不可思議なそれと、獣人。

 それから、俺たちは互いに遠慮することなく言葉を交わした。

 俺たちの声色も硬さが消え、まるで長年の友人かのように。



『チョコレートは?』


「苦い方が好き」


『ふふっ、わたくしもですわ』


「今度は俺からも。果物はどう?」


『甘いものが高級とされるものが多いですが、私は酸味が強い方が好みですの』


「それも同じだ。俺もだよ」



 後ろの席の女性とは趣味があった。あいすぎた。

 他の食べ物の好みを尋ねても同じくなるか、同じでなくとも近いと確信できるぐらい波長があう。



『誕生日を聞いてもよろしくて?』



 急に話題が変わったが、まさかな。



「四月の下旬かな」


『奇遇ですのね。私、四月のはじまりですのよ』


「本当? 俺たちって実は、生き別れの双子だったりしない?」


『素敵。だったら私がお姉さんですわね』



 少し遠慮のない言葉とも思ったが、女性はくすくすと笑いながら同調し、おもむろに席を立とうとしたようだ。

 薄布の奥で影が動いたのを、俺は確かに見た。

 しかし彼女は、思い出したように座り直したようだ。



『せっかくだからご一緒にお食事でも、思いましたけど――――やめておきましょう。私、情熱的なことが好きですの」



 俺は静かに耳を傾けた。



『経験はないのですが、幼いころから色恋に富んだ本を読み漁っていたせいか、情熱的なことへの憧れだけが育ってしまいましたわ』



 艶を孕んだ声は俺の背を更におびき寄せる。

 アリスともミスティとも違う、俺が経験したのことない圧倒的な女性の婀娜っぽさに思わず息を呑む。

 女性の脈絡のない言葉に、口を挟むことはしなかった。



『もし、貴方が七国会談のために足を運んだ方なのなら、賭けを致しませんこと?』


「内容次第かな」


『簡単な賭けですわ。ここでお互いの顔は見ないことにして、明日の夜、会談初日の夜会でまたお逢い致しましょう』


「なるほど。俺たちが再会できるかどうかを賭けるってことか」



 声しか知らず、他に知ることと言えば互いの波長があうことだけ。

 七国会談に参加する者は大勢いて、夜会も賑わうと聞く。その場で偶然にも再会できたら、なんて賭けだ。



 失うものは特にない。

 会えなかったらそれまでで、楽しい出会いがあったと一期一会を愛でるだけ。



「構わないよ。それで、俺たちが賭けに勝ったら?」


『踊りましょう』


「お、おお……顔も知らない相手との再会が叶ったら手を取り合う。確かに情熱的だよ」


『でしょう? 殿方と踊るのははじめてですけど、貴方なら踊ってもよろしくてよ』


「へぇ、今まではなかったんだ」



 貴族であれば珍しい――――とまではいかない。蝶よ花よと育てられた令嬢なんかは、厳格に異性との関りを避ける者も居ると聞いたことがある。

 アリスやミスティがいい例だ。

 二人の場合は影響力が強すぎることもあって、要らぬ噂を避けていた側面もあるが。



「お料理をお持ち致しました」



 俺たちの会話はサービス係が足を運んだことで遮られた。

 先に飲み物が運ばれ、五分くらい過ぎたところで料理が運ばれた。

 香りが想像以上に良かった。

 俺たちはどちらともなく口を閉じ、料理を堪能した。



 次に口を開いたのはニ十分は経っていないが、そこそこ時間が過ぎた頃。

 俺が少し先に食事を終えて、後ろの女性も終えたであろう頃。



『一つ聞いてもよろしくて』



 彼女が会話を再開するために口火を切った。



「なにかな」


『本日は初日のお顔合わせですのに、貴方はどうして参加していないのですか?』


「俺は留守番だからね」


『どなたかのお付きですの?』


「うーん……そうじゃないけど、父が参加してるから、わざわざ俺が行くこともないってことらしい」



 それで、そちらは?

