第4話
外から聞こえてきた物凄い衝突音で、目が覚める。
とっさにスマホの時計を確認すると、もう朝の十時になっていた。完全に遅刻だ、と顔から血の気が引く。昨日意識を失ったのが夜の一二時頃だったはずだから、まるまる十時間は眠っていたことになる……四時間よりも長く眠ったのは本当に久々のことだ。そんなことを、他人事のように頭の隅で思う。
外から今度は、消防車や救急車のサイレンが聞こえてくる。
部屋を見回してみたが、あの祭司はどこにもいない。
「夢、だったのか?」
祭司や祭典のことは、仕事で疲労した脳が見せた、リアルな悪夢だったのだろうか? いや、そうに違いない。あんなことが現実にあるわけがない。とにかく今大事なのは、仕事に行くことだ。慌てて会社に電話をかけた。
しかし、繋がらない。
もうとっくに業務時間内のはずなのだが、まさか俺の電話とわかって無視しているのだろうか。であれば、直接出向いて謝罪して、許してもらうしかない。今更より良い職場への転職なんて望めそうもないし、ミミズ以下の俺を雇ってくれる会社なんて、このご時世きっともう見つからない。どんなことをしてでもしがみつかなければ。
慌てて靴を履き、玄関のドアを開けた瞬間、ガッとドアに何かが当たる音がした。
「ん?」
下を見た途端、俺は悲鳴を上げその場に尻餅をついていた。
血塗れの死体がそこにあった。
「ま、まだ夢なのか……?!」
しかしふと見れば、自分の着ているスーツは、夢で着たのと同じものだった。俺は動転して、自分の頬を叩いた。痛い。夢じゃない。
「助けて!!! 誰か助けて!!!」
今度は助けを呼ぶ声が聞こえた。さっきから外では、一体何が起こっているというのだ。テロ? 地震?
情報を得るため、手元のスマホでニュースアプリを開く。
【交通機関を襲う謎の生物! 自衛隊が交戦するも被害拡大 政府は屋内退避勧告を発令】
【全世界のSNSに深刻な不具合、サイバーテロか? 連絡は電話かメールで】
ニューストップには、まるでエイプリルフールか世界の終わりか、と言わんばかりの見出しが並んでいる。SNSの方の記事には、「全てのSNSの管理権が何物かに乗っ取られ、『かみさま』というユーザー名の何億ものアカウントが、世界のユーザーの投稿を無差別に拡散している」「サーバーに深刻過ぎる負荷がかかっているにもかかわらず、なぜかサーバーダウンが起こらない」とある。試しに自分のSNSを開いてみると、やはり通知がものすごいことになっている。
赤く光った999+の通知は、その全てが、
「かみさまがあなたの投稿を拡散しました」
という内容だった。
「かみ、さま……?」
途端、激しい頭痛に襲われた。激痛とともにフラッシュバックしてきたのは、幼い頃の記憶だった。ランドセルを背負って歩いた、小学校の帰り道。一人で歩いていると、時々、母が会いに来てくれた。ふわりとした白いワンピースに、大きな白い帽子。白は大好きな色だったけれど、電柱の陰から出てくる母の目は、いつも真剣で怖かった。
『審良』
『お母さん、会いに来てくれたの? でも、お父さんに見つかったらまた……』
『また学校で、あの低俗な子達と遊んでいたわね? ダメだと言ったのに』
『でも、友達だし、優しくしてくれるよ……』
『いい、よく聞きなさい審良。確かに私達にはあまりお金がないかもしれない。でも、私達には信仰がある。汚れた世間の人達とは違うの。あの愚劣な子達と関わっていたら、清らかなあなたまで汚れてしまう』
『でも……』
『おい、またか? いい加減にしろ! 審良から離れろ! インチキ宗教の教えなんか吹き込むな!』
『やめて、お父さん、やめて! お母さんに乱暴しないで……!』
『もう俺達は離婚したんだよ。こんなのをお母さんなんて呼ぶなこのバカガキ。おい、二度とこいつにつきまとうなよ、このイカれ女が』
『私なら大丈夫よ、審良……』
『無視しろ。行くぞ』
『……』
父は、新興宗教に洗脳された母が息子に会いに来るのを警戒して、定期的に車で迎えに来た。両親が出くわしてしまった日は、車から降りてきた父が、俺から母を引き離し、荒々しくアスファルトに突き飛ばすのが常だった。
俺に会えなくなると、母はさらに病んでいった。しばしば家に電話が来るようになった。父が手が離せない時、俺が代わりに電話に出ると、受話器からは一瞬母とはわからない低い低い声がして、そして言う。
『神様が、いつもお前を見ていますからね』
『神様が、い つもお前 を見ていますから ね』
『 神 様 が、いつも お前を見 ています か らね』
『神
様
が
い
つ
も
お
前
を
・
・
・
・
・
・
・
……それから、俺は神様を信じなくなった。その後、病みに病みきった母は結局、宗教の教えに従い、身投げをして死んだ。そうすることによって、この世の汚れを吹き飛ばしてからあの世に行けるらしい。知ったことじゃないが。
だから俺は、母との思い出を、記憶の奥底に封印した。
封印した……はずだった。
「行かなきゃ」
そう呟いて、スマホを手に立ち上がる。母は間違っていなかった。確かに、母の信じたあの宗教の神様は存在しなかったかもしれない。でも今、この世界のどこかに「かみさま」がいて、そして俺は「かみさま」を探さなければいけない。それは俺にしかできないことだから。
スマホをタップしてアプリを更新すると、地図が表示された。赤い矢印のマークで示された場所に、「かみさま」がいるということなのだろう。ここからそう遠くはない。
俺は仕事鞄を投げ捨て、アパートを出た。
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