第六話 残されたモノ

 その結果。


「……おはよ」


 ……超眠い。


「どうして起こしてくれなかったのさ?」


 いつの間にか眠ってしまっていたらしく、ショートボブのあたしの髪の毛にはひどい寝癖がついていた。その頭をぽりぽりきながら罰の悪さを誤魔化ごまかすように不貞腐ふてくされてつぶくと、和子おばさんは洗い物をしながらなく応えた。


「あんたは今日も学校休みじゃないのさ。なら、起こす必要ないだろ? 美孝は別だけどね。行きたくねえなあ、とかぐずぐず言い出したモンだから蹴り出してやったよ」


 可哀想に。

 そして同時に、いい気味、って思う今日のあたしは意地悪かも。


「朝ご飯、食べるだろ?」

「うん」


 ぺたんと座ってぼけーっとしてると、気付いた時にはあたしの分の朝ご飯が並んでいた。


 もそもそ、と食べる。

 何だ、ちゃんとお腹は空くんだな。びっくり。


「じゃあ、留守番、頼むよ」


 しゅっ、とエプロンを脱ぎ去る和子おばさんの動きは、副業ついでに日舞の師範代しはんだいを務めているだけあって無駄がなく実に様になっていた。あたしはまだ半ボケの頭をゆっくりと動かしながら尋ねる。


何処どこ行くの?」

「馬鹿。お仕事だよ、お仕事」

「お葬式だったのに?」


 ぴたり、と動きが止まったのは一瞬だけだ。


「ま、それも込みだよ。いろいろとやることがあんの。オトナにはね」

「大変だね」


 何気なくあたしが呟くと、和子おばさんは、かっか、と銀じいそっくりに笑ってみせた。


「大丈夫、心配しなさんな。あとはあたしが、まとめてひっくるめてやっとくからね。いつも言ってるだろ? 銀じいは、あたしにとってじいちゃんで父ちゃんなんだって。昨夜たっぷり泣いたから、もういいんだ」


 きっと気付いている筈なのに和子おばさんは、


 ほら?あんたもだろ?――とは言わなかった。


「そうかも」


 ちょっと箸を休めてから、一気にがこがこ掻き込むように食べ切ったあたしは頷き返す。


「だったら、あたしも行く」

「それは駄目」

「何でさ?」

「鏡見てきなよ。そしたら、食器洗っておいて頂戴。今日一日大人しくてな。いいね?」

「……何それ」


 相変わらずつむじ風のように颯爽と家を後にする和子おばさんの背中を見送りながら、早速言われたとおりにしてみた。




 ……納得。

 こんなに不細工なあたしは自分でも生まれて初めて見た気がする。




 目の周りはぶんむくれ、赤く腫れあがっていた。おまけに寝癖。超ヤバい。そのまま食卓までのろのろと戻り、のろのろと食器を重ね集めると、のろのろと流しで洗った。大きいのから順に食器乾燥棚に並べる。


 頼まれ事は終わり。


「……で、と」


 やることもないので真野の家に戻ったあたしは、学習机の前に立って例のブリキ缶を見下ろしている最中である。


「すきにしなって……何入ってるんだろ、これ?」


 だったら開けるしかない。すっかり滲んでぼやけて読めなくなった銀じいの字を見ると、やっぱり、うっ、と込み上げるものがあったけれど、それよりも中身が気になるっていう好奇心の方が勝った。


 ばり。

 べりり。

 べべべべべ――。


 うーん、厳重に貼ったなあ、銀じい。


 何重にも巻き付けられたガムテープ、しかも紙じゃなくて布の方の奴を苦労してがした。こいつ、粘着力がハンパない。銀じいからのメッセージが書かれた紙は最近貼ったものみたいだったけれど、このブリキ缶が封印されたのはそれより前のことだったらしい。なるべくひっくり返さず、天地を変えずに開封作業を進めようとしたんだけれどそうもいかず、何度か、ごとん、がらん、と大き目の音が響いた。


「ふう。あとは開けるだけね」




 ……ごくり。




 大爆発!




