第17話 巫女服の想い

 預かり票の後ろに書かれていたお店の住所は、電車で三つ隣の駅にあった。

 僕たちが乗った電車は会社帰りの人でごった返す上りと違い、下り線は二人が並んで座れるほどガラガラだった。


「どうして巫女服のことを深山君が知っているの」


 御子神が眉をひそめて不審な物言いで聞いてきた。


「御子神のお父さんから話を聞いて。巫女服をなくしたのが原因で宝物殿に入れないんじゃないのかって聞いて」

「それで宝物殿に?」

「稲垣にも今朝のことを聞いたから」


 御子神が触れたくないことをかぎまわってまた怒らせてしまったのではと、座席シートの短い毛をつかんだ。しかし御子神は怒らなかった。下にうつむき切ない表情を浮かべながら、電車がゆれるのに合わせて足をぶらぶらさせた。


「情けないよね私、お母さんの代わりにがんばって家事もお役目もがんばろうってお別れの時に決めたのに。まったくこなせなくて。土曜日につくも神様たちの前で逃げ出したことがずっと学校に来てから頭の中に残っていたの。もう家に帰りたくなくて神社の前でウロウロして。立派なんて言葉、私には不釣り合いだよ。何にもできないのに……」


 話す内容が深刻になるにつれて、声がだんだん消えそうなぐらい小さくなっていった。同時に体も縮こまっていきこれでさい銭箱があれば前と同じだ。

 このままにしてはおけない。御子神が立派だってこと、何にもできないわけはないこと、それを伝えたい。

 けど、ただ単に「そんなことないよ」と否定しても前と同じ運命をたどるだけ。だから僕がかけた言葉は。


「僕もできないよ」

「何が?」

「掃除」

「そんなわけない。深山君は私よりずっと」

「おじいちゃんと比べたら、僕は全然できてないよ。おじいちゃんは裁ほうもできたし、古い本の修理だってしていた。掃除できるもの、直せるものはなんでもしていた。僕にはそんなことできないもの」


 僕よりもずっとできる人――おじいちゃんを引き合いに出した。

 僕に掃除のやり方を徹底的に教え込んだおじいちゃんの腕は未だに僕に追いつけていない。床の拭き掃除をさせたら僕が半分終わった時点で、もうおじいちゃんは全部拭き終えてしまっている。種類だって豊富でスピードも段違いなのに、他の人から見れば本当にすごいと思われている。教えてもらった人から見ればぜんぜん大したことがないはずなのに。


「でも御子神は裁ほうができる。僕だけだったらユサになにもしてあげられなかった。えー、つまり」

「互いに補おうってこと?」


 僕が言おうとしたことを先に取られてしまった。


「うん、だから僕が掃除をいっぱい。うんん、全部任せて。御子神ができないことは僕がする。だって僕は、僕は……」


 親戚だからという言葉を寸でで飲み込んだ。僕は御子神のことが――と言おうとした時、なぜか御子神は笑った。その笑みは霊園で見せたくすりと笑ったものと同じだった。


「それ私じゃなかったらこき使われるよ」

「へ?」


 それがどういう意味か僕にはわからなかった。

 電車が目的の町がある駅にまもなく到着する。


***


 駅から降りると会社に行く人でにぎわう僕らの町とは違い、へいに装飾が施されているおしゃれな家が連なり、静かな雰囲気が空気が流れる。

 いわゆる高級住宅街の町だ。

 少し遅れて改札口から御子神が不安そうな顔で出てきた。


「本当にこの町にあるのかな」

「さっき和服を着たおばさんを見かけたし、きっとあるよ」


 励ましたが、巫女服がまだそのお店にあるかはわからないことは言わないようにした。やっとのことで見つかった手がかりなのに、ただでさえ不安定な御子神を困らせたくなかった。

 預り証に書いてある住所だけでは場所まではわからないので、駅前にある交番で聞いてみようと入ってみる。

 交番の中は外と同じように静かで人がいる気配がしない。ステンレスの机の上に『ただ今巡回中』との札がぽつんを置かれていた。


「タイミングが悪いなぁ」


 一瞬御子神の目がちらりと交番の中にかけられている時計を見たのを見逃さなかった。まだ日は暮れていないけど学校から帰ってきてからだいぶ時間が経っている。『コマキ』というお店がいつ閉まるかわからない。


