催眠体育教師 油島豚之介
藤原ゴンザレス
第1話 集団痴漢トレイン
むっとした加齢臭が充満する鉄の棺桶が揺れる。まさに虚無という名の地獄。それは朝のラッシュ時間。
スマートフォンの明かりが車内を照らす。男たちは電車の中でひしめき、男たちの息が結露を作る。
その中で制服の黒髪の少女が音楽を聴いていた。灰汁の少ない健康そうな首筋をマフラーで隠し音楽に集中する。
そんな少女の後ろに一人の男が回り込む。
すると少女の顔が歪んだ。男は少女に不自然に近づいていた。鼻息は荒く、その手は少女の臀部をなで回している。痴漢だ。
それはあまりにも露骨。露骨で粗野な痴漢だった。
こんな露骨な動きなら、気づいた誰かが助けるのではないだろうか?
だが車内の男たちはそれに気づいていながら、下卑た視線で少女をただなめ回すように見ていた。不運なことに周りの男たちも痴漢の仲間だった。
「くくくく。この列車に乗ったのが運の尽きだったな。お嬢ちゃん」
男の指が臀部から移動する。少女は羞恥に顔を歪める。
そのときだった。男の手がつかまれる。細い指。女のものだ。
「やめなさい!」
女が痴漢の手をつかんだ。
眼鏡をかけた色っぽい女。美形ではあるがどこか男をバカにしているような、鼻っ柱の強い生意気な顔の女だった。
男は瞬間、その顔を殴りつけてやりたい、泣き顔に歪む顔が見たい、この女を征服してやりたいと強く願望した。
現実は裁判を待たずに社会的な死が待っている。それが日本の法。だが男はにやあっと下劣な視線で女性を値踏みする。
「くははははは! 運が悪かったな! この列車は集団痴漢トレイン。乗車する全員が厳しい訓練を積んだエリート痴漢なんだよ!」
男は止めに入った女性の豊かな胸を鷲づかみにする。
「ご、ご主人様ぁ」
女性が小さくつぶやいた。
「そうだ! 俺がご主人様だー!」
そう言うと男は勢いよく窓を開ける。
だが女性は潤んだ瞳でぺろりと舌唇をなめた。
「てめえじゃねえよ。この包●野郎」
「あ?」
男が間抜けな声を発した。するとそれは恐ろしい事態にようやく気づいた。
車内では異様な光景が広がっていた。それはまさに地獄。
その場にいた数多の痴漢。痴漢四天王と呼ばれた猛者までもがその場でM字開脚。
「は! はい! あちゃー!」
と70年代のカンフー映画のような声を出しながら、己の拳で股間のあざらしを全力で殴打した。
股間からはこれまた70年代カンフー映画のように「ぼ、ぼぼ! バシッ!」という打撃音が鳴る。
あるものは白目を剥き、あるものは涙とよだれを垂れ流していた。だがそれでも大事な大事な
「集団痴漢列車に女教師で女スパイが乗るとこうなるわけか……気をつけねばな」
車内にやたらと渋い声が響いた。
M字開脚する男たちを避けて、イタリア製のダブルのスーツを着た男が歩いてくる。
「ご主人様ぁッ♪」
眼鏡の女性が甘えるような声を出す。
痴漢の男は顔を確認せねばならなかった。
このいかにも生意気そうな女をここまでさせる男とは何者なのか?
それを知らねばならなかったのだ。
男は残念なことに声とスーツに顔が負けていた。醜男という言葉もはばかられる顔面だった。
オーク、その一言が似合う醜男だった。
醜男はやたらと渋い声を出す。
「沙樹さん。仕事中に【ご主人様】はやめてください。恋人同士でも仕事中はけじめはつけるべきかと」
「もう、そんな先生。そんなクールなところ、かっこいいと思います♪」
美女と野獣。この言葉そのものの光景だった。
オークに誘拐されたエルフ姫騎士。そんな言葉が似合う。
こんな豚と女性の接点が存在することが、男には信じられなかった。
オークはジャケットを脱ぐと少女にかけ優しい声で言った。
「よくがんばったね。今からこいつにお仕置きするからね」
「お、お仕置き?」
「そうだ。君、【カンフー映画のように股間を殴れ】」
豚男がパチンと指を鳴らす。
すると男の身体は男の意思に反して、いきなり腰を落としM字に開脚する。
「な、なにが!」
男は必死に抵抗しようとした。
だが体は勝手に拳を握り、高く高く掲げ、股間目がけて振り下ろした。
「や、やめ、やめろ、ほわちゃ! あちょー! はいーッ!」
ぼ、ぼぼ、バシッ! と打擲する音が響く。
「ら、らめ、フレンチドレッシングがゴマドレになっちゃうー! ほわちゃー!」
「ダメだ。殴り続けろ」
「きえーッ!」
ぼ、ぼぼ、ぼぼ。ぼぼ。バシッ!
一車両に乗り込んだ痴漢たちがただ一心不乱に股間を殴り続ける。それはまさに地獄。
なにも知らない男性が見たら思わず内股になっただろう。
そんな地獄を男は一瞬にして作り出したのだ。
「次の駅に着く時間だ。沙樹さんはその娘に付き添って事情聴取をしてください。私は連絡とカウンセラーの要請をします。二人ともよくがんばりましたね」
男は優しい声を出した。
この豚男、顔は容赦ないが、どこまでも紳士。
豚男の言うとおり電車が停止する。すると待ち構えていた。警察官が突入する。
「ご主人様、お疲れ様でした」
警官の後ろにいた二人の制服姿の美少女がぺこりと頭を下げる。
「二人とも。【ご主人様】はやめてください。マジで捕まりますので」
「い・や・で・す・♪」
二人は豚男の頼みを笑顔で拒否する。
この豚のような男の
どう考えてもありえない。それはまさしくこの世の不思議だった。
あまりの驚きに少女から痴漢に遭った恐怖などどこかに行ってしまった。
股間を殴り続ける男たちが警官に取り押さえられていく中、豚男はそ背を向け去っていく。
その背に少女が言葉を投げかける。
「あ、あの、ありがとうございます……あ、あの、あなたは一体? お名前は?」
男はポケットに手を突っ込み振り返りもせずに答えた。
「
そう言うと男は去って行く。
その背には男という名の哀愁を背負っていた。
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