 俺が尋ねると、女性は『私も似たようなものですわ』と答えた。



『兄が行きましたから、私も留守番ですわ』


「なるほど、お互いに暇を持て余してたってことね」


『ええ。……実のところ、兄も本当は私を連れて来たくなかったはずですわ。ですけど、夜会や別の場所で役に立つと思って連れて来たのでしょう』



 もしかして、家族仲が悪いのだろうか。

 貴族に限らず珍しい話ではないが、彼女も口にして楽しい話ではないだろう。俺は軽く咳払いをして残っていた茶を口に運び、では――――と。



「ところで、どちらから来たのですか?」



 わざとらしすぎたろうか? いいや、せっかくなのだから最後まで楽しく話をして別れたいものだ。



『お優しいんですのね』



 女性の声が和らいだように思う。



『でも、止めておきましょう』


「賭けのためにも、秘密は多い方が情熱的とか?」


『本当に言わなくても分かって下さるのね。……どうしましょう。賭けなんて止めて、そちらに行ってお話をしたくなってしまいましたわ』


「だけどしない。貴女はそっちの方が情熱的なことを知ってるからだ」


『……そちらから来てくださっても、構いませんのよ』



 最後の言葉は視界にも影響を与えるほど心を揺らされた。

 この女性は、危険だ。俺が知る中で、他の誰よりも傾城の言葉が似合う女性だ。



「仮に行っても、無粋とは言われなさそうだ」


『ええ。本当に賭けを止めてもいいと思ってしまったんですもの。こちらに来て下さったら歓迎致しますわ』



 返事を聞いた俺は立ちあがった。

 薄布の奥で女性の肩が僅かに揺れた。

 でも俺は、一歩、また一歩と彼女の席から離れて行く。



「また夜にお会いしましょう」


『――――はい。また、夜にお逢いできますように』



 店を出ても俺は振り向かなかった。

 けれど、声しかわらかないあの女性のことを考えて、微かな可能性を考える。

 あの夜に会った法衣の女性の最初の声と口調、今の女性と似ていたな、と。

 


 これが偶然の類似か、否か。

 俺はそれを偶然と思えなくて、少しの間、頭を悩ませた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 自分でもおかしなくらい誘い文句を口にした。その挙句、年頃の町娘のように約束を交わすつもりだってなかった。

 本当に分からない。

 どうしてあんな言葉を口にしたのか、自分のことながら小首を傾げる始末だ。



「私、どうしちゃったのかしら」



 振り向いたら彼の後姿ぐらいなら見えるはず。

 でも、する気になれなかった。



 律儀に賭けを盛り上げるため? それとも、先ほどの彼を裏切るように振舞うのが嫌だったから?



 どれもこれもが自分らしくない。

 本当に不思議だった。

 あんな初対面――――どころか背中越しに言葉を交わしただけの殿方に、私はどうしてこんなに意識を奪われているのだろう。



 ……私は恋心というものを知らない。

 でも、何となく彼のことが気になってしまう。

 これはまるでこの前の夜みたい。

 あの夜、不思議な出会いを交わしたときのよう。



「まさか、ね」



 考えて馬鹿みたいだと思った。でも、一蹴する気になれない。

 もしかして、本能で彼とが同一人物だと悟り、自分でも気が付かないうちに興味を抱いていたとでも言うの?



 ふふっ、変なの。

 忘れられない衝撃的な出会いだったけど、こんなに……まるで懸想する乙女みたいなことを考えるまでの話じゃないのに。



 考えれば考えるほど、どつぼにはまってしまいそうだった。



「――――オヴェリア・ロータス。あなた、普通の女の子みたいよ」



 グラスに映った自分を見て笑う。



 そしてもう一度思った。

 まさか自分が。今日まで血に濡れた日々を過ごしてきた私が急にこんな感情を抱くなんて、意味が分からない。



 色々な好みや共通点に喜んだのは嘘じゃない。だからと言って、心を占領されるほどではないはずだ。



 ならやっぱり、彼と彼が同一人物だから?