「これからどうする。おまわりさんが来るまで待つ?」

「待っている間にお店が閉まっちゃうかもしれない、人に聞いてみよう。特に和服の人、このお店を知っているかもしれない」


 交番から出て『マキノ』というお店を聞きに回る。けれど人に聞いて場所を見つけるというのは、つくも神たちにした時と同じ声が返ってくるばかりだ。


「知らないわね」

「和服は持っていないからそもそも行かないわ」

「そんなお店あったかしら」


 数で当たれば容易に見つかるわけでもないということをまたも痛感させられた。

 交番にあった地図から住所を調べてはいたけど、それらしいお店の影すらない。


「こっちにもなかった」

「もうお店が潰れちゃったのかも……和服を扱うお店が年々減っているから、直す時に困るのを昔お母さんから聞いたことがある」


 日が落ちると合わせるように、だんだんと御子神の表情も暗くなってくる。せっかくここまできたのに、なんとか手がかりをつかまないと。

 けれど周囲を見渡す限り、人の気配がない。このままだと手詰まりのまま終わってしまう。誰かいないかと次の角を曲がるとき、赤い郵便バイクが道の前を通り過ぎていった。

 そうだ、郵便屋さんだ。郵便屋さんならこの辺の住所を把握しているに違いない。待ってと叫ぶが、聞こえていないのかそのままバイクを走り続ける。

 すると数メートル先に郵便ポストが見えた。しめた、このままならポストの前で止まるはずだ。

 だが郵便屋さんは郵便ポストの前に止まることなく、そのまま大通りに出て姿が見えなくなり、僕の期待は虚しく崩れた。


「なんでこうも次々とタイミングが……」


 もうこのあたりに人はいない。場所を知る人がいないならどうしようも……

 ふと、郵便ポストに目がついた。もしかしたらこれでもいけるんじゃ……ポケットに入れていた祓い串を手に取ると、ポストの前にかざす。遅れてきた御子神が、見慣れたはずの動きのはずが、不思議な光景を目にするように驚いていた。


「何をしようとしているの?」

「ポストに聞いてみるんだ。つくも神様は長い年月経て変化するんでしょ」

「そうだけど、魂が込められるぐらいに大事にされているものでないと。深山君の祓い串で降ろすこと自体できるか……」

「それでもやってみよう。せっかく御子神が大事にしていた巫女服が見つかりそうなのに、このまま帰るのは嫌だもの」


 ポストだって郵便屋さんや人のために大切に使われている物だ。それにだって魂は降りるはず。祓い串に祈りを込めて、赤いポストの頭になでる。

 ポストが目を覚ました。成功だ。ポストは軽く僕に向けて軽くお辞儀をすると紳士風な丁寧な物腰の声で案内を始めた。


「君たち、普通郵便かい? それなら右側の口の中に入れおくれ。大きいものは左の」

「郵便じゃなくて、場所を聞きたいんです。この辺に『コマキ』という和服を扱うお店を知りませんか?」

「私はあまり動かないから詳しくはわからない。でもこの辺で和服のあの角を曲がったところからよく来ているよ」


 やっと有力な情報を得られた。ありがとうとお礼を言おうとしたら、もうポストは元の状態に戻っていた。あのコートの言うように、霊力が低いところだと力が弱まるのは本当のようだ。


 ポストに言われて角を曲がったところを行くと、真っすぐの道筋に昔ながらの瓦屋根の和風の家が立ち並ぶ通りに入った。


「今度はこれだ」


 目についた犬小屋に祓い串をかける。犬小屋にもつくも神は降りた。でも、ポストと違い目や口が薄い。


「あの、この辺に『マキノ』っていうお店は」

「あぁ? 『マキノ』なら後ろにあるじゃねぇかよ。犬が居ぬ間に休んでるんだからさ」


 犬小屋はぶっきらぼう文句を言おうとしたら、そのまま消えてしまった。新しい物の場合は、つくも神が降りるのが短いのかな。


 犬小屋に言われたように、後ろを振り返るとそこには両隣と同じ和風の一軒家。よくよく見ると小巻という表札の隣に、同じぐらいの大きさの『着物仕立て専門店コマキ』という看板がかけられていた。

 こんなに同じ家で、しかも目立たない看板じゃわからないはずだよ。小さく彫られた表札には営業時間は夜の八時までとある。まだ向こうで夕焼けが見えるからその時間じゃない。ギリギリ間に合った。


「ここにお母さんの巫女服が」


 御子神はじっとその看板を食い入るように見つめた。

 インターホンを押そうとすると、僕の指が震え始めた。本当にここにあるのかな、もしかしたら長いこと来なかったら捨てられたかもと急に不安が襲ってきたおそ


「行こう」

「うん」


 まるで勇者とヒロインが一つの剣を一緒になって最後のボスを倒すように、インターホンを押した。


 中に招き入れられた僕らが目にしたのは、凶悪なラスボスではなく、背筋がピンと張った気難しそうなおばあさんが座椅子に鎮座していた。


「御用は?」


 短く冷たいような声で聞かれると、ポケットの中に入れていた預り証を広げて、木目の少ないテーブルに置いた。


「この子のお母さんが預かっていた巫女服を取りに来ました」


 小さな紙だからか、おばあさんは眼鏡をかけて預り証の紙を目に近づける。そして「ほぅー」とおばあさんの口から空気が抜けるように深い息をした。

 これはどういう意味なんだろう……


「待ってて、持ってくるから」


 おばあさんがそう言ってお店の奥に入ると僕は跳びはねそうになるのを抑えられなかった。


「御子神やったね! お母さんの巫女服ちゃんとあったんだ!」

「深山君ここお店だから静かに。でも、本当に。あって……よかった」


 御子神もこらえきれなくなったのか、目の奥がうるうるとしている。よかった御子神が喜んでくれて。もしもつくも神に聞く発想が浮かばなかったら、また不安な夜を送ることになったかもしれない。

