この旅の終わりに。

 ◇ ◇ ◇ ◇




 時間はグレンが帝都議会に呼び出された日の近くまで遡る。

 アルバートに連れられてグレンが帝都にやってきて、ローゼンタール公爵邸に宿泊したその日、その深夜のことである。



 帝城における一室。

 魔法師団長の執務室へ、一人の来訪者が居た。



「来ると思っていました」



 来客の顔を見ず、声を聞く前にクリストフがそう言った。

 すると、豪奢ながらシンプルな家具ばかりが並ぶその一室へ、朗笑を浮かべ足を運んだ男が口を開く。



「いやー、いい見晴らしじゃありませんか! さすがは帝城が上層! 選べた者だけが使える執務室なだけあります!」


「…………」


「いつ見ても素晴らしい夜景ですね! 多くの人々が寝静まったはずの時間なのに、宝石箱をひっくり返したようにも見える煌びやかさ……これだけで、我らシエスタの国力を窺がえますとも!」



 その来客は、我が物顔で歩いて窓際までやってきた。

 近くに置かれた机にクリストフが居るというのに、平然と。

 このままではまずい。目の前にいる男のペースに呑まれてはまずい。

 目を伏せ、一度落ち着いたクリストフが口を開いて言う。



「残念ですが、申し立てを取り下げる気は――――」「これは私の予想ですが、陛下には止められたのではありませんか?」「ッ――――陛下にお尋ねになられたのですか?」



 声を遮ってまで言った来客はつづけて言う。



「陛下が止めた理由はご存じですか?」


「貴方はそれを知っているとでも? ――――法務大臣殿」



 法務大臣ラドラムは窓枠に背を預け、振り向いた。



「最近、魔法師団長殿が陛下に色々とお尋ねだったと聞いていますよ」


「……つづけてください」


「なんでも、アルバート殿が帝都を離れることを許可した理由に加え、アルバート殿が急に子持ちになられた件をしきりに訪ねておいでだったとか。後者に関しては、陛下に尋ねることが不思議だって、近衛騎士が言ってました」


「随分とお詳しい」


「生まれながらに耳が敏いもので。今は亡き父譲りですかね」



 ここでひと時の静寂が。

 二人は沈黙を交わし、口を噤んだ。

 どちらから次の句を口にするか、探り合うように。



「お茶でもいかがですか?」



 しかし、業を煮やして声を発したのはクリストフだった。



「いただきましょう! 味気ない歓談は楽しくありませんからね!」



 こうして、二人は部屋の中央に置かれたソファに向かう。

 腰を下ろしたところで、手を叩いたクリストフの合図を聞いてやってきた給仕が、手早く慣れた様子で茶を淹れると、そのまますぐに立ち去ってしまう。



「法務大臣殿」


「ええ、なんです?」


「貴方を相手にする腹の探り合いほど厄介なことはありません」


「では、こちらから単刀直入にお尋ねしても?」


「構いません。どうせ看破されていると思っておりますので」



 諦めたと言わんばかりに語ったクリストフへ。



「グレン君が誰の子か気になっておいでなのでしょう?」


「――――ふむ」



 確信を突いた言葉を前に「ご明察です」とクリストフは言う。



「今の魔法師団長殿にとって、グレン君が暗殺者なのかどうかなんて些細な問題だ。事なかれ主義の魔法師団長殿だからこそ、そんなのはご自身が調べるまでもない」


「言いますね」


「魔法師団長殿の性格はよく存じ上げておりますからね。……話を戻しますけど、それをご自分で調べるというのが不思議なんですよ」


「どうでしょうか。アルバート殿がかかわっているからかもしれない、こうは思いませんか?」


「あり得ませんねー……だって、魔法師団長殿ってあの第五皇子を気にしなかったお方でしょう? どうせ内心では怪訝に思っていたくせに、それでも止めようとしなかったではありませんか」


「それは――――」


「ああいえ、分かってますから言わないでください。第五皇子を泳がせていた。同時にいざとなったら自分が動くつもりだったんでしょうけど、隠し切れない性格は露になっていましたよ。第三皇女殿下への対応なんか特にね」



 言い返す言葉が見当らないほど、完膚なきまでに悟られていた。

 茶の入ったカップを口元に運んだクリストフは口を閉じた。

 情けないが、これ以上口を開くほうが墓穴を掘ると理解しての振る舞いだった。



「そんな魔法師団長殿だからこそ、グレン君が暗殺者かどうかはそこまで重要ではない」


「…………」


「つまり、グレン君本人に興味が、、、、、、、、、、あった、、、。違いますか?」



 この期に及んで惚けるつもりも、腹芸をするつもりもなかった。



「法務大臣殿と話していると、貴方が同じ人間なのか疑ってしまいます」



 せめての抵抗を口にして、カップをテーブルに置く。

 そして、面前の席で笑うラドラムを見る。

 何度目か分からないため息をついて、今度は開き直ってみせるのだ。



「そうなります。私は、グレン・ハミルトンという少年が誰の子か確かめたかったのですよ」



 目の前で笑うラドラムは知っているのか?

