四章―隣国ケイオスにて―

貿易都市アンガルダと。

 港町フォリナーを発ってから三日後の朝。

 俺の視界一杯に広がっていたのは、あまり想像できていなかった都市の全景だ。



 シエスタの帝都と違い城壁と思しきものはなく、大部分がオープンになっていて中の様子が外からでも見える。

 各所に散見されるのは天高く伸びた赤銅色の筒と、先端から立ち昇る白煙。それが都市の中央に伸びた多くの道の脇にそびえ立ち、灰色の空を作り出していた。

 また、他に興味が惹かれたのは、都市の中央に屹立した摩天楼だ。



「鉄の都、蒸気都市。多くの異名を持つこのアンガルダの象徴とも言えるべき建築物が、あの大時計台です」



 クリストフが指を向けた摩天楼の、大時計台の全貌。

 帝城ほどではなくとも、天高く伸びた体躯を覆ったいくつもの歯車が連動する様子は芸術的にすら見えるし、その歯車が地面まで伸びているのがひときわ目を引いた。

 よく見ると、道の合間合間に設けられた隙間に伸びているようだ。



「おや、旅人さんたち! アレが気になるのかい?」



 立ち止っていた俺たちの下に、オイルや煤で汚れた服を着た男が近づいてきた。

 どうやら、このアンガルダの住民のようだ。



「いい時期に来たね! 大時計台の中にはでかい歯車が一つあるんだけどよ! 実は昨晩入れ替えられたばっかりなんだ! いい音を出してるだろ?」


「え、ええ……そうですね」


「せっかくアンガルダに来たんだ! 楽しんでいってくれよな!」



 陽気に、人懐っこい笑みを向けた男が俺たちの前を立ち去って行く。

 クリストフはため息をつきながら、男の背を眺めていた。一番に声をかけて来た者として、正体がバレていないか心配していたのだろうか。



「それにしても、歯車が沢山ありますね」


「あれは都市全体に運ばれる動力の源です。当然、独自の動力を設けているからこそ、蒸気を放っている建物も多々ありますがね」


「大時計台の歯車から送られた動力は、何に利用されているのですか?」


「すべてに。生活における必要な事柄全てに加え、アンガルダが鉄の都と謳われる所以となった、製鉄技術のためにも」


「道中、クリストフ様が仰っていた件ですね」



 俺の言葉を聞いて彼が満足げに頷く。



「結構です。グレン少年が覚えているように、ケイオスは我らシエスタと違い魔法技術ではなく、ああした製鉄技術を用いて繁栄してきた国です。つまり、ここアンガルダは貿易都市と謳われてはいますが、その実、ケイオスにとっては重要な戦術拠点でもあることに他なりません」


「そんな大事な都市を、どうして我々との国境近くに?」


「良い質問ですね。何故かと言うと、辿ること数百年ほど昔、この地で巨大な鉱脈が発見されてしまったからなのです」


「ああ、やむにやまれぬ事情というわけですか」



 他の場所に設けようとも、ここに設けた方が都合がいい。

 むしろ、ここから離れられない事情というわけだ。



「グレン少年は理解が早くて助かります。昔、貴族に乞われてご子息、ご令嬢に魔法を教えていたことがありますが、当時との違いに驚かされますよ」


「――――クリストフ様が魔法の授業を?」


「ええ。私の師の教え、、、、、、もありまして、少しばかり経験したことがございます」



 しかしながら、どうにも満足のいく結果ではなかったそうだ。そのため、以降は頼まれても断っていたという。

 特定の弟子を持ったこともない、と。

 つづけて言ったクリストフは些末事と言わんばかりに口にしたのだ。



「本題に移りましょう」



 クリストフは居住まいを正して俺を見た。

 互いに粗末なローブに身を包んでいることもあり、一見すればただの旅人にしか見えないだろうその姿で並んだ俺たちは、行き交う人々の中に溶け込んでいる。



 ――――フードの裾から顔を覗かせたクリストフは俺を見下ろして。



「まずは町の様子を探りつつ、時堕が足を運んだか否かを確かめることと致します。その後、適宜情報収集に取り掛かりましょう」


「俺は何をすればいいですか?」


「傍にいなさい」



 即答するも、しかし、とつづける。



「ここに来るまでそれなりに脅してはいますが、時堕は私と敵対するつもりはないはずです。――――もっとも、そこに秘密裏に動く理由があれば話は別ですが」


「俺が想像しているより友好的なんですね」


「何だかんだと私とアルバート殿は、時堕……カールハイツ殿と共にガルディア戦争を戦い抜いた身です。互いの力は知っておりますし、敵対することの利点を見出すことが難しいのです。友誼も存在しております。だからこそ、穏便に済ませておきたい問題なのですよ」



