頑張り屋過ぎる皇女
「これ、読んで」
「たはは、改まってそう言われると、学園で恋文を受け取る時を思い出して微妙な気分になっちゃいますね」
「ローゼンタール家への返却願いなら渡すかもね」
「…………つれないですね、もぅ!」
「で、読み終わったら意見を聞きたいんだけど」
「分かってますぅー! ちょっとだけ待ってくださいってば!」
アリスはそう言いながらも紙の束を受け取って、それから俺の隣に腰を下ろして目を通す。
いつもに増して距離が近い。
二の腕なんかくっついているし、第三皇女の前では勘弁してほしいものだ。
とはいえ、それを指摘したらしたで、また色々と面倒くさそうだから触れたくない。
「そういえば、私が来る前は二人で何を話してたんです?」
すると、第三皇女が座り直して言う。
「近頃は姿を見せなくなった、怪盗と暗殺者のことを話していたの。ところでアリス、彼と近すぎないかしら?」
「気にしないでください、こういうものなんで。でもでも、例の二人は話題でしたもんねー! 特に怪盗なんかは帝都の民に――――」
「ええ、あの
「…………」
「ア、アリス? どうして頬を膨らませているの……?」
「別に膨らませてませんけど? 一瞬で太っちゃっただけですけど?」
その返事は訳が分からない。
ほら見て見ろ、第三皇女も言葉を失っているじゃないか。
「それで、どうなんです?」
「どうって、何がかしら」
「暗殺者の方はどうなんですか! って聞いてるんですー!」
この流れであれば暗殺者へも厳しい言葉が送られるはず、だったのだが。
俺が知っての通り、第三皇女は暗殺者への興味の方が勝っている。彼女は確かに、罪は罪で罰せられるべきと口にしたものの、それだけだ。
唖然として、次の瞬間には更に頬を膨らませたアリスが居た。
「どうしてもっと頬を膨らませるのよっ!」
「別にー! また太っちゃっただけですけど!?」
「……ありえないでしょ、まったくもう」
額に手を当てた第三皇女に、俺は思わず同情した。
「とりあえず、アリスが太ったかどうかはおいといてさ」
「おいとかないでくださいよ! 私にとっては一大事ですからね!」
どう考えても太ってないんだから、触れた方が負けだろう。
「読み終えた?」
「はえ? ああ、これです? もう読み終わってますよ?」
「さすが、早いね」
「ふっふーん、見直しちゃってもいいですからね」
相変わらずの文官能力には惚れ惚れとするが、何となくウザい。
素直に称賛してしまうと、確実に付け上がるのが目に見えている。
翌朝には、ご褒美をください! とか言いだして、いつの間にか俺の部屋に入り込んでいることは必定であるのだ。
「帰宅早々、みょーに機密交じりな一件を知らされましたが、グレン君の考えは分かりました」
「話が早くて助かるよ」
「ようはコレって、織物がどう劣化したのかを調べたいってことなんですよね?」
「そういうこと」
俺は劣化の傾向が知りたかったのだ。
そもそも、どこでその問題が発生しているのかが気になっていた。
これを調べたことにより、此度の一件の問題そのものの解決へと、近づけるはずと考えているのだ。
仮の話だが、そもそも、品物がすり替えられていないとした場合。
こうなれば運ぶ最中に問題が発生しており、何か分かりづらくも仕掛けが施されている可能性があってもおかしくない。
現状ではすり替えが難しい状況だから、別の調査から進めたいわけである。
(第三皇女にはもう、劣化品をサンプルとして借りることも許可してもらってる)
後は完成品を用意するだけだ。
学園に借りに行ってもよし、帝都から織物そのものを送ってもらっても良し。
「私は良い案だと思いましたよ。あ、それと、私の制服を後で貸してあげますね」
「え……はい?」
「だーかーらー! グレン君は正規の品と劣化した品を比べたいんですよね? 私の制服、新調されたばかりのものですよ?」
「いや、遠慮しとく」
「なんでですか!?」
「そりゃ……ほら、色々と」
「別に臭くないですよ……? あの……ちゃんとお風呂にも入って……」
お願いだから、こんなところで変なダメージを負わないでほしい。
毎日風呂に入ってるのなんて知ってるし、臭くないのだってよーくわかる。こんなに近くから漂ってくる、脳を溶かすような甘い香りに気が付かないはずがないだろう。
問題はそこではなくて、普段使ってる制服を借りることに忌避感があるだけだ。