 そうであれば取引に持ち込めるのだが……。



「どうして確かめたいのですか?」



 答えない選択もできる。

 でも、しなかった。

 いや、できなかった。

 ここでラドラムの機嫌を損ねる発言は可能な限り避けたかったから。




「ある時期を境に、陛下は牙を抜かれた獣のように穏やかになられました」


「と言われましても、私は魔法師団長殿やアルバート殿と比べて若輩ですので存じ上げませんが」


「それほど分かりやすい嘘もない。お分かりのはずですよ。陛下はガルディア戦争の後……あれから少し経ち、アルバート殿が帝都を離れた頃から人が変わってしまったように穏やかになられた」



 その時期について、疑問がいくつか生じていた。



「私は当時も陛下に尋ねました。剣鬼アルバートが帝都を離れることの意味を、我らがシエスタの利益を損ねるという事実を」


「それで、陛下は何と?」


「アルバート殿は陛下の命令があれば帝都に参ずる義務があると。しかし、その命令はシエスタが危機に陥らない限り発せられないと仰いました」


「…………へぇ」


「私には到底受け入れられませんでした。剣鬼アルバートと言えば、この私に勝る実力者です。その彼を辺境に置くなんて、正気の沙汰には思えませんから」



 その言葉に耳を傾けながら、僅かに暗い笑みを浮かべていたラドラム。

 でもすぐに、いつもの笑みを浮かべていた。



「そこで気になったのが、グレン・ハミルトンの存在です」



 突如降ってわいたように話題となった、剣鬼アルバートの一人息子。

 実子ではないというが、それでは親は誰なのかと話題をさらった。

 バルバトス派が健在だった頃には娼婦に産ませた子と言われたこともあれば、一時期、帝都では貧民街で拾った子を何となく育てているだけだとか噂になった。



 数多の噂が流れたが、クリストフにはどれも真実に思えなかった。



「何年も前の話となりますが、私は密かに辺境都市ハミルトンに足を運んだことがございます」


「そ、それは初耳でしたね……え、本当です?」


「嘘を吐く意味がありませんよ。……そこで、私はグレン・ハミルトンとアルバート殿の仲の良さを見たのです。まるで本当の親子のようでしたから、アルバート殿が気まぐれに育てていないことを知りました。そうなると、最初の疑問に戻ってしまう」



 グレンが誰の子なのか、というものだ。



「その後、私は改めて陛下にグレン・ハミルトンが誰の子かと尋ねました。陛下はご存じだと確信して、どうして隠すのかも知るためにです」



 尋ねることがなければ今に至らなかったと。

 決して、グレン個人にそれ以上の興味を持つことはなかっただろう、とクリストフは前置きをしていうのだ。



「陛下は微かに目線を泳がせておいででしたが、誰の子かは私に教えてくださらなかった」



 言い終えたクリストフはカップを片手に立ち上がった。

 その足は窓のそばへ。

 城下に広がる景色の中でも、彼の目は貴族街にあるローゼンタール公爵邸へ。



「故に、私は気になるのです」



 あの少年のことが。

 言葉も交わしたことのない彼のことが。



「覇王レオハルトを。剣鬼アルバートを。この二人の心に強く存在を刻み、安易に触れることが許されぬ存在グレン・ハミルトンの正体が」



 クリストフは鋭く磨き上げられた双眸をラドラムに向けたが、ラドラムは彼の迫力を前に引くどころか立ち向かってみせた。

 歴戦の魔法使いでもなければ、アルバートのような騎士でもない。

 そのラドラムを前にして、クリストフは逆に呑まれそうになるのに耐えていた。



「だから、彼を手元に置いて確かめようとしたのです」


「が、皇帝陛下に止めれた。だというのに、よく申し立てを決行できたものです」


「いくら陛下と言えど、何か私に直接告げられぬ事情があるようで、それ以上の制止はなさいませんでしたから。もっとも、いざとなったら陛下のお言葉が発せられたでしょうが」