 ってことはないだろうけど。銀じいだし油断はできないかも。急におかしな気分が湧いてきて、くすくす忍び笑いを漏らしながらブリキ缶の蓋を、ぱかっ、と。


「……ん?」


 そこに入っていたのは、ある意味この真野家にはいかにもありそうな物であり、絶対に存在してはいなかった――いけなかった物だった。


「……んんんー?」




 中身は二つ。


 一つは――。




「これって、VRゴーグルとかいう奴だよね?」


 パッと見た限りはそうだ。


 スキー教室の時に被ったゴーグルよりもはるかにゴツく、手に持った感触も相当重かった。目を当てる部分がずどんと前にせり出しているけれど、黒いプラスチックのカバーで覆われているので普通の状態じゃ前はちっとも見えないだろう。内側から見てみると前面に濃いグリーンのレンズがめ込まれていて、その奥の方には小さな鏡や丸レンズがいくつもあるのが見えた。そこから頭部を一周回り込むように硬めのヘッドバンドが伸び、おでこのあたりから後頭部にかけてもう一本ヘッドバンドが伸びている。そして、左右の耳の位置には楕円形のヘッドフォンがそれぞれ付けられていた。


 やっぱりこれは、どう見たってVRゴーグルだと思う。

 テレビで見たことがあるアレだ。


 そして、最大のポイント。

 顔を覆う黒いカバーの前面には、かなり大きな文字で『V・R』と彫られていた。


「……ちょっと待って。あれ?」


 そう。


「何処にもないんだけど……?」


 一つだけ、あたしでも気付くおかしなこと。


 コードが――ないのだ。


 さすがにたったこれだけで動くとは、機械オンチのあたしだって思ってない。両手に持って上や下へといろいろ角度を変えて探してみたものの、それらしきコードなんてものは影も形もなかった。別にあるのを挿すのかな、とも思ったけれど、それらしき場所すら見つからない。


「どうやって使うのさ……意味ないじゃん」


 らしい、と言えば、らしい。

 真野家にありそうで絶対にその存在を許されていなかった――その訳はちゃんとあるのだ。


 まず、あたしのパパのこと。


 パパの仕事はIT関連。詳しくはあたしも知らないけれど、いわゆる仮想現実――つまりバーチャル・リアリティの研究者であり、日本国内でも有数の『知る人ぞ知る』技術者であるってことだ。だからVRゴーグルなんてものがウチにあったってちっともおかしくなんてない。


 けれど、次に銀じいのこと。


 銀じいは、パパの仕事があまり気に入らない――というかかなり嫌いらしくって、その余波を受け、こういうたぐい代物しろものどころかパソコンやスマートフォンすら真野家にはないのである。ウチにある最先端の科学技術の結晶と言えば、液晶テレビとウォシュレット付きのトイレ、あとはあたしが持たされているキッズ携帯くらいしかない。中学二年生にもなってキッズ携帯なんて超ダサくないですか? ぶら下がっている紐を引くと、びょーびょー鳴るアレである。RINEどころかメールも出来ない。あたしが友達の立場なら軽く引く。マジで変えて欲しい。


 そんな事情もあったりするので、ブリキ缶の中身が――おめえにやる、そんな銀じいのメッセージ付きの形見がVRゴーグルだと分かった時、あたしの頭の中はクェスチョンマークだらけになっていた。




 あ。


 もう一つ、入ってたんだっけ。

 まあ、とっくに目には入ってたけどさ。




「えっとー……。ウチの近所に、蝶ネクタイ締めた小学生探偵とかいなかったかなあ……」


 そんな漫画じみた感想しか出てこなかった訳です。


 指輪である。

 しかも、安っぽそうなプラスチック製の。


 黒い。

 ただ、それだけだ。


 いや――ゴーグルと同じく『V・R』と彫られていたけれど、やっぱりそれだけだった。ただ、見た目の割には少し重いようにも感じる。


「うー……こほん」


 一応仕掛けでもあるのかな、と小声で、おーい聴こえますかー、とか呼び掛けてみたが、ただ気まずさと恥ずかしさが込み上げてきただけだった。その後も、引っ張ってみたり、振ってみたり、かじってみたり、目に見えないつなぎ目なんかを探してみたりしたけれど、本当に見た目どおりのただの玩具おもちゃの指輪のようでしかなかった。


「メッセージより、ヒント欲しかったなあ……」


 何処かで、かっか、と笑う声が聴こえた気がした。




 結局何も分からないまま夜になり、瀬木乃家で和子おばさんと美孝と三人でご飯を食べ、銭湯に行って湯上りにフルーツ牛乳を一気飲みし、夜寝た。




 明日は久しぶりの学校だ。


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