ある日ゴミ屋敷の住人が死んだ。

奥森 蛍

第1話 ある日ゴミ屋敷の住人が死んだ。

「ええ、ちょうど犬の散歩してる時でしたね。いえいえ、いつもの散歩コースです。見かけない黒の塊があって何だろうと思ったらカラスたちでした。近寄って見るとスーパーの袋が食い破られて傍におばあさんが倒れていまして、それで慌てて119番したんです」

「あなたが見つけた時女性は息がありましたか」

「いえ、それは分かりません。ただ呼びかけにも応じないし、ピクリとも動きませんでしたから」

「なるほど」


 森川は女性の証言からキーワードを拾い出して手帳に乱暴に書きつける。その様子を怪訝そうに見ていた女性は言葉を継いだ。


「あの、刑事さん。おばあさんは殺されたんでしょうか」

「それを捜査しているところです」

「時々、見かける優しいおばあさんだったんですよ。動物が好きでうちの犬なんかにもすごく優しかった」


 言葉には極めて親しみが込められている。少なくとも本心から出た言葉だろう。


「女性を見かけたのは初めてというわけではないのですね」

「ええ、たぶん猫にエサやるために毎日来てたんじゃないかな」

「大体いつも何時ごろです?」


 森川の視線を受けて女性が思考を巡らす。その所作をじっと見つめた。


「さあ、六時半から七時ごろ……時々遅い時もあったようです」

「なるほど女性は六時半から七時にはこの場所に来ていた可能性がある、と」


 そう反芻しながら再び手帳にメモする。科学捜査官の所見によると死亡時刻は六時半から七時の間、彼女の情報が正確であれば老女はこの場に来てすぐ死んだ可能性がある。もしくは別の場所で息を引き取るか、殺されて運ばれてきた。


――しかし、ごく短時間のうちにそれが可能か?


「警部」


 現場検証をしていた科学捜査官の一人が森川にそっと近寄った。


「あとは一度帰って司法解剖してみないと分かりません」

「そうか。進展したら教えてくれ」


 遺体と大事な状況証拠と共に一部の捜査官が去り、森川は依然物々しい気配に包まれた現場を眺めまわした。見晴らしの良い河川敷。時間が時間だがこのような場所で堂々と人を殺して去るだろうか。人通りの少ない早朝であっても、散歩やジョギングしている人もいるだろうに。


 現場に残されていた物証はカラスに食い破られたジャムパンと未開封のネコの餌のパウチが数点、それに牛乳だった。発見者の証言から推測すると老婆はここへは猫にエサをやるために来たのだろう。もしくはそれに見せかけた殺人かもしれない。


 周囲で手分けして聞き込みを始めてすぐ、重要な情報を得た。老女の身元が分かった。老女はここから十五分程度の閑静な住宅街の一角の洋館の住人だった。



――花村悦子、六十七歳。



 特筆すべきは彼女の住まう洋館がゴミ屋敷であったことだろう。

 場所を住宅街にある彼女の住居のゴミ屋敷周辺に移し、森川は近所の住民に聞き込みを始めた。ゴミ屋敷の存在自体は森川も既知の所で署でも有名である。

 近隣住民は相当鬱憤が溜まっていたらしく、少し訊ねるだけで洪水のように不満を垂れ流した。出てくるのは大小様々なトラブルばかり。老女は周囲の人間から顕著に疎ましく思われていた。近所の住民からも愛想をつかされ、それでも一人黙々と毎日ゴミを集め続けていたという。


 気配が巨大に膨れ上がったゴミ屋敷は、鬱屈とした空気を醸しだし巨大な憎悪の塊として他のすべてを圧倒していた。


「私どもも困り果てていたんですよ。ずっと何とかしてくれって言ってたんですけど注意すると怒り出す始末でしょ。そのうちだれも注意する者がいなくなって。私もこんな立場だし無視するわけにもいかずでして。嫌いとまではいかなくても好きじゃないって人は多いと思いますよ」


 疎ましそうに話したあと、自治会長が「他にも何か?」と問うので「いえ結構です」と断りをいれた。自治会長が去り、森川はゴミ屋敷を見上げる。仕事柄このような場所を見かけることも多いのだが、このゴミ屋敷は他の同種のものと決定的に違う点があった。