 私の本能がそうだと訴えかけているようだった。



 ――――私と似ている彼と話をしたい。

 今までにあったことのない彼と、また話をしたい。

 人となりを知りたい。なんで夜にあんな所にいたのか聞きたい。それと名前を聞いてみたい。



 ううん、きっと舞い上がってるだけ。

 久しぶりに殺しのためでない遠出をして、開放感に浸っているせい。

 だからこれは、すべて気のせいのはず。



 よく考えなさい、オヴェリア。

 あなたはいつも嫌っていたじゃない。

 理由もなく、まるで一目ぼれのように恋をする物語のヒロインを嘲笑して、つまらないと口にしていたじゃない。



 なのに、これでは同じよ。

 言葉で言い表せない不思議な縁、、、、、と相性を感じているけど、言い表せないなら、本に出てきた嫌いなヒロインのそれじゃない。



 そもそも、仮に彼と彼が同一人物なら、私に接触したことを疑うべきよ。



 彼は少ない情報から私のもとにたどり着き、接触した。

 さっきのことを偶然とするよりも、こう疑う方がしっくりくるじゃない。

 そう、私を探るために接触してきたの。



 …………って考えていたら、よく分からないけど心が消沈してきた気がする。



 多分、私は彼との再会を――――っていうのは同一人物と仮定する場合に限るのだけれど、この再会を偶然にしたくないようだ。



 今日までまともな友人もなく、貴族社会で生きて汚れ仕事も嗜んできた私が、こんな乙女みたいなことを考えるなんて笑い話でしかない。

 どう考えても彼を考えてしまう理由は分からない。



 私は最終的に、やっぱり不思議な縁があるのだろうと思った。言葉に表せない、運命的な縁があっての想いかもしれない、と思うことにした。



「さっきのガキ、どこの奴だ」


「さて、私は存じ上げませんよ。私が居ない間の出来事のようですしね。……それと、今後は控えなさい。七国会談の場で余計な諍いを起こさぬように」



 粗暴な声と落ち着いた声が耳に届いた。

 考えごとをしている最中に不愉快だったけど、耳を塞がない限り、声を遮ることはできない。



「んだよ……どうせガルディア人だろ」



 私の眉が吊り上がり、聞きたくないのに耳を澄ましてしまう。



「おや、ガルディア人だったのですか?」


「おうさ。あの黒髪と目の色は、間違いなくガルディア人の血を引いてる。それも貴族だろうよ」


「戦前に逃れた方では?」


「だとしても関係ねえよ。奴らは俺たち獣人の命をどれだけ奪ったか、忘れたわけじゃねえだろ」



 二人の殿方の声は私の後ろの席で止まった。

 気分が一気に悪くなる。

 さっきまで楽しそうに言葉を交わしていた場所が、あっという間に穢された気がした。



 ――――私も帰りましょう。



 席を立ち、外の出ようとしたときのことだった。



「ご注文はお決まりでしょうか」



 やってきたサービス係の声を聞いて、私の後ろに座った獣人から漂う雰囲気が変わった。



「ああ? てめぇ、その眼の色………ガルディア人か?」


「い、いえ! 私はこのリベリア生まれ、リベリア育ちでございますっ!」



 私はそのやり取りを聞いて同情した。私にも、似た経験は何度もある。



 大陸全土を探しても、獣人たち以上にガルディア人を憎む種族は存在しない。

 何故なら、ガルディア戦争で最も命を散らしたのが獣人だからだ。



 今は七国会談開催直前。

 では、ここに居る獣人たちはレギルタス同盟、、、、、、、の者たちだろう。



 レギルタス同盟は今から数百年前に出来た小国家の群体だ。

 場所は旧ガルディア領の北東、大陸中央を横に走るリバーヴェルのほぼ真横。

 属する人種は八割が異人やそのハーフで構成されている。

 同盟のきっかけは純粋な人間からの迫害に抵抗すべく、力を合わせたのがはじまりだ。



 古き時代に迫害されていた異人たちは、レギルタス同盟の発足により徐々にその迫害から逃れ、今世では立場を確立している。



 そんなレギルタス同盟もまた、ガルディア戦争に参加した。