 故に自らの足でここに来たのだ、と彼は言う。

 しかし、それなら安心できそうだ。



(……馬鹿みたいな魔法の使い手と戦うなんてとんでもない)



 自らが作り出した空間内で時間を吹き飛ばせるというでたらめな力。

 フォリナーを出発して間もなく、道中でクリストフからその力を聞いていた俺は、何をどう戦えばいいのか見当もついていない。



 なにせ――――。

 仮に俺が背後に踏み込めたところで、時堕に見える世界では。



(俺が剣を振った時間が無かったことになる)



 一秒をいくつかに分割したとき、その時間だけが無かったことになるのだ。

 そうすると、魔法を行使した時堕だけが動ける時間が存在することになるはず。



「気になったのですが、クリストフ様は時堕に勝てるのですか?」



 彼はシエスタを発つ前から自信を伺わせていたし、ここに来ても警戒はしているが、生命の危機に近い危険性を感じているようには見えなかった。



「はい。勝てますよ」



 だからこそ、そう返事をする予想はしていた。

 でも、軽すぎやしないか。

 相手は時を吹き飛ばせるというのに、どうやって勝つというのだ。



「あの男は一個人としての戦力というより、あの男が作り出した空間内で戦う味方が受ける恩恵の方が重要なのです」


「け、けど! 時を飛ばされてしまったら――――ッ」


「問題ありません。私にはそう断言できる理由がありますので」


「え、えぇ…………」


「それよりも、あの男の場合は魔法の性質が複雑なことを忘れてはなりません。あの男の魔法は任意の時を飛ばすことが出来ますが、作り出された空間内にいる他人に対し、自分と同じ感覚で動けるか否かを選択することも出来るのです」



 事前の情報から更に化け物っぷりが増してしまったではないか。



「ということは、作り出された空間の中にクリストフ様がいたとして……」


「ガルディア戦争当時、時堕と私が共に戦って居た頃には、敵だけが時を飛ばされる、という状況を作り出しておりました」



 馬鹿げた魔法が存在したもんだ。

 余計に倒し方が分からない……というか、敵対するべきではないと考えさせられる。

 けど、クリストフは依然として負けるとは言わない。

 先ほどの、勝てると言った言葉が裏返ることはなかった。



「その状況で戦えば負けることもなさそうですね」


「――――いいえ、一度だけありました」



 思わず呆気にとられた俺は目を見開いた。



「ガルディア王国に一人、桁違いの実力者がいたのです」



 前を歩き、そして語るクリストフの足取りが若干重くなったように見える。



「その者により、我ら連合国軍は多大な犠牲を強いられました。無論、我ら連合国軍はその被害に頭を悩ませておりました。故に連合国軍の実力者を揃えて勝負に出たのですが、勝てなかった戦いというのがそれです」



 その中に父上が居た、というのは想像に難くなかった。



「シエスタからは私とアルバート殿が。ケイオスからは時堕に、他の国々からも何人か」



 しかし、と。

 語るクリストフの語調が硬い。



「我らはたった一人の騎士を前に勝利を収められず、敗北寸前まで追い詰められたのです」


「ッ――――敗北寸前?」


「とはいえ、奴の意識をこちらに向けさせられたことが重要でした。我々、別動隊の働きにより、本隊がガルディア王都を陥落せしめましたから」



 俺の脳裏をアリスの言葉が掠めていた。

 あれは確か、父上が港町フォリナーにやってきた初日、歓迎の支度をって準備に取り掛かった俺たちが町に出て、怪しい占い師と出会ったときのこと。

 アリスはあのとき、こう言っていた。



『ガルディア国王の側近がそれはもう強かったみたいです。何でも、アルバート様を筆頭とした実力者たちに対し、たった一人で立ち向かったとか。――――あ! ちなみに今となっては消息不明で、生きてるかすら分かっていませんよ!』



 間違いない。

 クリストフが戦ったのは、ガルディア王の側近だ。



「話を戻しますと、そんな戦いを共にした我々です。多少の友誼が存在することは信じていただいて結構ですよ」


「ははっ……別に疑ってないですけどね」



 色々と興味深い話を聞けたし、有意義な時間だった。

 といったところで、目下の問題に戻る。

 ひと先ず、時堕の情報を探ることになるわけだが、住民に怪しまれずに探るとなると何分、面倒なことに違いない。



「何度も言いましたが、私のそばを離れないように」



 俺はクリストフの言葉に従い、彼の後ろを歩いた。

 ――――周囲の山々の合間から注がれる、茜色の空を見上げながら。



「あれ」



 でも、ふと足を止めてしまった。



「霧が出てきましたね」


「この辺りは度々こうなるのです。徐々に見通しが悪くなってきますが、今の我々からしてみれば都合がいいかと」


「ですね……」



 ――――この時、俺は少しも気が付けていなかった。

 立ち込めた霧が、このアンガルダが。

 何か、不可思議な状況に陥りだしていたということに。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 適当な宿を取ったのは夜になってからのこと。