 おばあさんが店の奥から出てくると、手には折りたたまれても鮮やかな紅白が放つ巫女服があった。写真で見るよりもずっと大きく、古さを感じられないぐらい色もきれいだ。

 巫女服からはつくも神の声が聞こえない。長く霊力がないこの町に預けられていたから寝ているかもしれない。


「ずいぶん長いことこの子を待たせてしまったよ」


 

 おばあさんが巫女服を持ち上げると、その下に同じ巫女服があった。下の巫女服は大きさは一回り小さいけど、服の紅白の部分はさっきのと違い鮮やかに色を放ち新品であると一目でわかる。

 なんで巫女服が二つも? 御子神のお母さんが持っていたのは二つだった? でもコートさんはそんなこと一言も聞いていなかったけど。

 僕の疑問を代弁するように御子神が下の巫女服について聞いた。


「この巫女服は」

「あんたのお母さんにお願いされてね。ウチは和服の清掃だけじゃなく、作るのもしているから」

「作って……」

「お母さんから聞いていなかったのかい?」


 おばあさんに悪気はないのはわかっている。でも御子神にとってそれはとてもつらいことなのを僕は知っている。

 じっと二着の巫女服を見つめる御子神を連れて外に出る。もう辺りはすっかり暗くなり、月明かりが僕らを照らしている。

 帰る際の障害は飛び石だった。平たくつるんとしている飛び石は、入ってきたときはなんともなかったけど、今の御子神では手をつながないと途中で転んでしまそうだ。


「危ないから手をつないで渡ろう」


 僕が御子神の手をつなごうとしたその時だった。


「深山君、この巫女服のつくも神様を降ろして」

「え!?」

「昔、このつくも神様と話したことがあるから覚えているの。ポストと違ってすぐにきえることはないはず」


 そうじゃない。つくも神が宿っていることは宝物殿にいたコートからすでに聞いている。ポストや犬小屋と違ってすぐには消えないはず。

 けど。


「すごく泣きそうな顔しているよ」

「いいの。でもお母さんがどうしてこれを作ったのか聞きたい。そして、泣きたい」


 じわじわと震える声で、お願いされた。

 悲しい予感はしていた。御子神のお母さんが何の理由もなく同じ形の小さな巫女服を作るはずはない。きっとこれは……

 僕は祓い串の柄の部分を握り締めながら、頼み通りに巫女服に当てた。巫女服に長いまつげとその緋袴と同じ色合いの唇が浮かび上がった。つくも神が降りた巫女服は御子神を見ると柔らかな大人の女性の口調で


「あぁ、久しぶりね美羽。隣には見たことない子もいるけど」

「お久しぶりです。その、覚えていますか。お母さんがこの小さな巫女服を作った理由を」

「ええ覚えているわ。つくも神の記憶は人間みたいにすぐになくならないわ。美羽が小さい頃から私を着ていたでしょ。私が次の主様だって遊んで、すそが汚れまくるまで引きずり回して。そのたびにお洗濯が大変だって主様が嘆いていたわ」

「そんな昔のこと」

「そんな昔のことだって思い出せるわよ。美羽が大きくなってもう着なくなったあとのこともね。ええ、覚えているわ。その後も私がしまわれていたタンスを開けてはじっと見つめていたのを。それを主様が見ていたことを知らないで」


 御子神が巫女服があったところでつぶやいていたという、お父さんの話を思い出した。


「ちょうど汚れてきた時期だったわ。主様が私を洗濯に出すついでに、新しい巫女服を作ってもらうようにするっておっしゃったの。家のこともずいぶんできているから物の守のお役目も立派にできるだろうから驚かそうとね。にしても主様ったらサプライズを忘れたのかしら」


 ああそうか、知らないんだ。一年も預けられていて、御子神の家がどうなったのかを。御子神のためにとしたはずなのに、ひとつの不幸が次々と重なって悪い方に転がって。

 ポトリと飛び石の上にしずくが落ちた。二滴、三滴、ボロボロ御子神の目から落ちて、その体も二着の巫女服を抱きしめながら崩れ落ちた。


「お母さん……お母さんっ。お礼言いたいのに……ありがとうって…………」


 僕はどうすればいいのか迷った。なにを言っても御子神の涙が止まることはないとわかっている。だけどこの何もしてあげられない悔しさが、ただ見ているだけがむずがゆい。


 ガラッと店の扉が開き、さっきのおばあさんが出てきた。店の前で泣いているのを怒っているのかな。 


「あの……」

「……なにも言わないよ。この子に何かあったのは見ただけでよくわかった。この子を無事に家まで連れて帰らせておやり。たとえ若くても男の役割はそんなもので十分だよ」

「わかりました」


 ひざを抱えてグスグスと泣き続ける御子神の手を取る。


「行こう御子神」


 御子神は何も言わなかったけど、僕の引いた手を離さなかった。

 帰り道でも電車の中でも御子神は泣き続けた。ひどくひどく。どうか明日には御子神の涙が止まりますようにと僕は願った。

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