 異人は膂力に富んだ種族が多く、魔法の中でも身体強化の術を得意とする。

 故に、多くの者たちが最前線で戦ったのだ。



 相手は当時世界最大の王国、ガルディア。



 当時の戦いはガルディアの一都市を落とすのに、一つの小国家を犠牲にしなければならないと謳われたほど、ガルディアの騎士は精強だったと聞く。

 そのガルディアを相手に、レギルタス同盟の戦士たちは稀有な働きをした。

 代わりに、数えきれない犠牲を払って。



 故に獣人だけでなく、レギルタス同盟に属する民はガルディアを特に憎んでいる。

 結果、迫害されてきた歴史に裏を返すようにして、今度は自分たちがガルディアの血を引く者を差別するようになったのだ。



「嘘をついたら、その首を捻り切ってやる」


「ッ――――嘘ではありません! 私は偉大なる中立国家リバーヴェルの民でございます!」


「親族にガルディア人は居るか?」


「……おりますが、ガルディア戦争以前に移住しております」



 多分、あの獣人も暴力に訴える真似はしない。

 だってしてしまったら、私たちリバーヴェルと敵対することになるから。



「やめなさい。彼が何かしたわけではないでしょう」



 連れの男は理性的なようだ。



「何をしたかじゃねえ。ガルディアの血を引いてることが問題なんだ」



 私は外を一望できる窓ガラスを見て、そこに映った自分の髪を見た。銀髪に宿る漆黒を、なにものよりも憎い漆黒を見た。



「穢れた血を引く人間が、俺の前でのうのうと生きてることが気に入らねぇ」


「そんな……っ!?」


「謝れよ。俺たちの同胞を殺したことを」


「はぁ……そろそろやめなさい」



 連れに窘められるも、乱暴な声は止まらない。

 男はとうとう立ちあがって席を出ると、膝を付いたサービス係の傍に立った。



「なぁ、怯えてんじゃねえよ」



 膝を折って顔を近づけた獣人の顔は、気持ち悪かった。

 容貌が醜いわけじゃない。

 関係のない弱者をいたぶる姿に、反吐が出そうになったんだ。



「もうお止めください」



 私の口が自然と動き、コツン、と私の靴が石畳に擦れる。

 すると、獣人が立ち上がった。

 背丈は二メイル後半もありそうな巨躯で、私は簡単に見下ろされてしまう。筋骨隆々な体躯で、威嚇するように獅子に似た顔を歪ませていた。



「口を挟んでんじゃ――――てっ、てめぇは――――ッ」


「あら――――まさか元帥閣下、、、、でしたなんて」


「……だったらなんだって言うんだよ。ロータス家の穢れが」


「お好きに言いなさい。ですが、そちらの振る舞いは七国会談の趣旨に則っておりませんわ。よろしくて? 場合によっては、此度の会談から追放となることもございますわよ」


「ああ!?」


「失礼。ほら、頭を下げるんだ。オヴェリア嬢にまで喧嘩を売るのは止めてくれ」



 これまで様子を見ていた連れの男が仕方なそうに。

 彼は元帥補佐だったか。この二人とは以前、どこかのパーティで言葉を交わしたことがある。

 勿論、私の髪を見て唾棄しそうな態度だったが、その時もこの元帥補佐の言葉で態度を改めていた。



「オヴェリア嬢。我らレギルタス同盟も七国会談の趣旨は分かっています。全ての民は平等で、戦争無き今は同じ大陸の民であると」


「でしたら、こちらの彼にも謝罪を」


「存じ上げております。――――さぁ、彼にも謝罪を」



 元帥は謝ろうとせず、舌打ちをして大股で立ち去って行く。



「本当に申し訳ない」


「次が無ければ構いません」


「勿論。強く言い聞かせておきますので」


「……裏切られぬことに期待しますわ」



 すると、元帥補佐が慌てて席を離れた。

 きっともう戻ってこないだろう。少なくとも今日は。



 私が腰を抜かしたサービス係に話しかけようとしたら、この店の責任者らしき男が駆け寄ってきた。

 その男は私に強く礼を言うと、腰を抜かした彼に手を貸して連れて行った。



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