い声を上げる理由がよくわかる。
「グレン少年はご存じですか? 冬になるとフォリナーでは、シエスタでも稀有な大きな催し事があるのですが」
「……あれ、去年は……」
「時期を思い出してみなさい。グレン少年が引っ越したのはもっと後のことですよ」
「そういえば、確かに」
で、いったいなんのことだろう?
小首を傾げた俺にクリストフは答えを言わず、
「では、次回の訓練で」
涼し気な顔で涼し気な声を発し、この場を後にした。
「帰ったら父上に聞いてみないと」
ことと次第によっては、しばらくの間、姿をくらますことも辞さない。
思えば俺は騒動に巻き込まれ過ぎなのだ。
つまり、初心を思い出す必要がある。
この世界に生を受けたとき、何を思った? そう、スローライフだ。静かな町で静かに暮らし、孫の成長を見守る――――そんな生活を望んでいたはず。
「おかしいな」
どこで道を間違えた?
ああいや、わかってる。はじめて帝都に来た日からだ。
でもあれは不可抗力だった。実際のところ、抵抗する余地のない出来事だったのだから、俺が進んで騒動に首を突っ込んだわけじゃない。
……その後は何度か自分から首を突っ込んだ気がするが、ひとまず置いておこう。
「帰るか」
俺が独り言をつぶやくと、その呟きに反応を返す者がいる。
それは、近くを通りかかった女性の騎士だ。
「グレン様ではありませんか。今日も閣下と訓練をなさっていたのですか?」
彼女はハミルトンにある我が屋敷にて、俺がミスティとアリスの部屋に入っていいか尋ねたときの騎士だ。
あの日から、リベリナでの騒動の後もしばしば会話をしていた。
「はい。クリストフ様がお忙しいので今日は終わりですが」
「そういうことでしたか。では、ミスティ様のお部屋に寄って行かれてはいかがです?」
……なにが「では」なのか。
脈絡が無さ過ぎる。
「俺の記憶が確かなら、ミスティは学園に居るはずですけど」
「ご安心ください。本日は授業が終わるのが早いので、そのままアリス様とご一緒にお帰りになるそうですよ」
聞いてない。端から端まで聞いてない。
ついでに言うと、まだ先ほどの「では」と繋がりが見えてこない。
「ということは、アリスが城に泊まるんですか?」
「いえ、用事が済み次第、ミスティ様がローゼンタール公爵邸に参られると聞いております」
それも聞いてない。もう全部だ。
呆気にとられた俺が天を仰ぎ額に手を当てていると、視界の端で目の前の女性騎士がきょとんとしていた。
大丈夫。俺も似たような気分に浸ってますから。
などと思っていたところへ、城へつづく扉が開かれて一人の男が現れる。
奴だ。腹の中を漆黒に染め上げたあの男だ。
「あっれー? グレン君じゃないか! こんなところで会うなんて奇遇だね!」
「申し訳ないのですが、もう帰るところです」
「そう言わないでくれよ。――――おっと、話の最中だったかい?」
いつの間にか頭を下げていた女性騎士に対し、ラドラムが陽気に尋ねた。
「はい。後程、ミスティ様がアリス様と帰城するので、お会いになっては如何ですか? とご提案を」
「そりゃいい!」
「――――え」
「せっかくだしね、うん。実は僕もグレン君に話したいことがあったから、ついでと言ってはアレだけど、僕の屋敷に泊まっていくといいよ! 二人も居るし、賑やかでいいじゃないか!」
「さすがローゼンタール公でございます。私もそう思いました」
「だろう? そうと決まれば――――」
気が付くと拉致られそうになっていた。
これはまずい。ラドラムに同調する者がいるとこれほど面倒になるとは……。
「ふ、二人とは――――特にアリスとは毎日会ってますし! ミスティとだって一週間の半分以上は会ってますから!」
「だからと言って、今日会わなくていいとはならないじゃないか」
「くっ……そういうわけじゃなくてですね……っ! せっかく二人が仲良くお泊りとしゃれこもうとしてるんですから、俺が邪魔しに行かなくてもいいのでは? ということですっ!」
これなら文句はないだろう。
いくらラドラムでも、そしてミスティに付き従う騎士であっても、こればかりは異論がないはずだ。
「なら別にいいじゃないか」
「はい。グレン様、それは杞憂でございます」
けれど、俺の予想は一瞬で裏切られる。
「アリスは勿論だけど、第三皇女殿下も邪魔には思わないよ」
「はい。ローゼンタール公が仰ったとおりでございます」
味方は居ない。
女性騎士もすぐに「それでは」と言って仕事に戻ってしまって、俺はラドラムと一対一の状況にされてしまった。
「――――ははっ、冗談はさておき」
良かった。本題があるようだ。
「打ち合わせをしておきたいことがあってね。無理は言わないから、できれば時間をかけて話がしたいってだけなのさ」
「最初からそう言ってくれませんか?」
「なんだいその言い草は! まるであの二人と一緒に居たくないみたいじゃないか!」
「違います。ラドラム様のお世話になるのに忌避感があるだけです」
「ふむ……道理で……」
あまり茶化しても、と思ったのか。
ラドラムは歩きはじめるや、今度は真面目な声色にかわる。
「安心していいよ。今回の件は貴族として当然のやり取りなだけで、冬にやってくる大規模な催し事のためだからね」
「あれ。似たようなことをクリストフ様が言ってました」
「だろうね。今はアルバート殿がフォリナーの領主だし、魔法師団長殿もだいぶ肩の荷が下りたんじゃないかな」
やがて城門を過ぎて大通り沿いの道に出る。
そこには、御者の席に爺やさんが乗った馬車が待っていた。
「詳しい話は僕の屋敷でするとしよう。それと爺や、今夜はグレン君がお泊りをしてくれるから、アルバート殿に連絡しといてくれるかい?」
とんとん拍子で話が進むけど、今回は今までほど警戒しないで済んだ。
きっと、関連する話にクリストフがかかっていたからだと思う。
◇ ◇ ◇ ◇
本日から更新再開です!
例によって基本的には土曜日の更新ですが、私に余裕ができたときには急な更新もございます。
といったところで新たな章も、どうぞよろしくお願い致します。
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