 半ばクリストフに見張られている身だったものの、部屋は別々だったので安心した。

 俺が逃げると思っていないのか……逃げられてもすぐに捕まえられると思っているのかもしれないが、逃げる気がない俺には関係のないことだ。



 ――――そして、翌朝。



「やば」



 窓の外を見て驚いたのは、深く立ち込める霧だった。

 でもそれも、数十分経てば薄まっていく。



 霧はやがてアンガルダの町中を明らかにして、都市を取り囲むように晴れていった。

 ……まるで、天然の城壁のように。



 すると。コン、コンと。

 扉がノックされた。

 まだ朝の六時を回ったところで、早朝である。

 それでも身支度を負えていた俺はすぐに。



「おはようございます」


「ええ、おはようございます」



 ドアを開けて、来訪者のクリストフと朝のあいさつを交わした。



「早速ですが動きましょう」


「了解です。今日は――――」


「昨日のつづきです。まずは聞き込みと致しましょうか」


「分かりました。では、お伴します」



 言葉少なめに宿を出る。

 でも、俺とクリストフは宿の一角で足を止めた。

 その時、どうして止まったのかは分からなかった。

 何か……違和感があるような……。



「ふむ……グレン少年、我々はどうして足を止めたのでしょうか」


「分かりません。チラッと視界に映ったコレ、、が気になったのは間違いないと思いますが」



 コレ、というのは今日の日付が書かれた新聞である。

 壁に貼られたそれを見て、何故か違和感を覚えていたのだ。



「とりあえず、行きましょうか」



 しかし、俺たちは違和感の正体に気づけなかった。

 特に大きな問題とも思えなかったし、気にすることなく宿を出る。

 当然、外に出てからは特に違和感を覚えなかったし、昨日と違って、朝から調査に移れたから慌ただしくもなく……。



 行き交う人々を傍目に、旅人を模した俺たちは聞き取りや観察をつづけたのだ。

 ――――でも。



「クリストフ様、何か変です」


「私もそう感じております。ですが、この違和感はいったい……?」



 互いにその違和感に気づけていない。

 分からない、不思議だ。

 そう思いながら、町の一角で足を止めた俺たちの下へ――――。



「おや、旅人さんたち! アレが気になるのかい?」



 昨日と同じ、オイルと煤で汚れた男が現れて言った。



「いい時期に来たね! 大時計台の中にはでかい歯車が一つあるんだけどよ! 実は昨晩入れ替えられたばっかりなんだ! いい音を出してるだろ?」


「同じことを昨日も聞きましたよ」


「昨日? おいおい何言ってんだ! 俺っちは兄さんたちに話しかけたのははじめてだし、それにさっきも言ったろ! 歯車を入れ替えたのは昨晩なんだって!」



 話しを聞いた俺とクリストフはハッとした。

 そして、同時に駆けだす。



「お、おいっ!」



 大きな声で俺たちの背に声を掛けた男に無視をして、一目散に。

 示し合わせたように向かったのは、アンガルダの外へ通じる道の端だ。この辺りは霧が立ち込めていて、先が見通せないほど。しかし、歩けば外に出られるのが当然だったのだが――――。



「グレン少年」



 霧に手を触れたクリストフが眉をひそめ、言う。



「違和感の正体が分かりました。このアンガルダは不思議なことに、外に出る者も足を運ぶ者も皆無だったのです」


「…………俺も、ここに来てようやく理解しました」



 ついでに、もう一つ。



「俺たちが宿で気になったことは、日付のようですね。さっきの男性の言葉を聞いてから、やっとしっくりきたんです」



 壁に張られた新聞に気を取られた理由は、明らかにそれだ。

 日付が昨日と同じだったことが気になっていたのだ。



「一度ここを離れて策を練りたかったのですが、残念なことに、壁のような何かに阻まれます」



 彼は霧に手を当てながら言った。

 一方で俺は別の疑問を口にする。



「住民がこの状態を不思議に思っていないように見えます」


「催眠、あるいは何かの魔法による影響でしょう」



 簡潔に言葉を交わせるのが嬉しかった。

 この状況において、面倒なやりとりほど苛立つことはない。それはクリストフも同じようで、俺たちの間に分かりやすい信頼が生まれた気がしてならない。



「俺の予想では、アンガルダの時間が巻き戻っているのかなと」



 これを聞いたクリストフは満足げに頷いて。

 腕を組みながら。



「私の予想では、昨日という一日を繰り返しているように思えます」



 俺とほぼ同じ予想を口にして、目を伏せたのであった。


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