 事情を語ったクリストフはもう一度、刃のように鋭く磨かれた双眸をラドラムに。




「グレン・ハミルトンは何者なのですか?」




 されど、受け止めるラドラムは違った。

 クリストフのような迫力がなければ、正反対に緩い。

 彼は肩をすくめ、こう言うのだ。



「存じ上げません。ただ、私も同じことを調べておりました」



 同調して見せたのだが、胡散臭い。

 しかしながら、本当か嘘か確かめるすべはない。



「魔法師団長殿、私と取引をしませんか?」



 不意の提案にクリストフは思わずきょとんとしてしまい――――呑まれた。



「ケイオスが誇る大都市アンガルダに時堕カールハイツが向かったという情報が私の協力者、、、から届きました。その目的を探るため、グレン君を連れて足を運んでいただきたいのです」


「ッ――――カールハイツが? しかし、どうしてグレン・ハミルトンを一緒に……?」


「あの子に色々な経験をしてもらいたいだけですよ。僕はグレン君の正体を調べてますが、その疑問と同じぐらい、彼の資質に期待してましてね」



 分からなかった。

 時堕と言えば英雄で、クリストフと言えど強く警戒する戦力なのに。

 なのに、どうしてグレンを連れて行くことを求められているのか。



「魔法師団長殿が居れば安心なのでは?」


「ええ……私ならカールハイツの対処が可能ですが……」


「ではちょうどいい! 取引の内容ですが、この仕事を引き受けていただけたら、以後、僕がグレン君について分かったら情報を共有するということでいかがです?」


「――――悪くありませんが」



 呑まれていなければ、もう少し余裕があれば。

 ラドラムの言葉に疑いを持てたら、別の未来もあっただろう。

 けど、もう手遅れだった。

 さっさと立ち上がってしまったラドラムは扉に向かって行ってしまう。



「あくまでも、これから分かる情報があれば……の話ですがね」



 既に知っている情報は別なのだ。

 彼は決してクリストフの耳に届かぬ程度に。

 すぐに空気に溶けてしまう声で呟いた。



「議会でお会いしたときはそのように。私も合わせますから、よろしくお願いしますね! 当日は面白いお手紙もお持ちしますので、楽しみにしてください!」


「法務大臣殿! お待ちください!」


「では失礼します。ははっ! これからアルバート殿とお酒を飲む約束がありましてねー!」



 おどけてみせて立ち去ったラドラムの背を見送り。

 手にしていたカップを机に置き、再度、城下町を見たクリストフ。



「…………ふぅ」



 ため息交じりに、突然の来訪で生じた心の揺らぎを律しながら唇を動かし、再確認する。

 グレンが暗殺者かなんてどうでもいい。

 もしかしたら暗殺者かかもしれないし、そうではないかもしれない。どちらとも考えられる証拠しかないが、議会ではそれらしい言葉を並べよう。



「言われっぱなしも気に入りませんね。明日は少しぐらい、意地の悪い問答をしても罰は当たらないでしょうか」



 そう。

 既にクリストフの頭の中にそれを探る気はなかったのだ。



 けれど、ラドラムはほぼ間違いなく、クリストフの疑問の答えを知っている。それか、答えに限りなく近い場所にいるはずだ。

 が、それを隠すというのなら――――。



「構いません。その思惑に乗って差し上げましょう」



 受けて立つ、と雷帝は声に出して呟いた。



「それにしても、アンガルダですか」



 ただ一つ、長旅になることだけを覚悟して。

 帰国した暁には、新たな情報を得られるようにと期待した。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 さて、ラドラムはどう出るだろう。

 気にしながらも、馬車まで戻る。

 すると、地べたに座っていたグレンの様子を見て、目を見開いた。



「グレン少年……手元のそれは……」


「どうですか? ちょっとコツが分かってきたみたいで……少しはマシになった気がします」



 グレンの指先から、弱々しくも紫電が発せられている。

 髪の毛の細さもない頼りないそれだが、静電気程度だったさっきと比べると見違えるようだった。



 これにはクリストフも驚かされる。



 そもそもとして、このグレンは物覚えが良くて進捗が良すぎた、、、、。それを更に超えるペースで身に着けていくとは、予想もしていなかったぐらいだ。



「ふわぁ…………」



 すると、グレンが欠伸を漏らす。

 連日の疲れは馬車で休む程度では抜けきっていないし、魔法の訓練も合わさって我慢しきれない眠気に苛まれていた。



「お見事です」



 それを受けてクリストフが言う。

 自然に頬に微笑を浮かべ、不思議と穏やかな声で。



「ですが、今日はそのぐらいにして休みなさい」


「…………ですね。そうしときます」



 彼の声を聞き、グレンは素直に頷いたのだった。



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