春の不可思議日記

五月雨真桜

序章

ぼんやりとしているつもりはないのだ。

ただ、世の中のさまざまなことに思いを巡らせているとはたから見れば「ぼんやり」しているように見えるのだ。

その言葉はなんだか何も考えていないようで、本当は好きではない。

そう考えていると急にぐい、とイヤフォンが外された。


「やよい先輩ってば、さっきから呼んでるのに!」


いつの間にか目の前に来ていたらしい、あきちゃんをやっと認識する。あきちゃんはやよいの二個下、二十歳になったばかりの大学二年生だ。


「ぼんやりしてた。」


本当は嫌いなのだ。ぼんやりしていたわけではないのだ。ただ、その先が煩わしくてそう答える。何してたの?何考えてたの?何が気になるの?

そんなことを聞いてもどうせ、誰しもそれほど興味があるわけではないのだ。コミュニケーションの一環で聞くだけ。私だってそう。

そういった煩わしいものから逃れるためには適当なこの言葉が一番なのだ。


けれどあきちゃんは口元に見事ににやり、を作って見せつつ

「いつもの、あれですね?」

と言った。


あきちゃんはホラーに目がない。哲学思想サークルの飲み会で知り合い、最新のホラー映画の話題で盛り上がってから今に至る。二人にはもう一つ、二人だけの秘密、というにはそれほど重大でもない些細な楽しみがあった。

「あれです。」

あきちゃんを真似てにやり、としてみせる。上手くいかず引き攣ったような笑みになってしまった。今度鏡で練習しようかな、と思いながら笑みを引っ込めた。

ギシと音を立ててあきちゃんは目の前の席に座った。喫茶養蜂箱の椅子は全てマスターの集めたアンティークの椅子で、座るといつも不安な音を立てる。それが私たちの秘密の合図だった。

「さて、聞こうじゃありませんか、先輩の不可思議な話を。」


怪談にすら満たない、勘違いと言われたらおそらくその通りの、他愛無い話。そんな私の与太話をあきちゃんは喜んで聞く。彼女にとっては嘘か真か、なんてどうでも良いのだ。話せば生まれる。怪異を生み出すのは他でも無い、人間だ。


「今日はね……」


地上より一段低いカフェの、少しだけ高い位置にある窓からはマスターが集めたアンティークの木馬が大量に並んでいるのが見える。それらを眺めながら語り出した。

不可思議な話を。

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