第5話 付喪神・祭将
「お帰りなさいませ、ご主人様」
明宝桃子をだっこしていて手が空いていないのを見かねてか、明宝小百合が西洋館の荘厳な木製のドアを開けた。
「お帰りなさいも何も初めて来るんだが。それに、この館そのものが妖怪なんだろう? 入っても平気なのか?」
俺は戸惑いを隠しきれずに、入るのを躊躇った。
この西洋館そのものが付喪神という話だ。
そんな館に人間の俺が入って無事でいられるのだろうか。
「人喰い屋敷ではありませんから何ら問題ありませんよ。それに、この館の付喪神は可愛いんですよ」
「……はぁ」
その言葉の意味をそのまま受け取ることができず、生返事を返した。
「ここに悪い付喪神はいないわよ」
俺にだっこされている桃子がそっぽを向いたまま、つっけんどんに言った。
「危険性はあまりないという事か」
俺は躊躇いを振り切りつつも、西洋館へと恐る恐る踏み込んだ。
「……」
中の空気は外とあまり大差ないように思える。
怖気を感じる事もなければ、危機感を煽るような空気もそこにはなかった。
「……ね? 大丈夫でしょ?」
腕の中にいるような形の桃子が言う。
「今のところは、な」
館の内観は、入場料を取ったとしても納得できそうな豪華な作りであった。
資産家や政治家の類いが金に糸目をつけないで建てたのではないかと思えるほどだ。
そんな館が逃げ出したのだから、持ち主はさぞ驚いた事だろう。
とはいえ、取り壊す予定だったそうだから唐突に消滅したのは願ったり叶ったりだったのかもしれない。
「お前か。お前が
どこからか澄んだ女の声が響いてきた。
年を取った女というよりもむしろその真逆で若い女の声だった。
「
小百合があちらにいますと指し示すように目でその祭将とやらがいる方向に視線を投げた。
「菊のたっての願いを聞き届けてやったのだ、感謝しろ、荒城利文」
祭将と呼ばれている奴は、妖怪辞典などでは『座敷童』として紹介されていそうな、おかっぱ頭に和服の童女だった。
ホールの奥に立ち、こちらには近づいてこようともしない。
その目はどこか厳しげではあったが、優しげな光が宿っているようにも見えた。
要は、様々な感情が混在しているといったところだ。
「菊?」
また新しい固有名詞が出て来たので、俺は小首を傾げた。
小百合、そして、桃子を見やる。
二人は事情を聞いてはいないのか、小百合はただ首を横に振り、
「私は知らないわよ」
桃子はそう返してきた。
「荒城利文、お前の母親が慈しんでいた日本人形だ。あの日本人形の名は菊。母親の家系に伝わる、作られてから二百年以上経つ由緒正しき日本人形だ。菊はお前の母親が死んだと知り、死ぬ一時間前に語りかけてきた事を叶えてやりたいと私に訴えかけてきた。そして、私は菊の願いを叶えてやると約束をした。この意味が分かるか、荒城利文?」
俺は顎に手を当てて、頭の中で物事を整理し始めた。
あの夜、ドアを叩き、ドア越しに話しかけてきたのは、菊という日本人形だったのではないか。
そして、母親が一時間前に語ったという遺言は、母親が菊に一方的に話しかけていた事だったのではないか。
言われてみれば、母親が大事にしていた日本人形があったように記憶している。
滅多に見せてはくれなかったので、存在そのものを忘却してしまっていた。
「あの日本人形……いや、菊も付喪神なのか?」
「正真正銘の付喪神だ。ただし、人の前では決して付喪神である事を隠している恥ずかしがり屋だ」
「……事情が飲み込めてきた。その菊が訴えかけてきたワケだ。俺の母親の最後の言葉を叶えて欲しいと。それで双子姫を俺の元に寄こしてきたと」
「理解が早くて助かる」
「……つまり、俺は……明宝小百合か、明宝桃子と結婚をして子をなせ、という事なのか?」
「不満か? それとも、選べぬとでも言うのか? ならば、選ばなくても良い。ここは人の
祭将は顔色一つ変えずに平然とした調子でそう口にした。
「この館でしか生きていけないようなものですし、私はご主人様の要求に従います。例え、それが理不尽であったとしても、です」
小百合が俺の顔をのぞき込みながら、明朗な笑顔を向けてくる。
「外は理不尽すぎるのよ。あなたの好きなようにするといいわ、この館の中で、存分にね」
だっこをされたままの桃子がどこか達観したような顔を俺に向けてくる。
「双子姫もそう言っている。お互いを知らないのであれば、知ればよい。お互いを知るために男女は身体を重ねる事もあったと聞く。相手を知るという事は、つまりはそういう事だ」
「は?」
身体を重ねるの意味を分かっているのか、この付喪神は?
知るためにセックスをする。
確かにお互いの事が分かる。
しかし、それでいいのか?
それに気にかかることをこの三人は言っている。
その事の方がまずは知りたいんだが……。
「その前にだ……」
「双子姫よ、部屋に案内せよ。お前達三人がこれから共に生活することになる部屋だ。それでゆっくりと話をするがいい」
俺の言葉を遮り、祭将は意味ありげに口角を上げた。
「はい?」
その言葉の意味を飲み込むまでいとまがあった。
「三人が生活することになる部屋?」
「荒城利文。双子姫を抱いた後で良いが、私の元へと来るが良い。質問があるのだろう? 疑問を解消せねば、この館で生活する事の意味が分からないであろうからな」
言いたい事を言い終えたからなのか、祭将は俺に背中を向けるなり、ふっと消えてしまった。
まるで幽霊であるかのように。
「この館は付喪神の
祭将の言葉が残響のように響いた。
「……ええと……」
対応しきれない事、理解できない事を矢継ぎ早に言われたからか、俺は大して反応できなかった。
「ご主人様、それでは向かいましょう」
と、小百合が頬を朱色に染めながら言う。
「ほら、行くわよ」
と、桃子も頬を真っ赤に染めている。
「あ、ああ……」
俺はいたすのか?
この二人と。
その部屋とやらで……。
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