 それは品である。このゴミ屋敷には品があった。それは老女悦子の品と言っても差し支えないだろう。ほとんど芸術のように美しくそびえ立つ孤城だ。空には暗雲が垂れ込めてもうじき雨が降る。その姿をしっかり目に焼きつけて森川はその場を立ち去った。


 署に戻ると早速いろんな進展があった。

 まず、悦子の経歴だが彼女は二十代の頃から高級クラブのホステスであった。一度辞めたものの再び夜の世界へと舞い戻り、その後また辞めている。


 世間にはゴミ屋敷マニアという者がいて、インターネットサイトに彼女の屋敷を写真掲載すると共に様々な情報を載せていた。そのサイトによると彼女の住んでいたゴミ屋敷は二十年程前から作られ始めたという。丁度悦子が二度目にホステスを辞めた四十代のころと重なり、森川が歩いて集めた情報とも合致する。

 サイトにはゴミレベル75とあって、どのような基準でレベルを定めているのか不明だが恐らくサイトの主の所見だろう。ランク三位に位置づけされてその世界でも有名なゴミ屋敷だったらしい。


 惹きつけられるように画面に見入っていると、電話が鳴った。科捜研の捜査員からだった。


『死因が判明しました』

「それで?」

『心筋梗塞です』

「ほう」

『現場付近は随分寒かったですからね。季節柄多いですよ。気になるのは爪に皮膚片が残っていたことです。ちなみに薬物は検出されませんでした』

「ということは殺人」

『とは言い切れませんが争った人物がいたことは確かです』


 森川はぐっと目をつぶり、天井を仰いで歩いて集めた情報をそらんじた。近所の住民の顔を一人一人思い浮かべながら腹に一物ありそうな人物を探る。不審な点はないか、疑うべき点はないか、争った人間はいないか。これだけの情報を全部調べ上げると骨が折れることは間違いない。無駄なくたびれもうけにならなければいいが。

 頭の後ろで組んだ手に一気に力を込めるとやるかあと唸った。





 森川は手始めに近隣住民とのトラブルから丹念に調べ始めた。調べていて一番古いトラブルはおよそ二十年前、やはり洋館がゴミ屋敷になり始めた頃、そして悦子がホステスを辞めたころにさかのぼる。悦子の屋敷には様々なトラックが出入していた。ほとんどが夜の訪問で何を作業していたかは不明だが、不眠に悩まされた住民が夜の作業は遠慮して欲しいと訴えると悦子は目を剥いて怒鳴りたてた。


 美しい屋敷からは異臭がするようになりやがて悦子と少ない交友のあった住民たちも距離を置き、閑静な住宅街の中、彼女の異様性だけがどんどん浮き彫りになっていった。彼女がゴミ漁りを始めたのはそれから五年もしないうちだったという。ゴミの日になると彼女は近所のゴミステーションから目に余るほどのゴミを持ち帰るようになり、町内会で話し合ってゴミの当番も設けた。カラスではなく悦子からゴミを守るためというのが笑い話である。


 見た目にも立派なゴミ屋敷になり始めたころ悦子の家には物騒な輩が出入するようになった(おそらくヤクザと思われるとのことだが)。さすがに住民も口を出すわけにはいかなくなり警察の生活安全課に相談したが、事件性も見つからなかったため手を打つことが出来ず、その長年のヤクザとの付き合いの後、ヤクザ連中とも手切れしたようで悦子はどこにでもいる普通の老人になった。


 今となってはゴミ屋敷を訪れるのは近所の子供たちだけだったという。悦子に声をかけては1つ宝物を掘りだして行くのが彼らの遊びになっていたそうだ。


 老年の悦子はゴミ屋敷の住人にしては小綺麗であったと言うがそれでも全盛期の美しさの欠片もなかったと一部の住民は話す。河川敷で見た悦子は十分美しかったように思うがやはりゴミ屋敷の住人であるという偏見が人々の心内に暗い影を落とすのだろう。


 ヤクザ関係のことは少々気になるが交際があったのは十数年も前の話で、何より悦子の死因が心筋梗塞であったということから事件性は無いものと判断し、警察は捜査から手を引いた。森川は頭の片隅でやっぱりこうなったかと諦める。心血を注いできたこの一件はこうして世間から忘れ去られた。悦子の死もゴミと共に埋もれ、日々起こる凶悪事件の陰に隠れるようにして消えた。


 警視庁による事件の捜査は終了し、それから三カ月が過ぎた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る