男同士だったら気にしなかったのだが、わざわざ説明するのも何かこう、気恥ずかしい気がしてならない。
「…………」
意外にも、面前では怒らず、同情するような瞳を向けてくれていた第三皇女が居る。
彼女が頷いたところで、俺は「助かります」と目配せした。
「あのね、アリス。令嬢が衣服を殿方に貸すのは、私も問題があると思うの」
窘めるように、優しい口調で言った。
「じゃ、じゃあじゃあ、例えば私がグレン君の部屋に忍び――――」
こっちも問題なんですか? と聞こうとしたようだ。
俺はそれを瞬時に悟って口を挟む。
挟むというよりは、制止に近い感じだった。
「やっぱりアリスの制服を借りるのもありかもしれないな」
「あ、ほんとです? じゃんじゃん貸してあげちゃいますから、安心してください!」
さっきまでの態度が何処に消えたのやら、アリスはケロッとした様子で笑っていた。
まるで、今までの話運びがすべて仕組まれていたかのように、勝ち誇った様子であった。
「彼の部屋に……どうかしたの?」
一方、第三皇女は言葉が切られていたことに疑問符を抱き、きょとんとした顔を浮かべていた。
「グレン君がお仕事で忙しいときは、お茶を運んであげてたんです。それもダメなのかなーって心配だったんですよ」
「それぐらいならいいと思うわよ」
「ですよねー! にゅふふー、安心しました!」
こんなに早く丁度いい言い訳を思いつくなんて、常日頃からこういうことを考えていそうに思えてならない。
いや、実際、アリスは考えている。
俺を嵌めることに関しては、恐らく、他の追随を許さぬ手練れだ。
「っと、いけない」
第三皇女が慌てて席を立った。
「本当にそろそろ帰れないといけないわ。アリス、私はそろ……そ……っ」
「ミスティ? 身体が傾いて――――はぇっ!?」
俺は彼女のそれが立ち眩みだと思った。
急に立ち上がればあり得ないことではなく、すぐに問題はなくなると。
けれど、身体が傾き、無抵抗に床に倒れ込みそうになったのを見て。
「ッ……っと!」
考えることを止めてソファから駆け、彼女の身体を抱きとめた。
彼女は目を伏せ、額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
意識も急に朦朧として、呼吸も落ち着きに欠けてたと思えば、すぐに気を失ってしまった。
極めつけは、彼女の身体の熱さだ。
「……ミスティったら、またやっちゃったんですね」
「前も似たようなことがあったってこと?」
「それはもう何度もありました。この子は頑張り屋さん過ぎる節があって、幼い頃から偶に体調を崩しちゃってたんです。大きくなってからは滅多になかったんですが……最近の騒動とやらのせいで、あまり寝ていなかったんでしょうか……うーん、他にも何かあったのかも……」
病弱とまではいかなくとも、疲れを貯め込みやすい性格だそうだ。
そりゃ、頑張り過ぎたら誰だってだって体調を崩す。
当たり前のことだが、皇女らしからぬ振舞いは俺も少し気になってしまう。
いったい、何が彼女を奮起させているのか。
倒れてしまうところまで、
「グレン君、今日はこの子をお屋敷に泊めてあげたいんですが……ダメ、でしょうか」
「俺は構わないし、父上もそうだと思う。でも、皇族を泊めるのって簡単に許可していいものか分からないな」
「その辺はご安心ください。ミスティはローゼンタール家のお屋敷にも泊ってましたし、細かいことはお兄様が何とかしてくださると思います」
それなら、俺が気にすることではないだろう。
個人的にも倒れてしまった第三皇女を帝都に送り返すなんてしたくないし、このまま、せめて一晩でも家で休んでいってほしい。
俺が応じたところで、アリスは父上に伝えて来ると言って歩き出す。
「第三皇女はどうすればいい?」
このまま抱き留めたままなのは、彼女もいい気分がしないだろうから。
「今日は私のお部屋で寝てもらおうかなって思います! すみません、ミスティを連れて行くの、お手伝いして貰っても大丈夫ですか?」
「ん、りょーかい」
俺は小声で「すみません」と口にした。
第三皇女の身体を抱き上げて、いわゆる、お姫様抱っこをしてアリスの部屋へ足を進めたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます