第六十九話 ユークレース・フラハティ

 その日ゆりとアラスターは、夜会の行われた旧王城のだだ広い敷地の一画にある魔道研究所を訪れていた。

 先日のゆりの願い通り、ナオトの呪印を解く糸口を得るために研究員を紹介する手筈になっているからだ。


 今日のアラスターは非番である。帯剣してはいるが鎧を身に付けていない彼は、ゆりの背に手を添えながら研究所内を進む道すがら、その研究員のことを教えてくれた。


「名前はユークレース・フラハティ。幻鳥族の男で、魔道研究所の主任研究員だ」

「主任研究員……? 随分偉い方なんですね」

「ああ、実績だけは保証する。貴女の身体に触れる可能性があるのだからできれば女性の研究員を紹介したかったんだが……。生憎、条件に当てはまる人物がいなくてな。すまない」

「そんな。わざわざお休みの日にありがとうございます」



 今回の件は、優秀で、なおかつ口が固く信用のおける人物でなくてはならない。更に、アラスターには譲れない条件が一つあった。


 ――絶対に、ゆりに懸想しない人物。



「まあ、奴は変人で、男だが、その……。貴女に無体な真似はしないだろう」

「?」

「ああ。うん……その……奴は、だから。女性には興味がない」

「はあ」


 そんな個人のプライバシーに関わることを勝手にバラしてしまっていいのかな、とゆりは思った。



「アーチボルトだ。フラハティ、件の女性を連れてきた。……入るぞ」


 ノックしたアラスターが部屋の主の返事を待たずに扉を開けると、中から少し高めの男の声が聞こえた。


「やあ、アラスター。会いに来てくれて嬉しいよ」


 その人物はゴロゴロとタイヤ付きの回転椅子を滑らせて立ち上がると、歓迎の言葉でアラスターを迎えた。それに対し、当のアラスターはとても嫌そうに顔をしかめる。


「お前に会いに来たわけじゃない。彼女を案内しただけだ。ゆり、この男が魔道研究所の主任研究員、ユークレース・フラハティだ。フラハティ、こちらが召し人のゆり」


 機械のような謎の器具が所狭しと並ぶ雑然とした室内。研究員の制服である黒のローブを纏ったその男は、この場に不釣り合いなほど煌びやかな容姿だった。


「……! この間の、」


 ゆりは目を見開いた。


 透き通った水色の瞳。所々カラフルなメッシュの入った夜空色の髪。首回りには派手派手しいグラデーションの羽根が生えている。背は高いが身体は細身で、彼が研究職であることを想起させた。

 それは、先日図書館の禁書庫で出会った男と同一人物であった。


 ゆりを見下ろしたユークレース・フラハティは、先程アラスターにかけた言葉とは打って代わり興味無さそうに呟いた。



「ふうん。なんか……思ってたより地味だね。魔力も全然感じない」



 ゆりのことを覚えているのかいないのか、その言動には一切の感慨がない。


「今は魔力を抑えているんだ。『魔力殺し』で」

「へえ。ま、そこらへんは本人のけど」

「フラハティ、言っておくがな……」


 無礼な言動にアラスターが抗議しようと口を開くと、ユークレースはひらひらと片手を振った。


「あーハイハイ。安心して。僕はこういう地味な女には興味ないの。ていうか、きみの方がよっぽど美しくて魅力的だよね……? ねっ、アラスター。今度色々調べさせてほしいな……。二人っきりで」

「寄るな、触るな、名前を呼ぶな!」


 ユークレースがアラスターを見上げ、人差し指でツイ、と顎をなぞったので、アラスターは全身に鳥肌を立てて後退る。


「ゆ、ゆり。二刻経ったら迎えに来る。今後の予定はそいつと決めておきなさい。フラハティ、くれぐれも丁重に扱えよ」


 アラスターはユークレースを牽制しつつも、ゆりに言葉をかけると素早くその場から去っていった。



 部屋の扉が雑に閉められたのを見送って、その煌びやかな男は首を傾げる。


「相変わらず堅物だなあ。……一体あんたみたいな地味な女のどこが気に入ったんだろうね?」


 心底わからない、と言った顔でユークレースはゆりを見た。

 散々地味、地味、と扱き下ろされたゆりだったが、そりゃあ貴方やアランさんに比べたら大抵の人は地味だろう、と妙に納得してしまい、最早怒りすら湧いて来ない。

 ゆりは気持ちを切り替えて背筋を正すと、目の前の男に向かって日本風に真っ直ぐお辞儀をした。


「ご挨拶をするのは初めまして、フラハティさん。矢仲ゆりと言います。よろしくお願いします。それから、この間はありがとうございました」


 その姿をちらとだけ一瞥すると、ユークレースは部屋の奥に戻り初めに座っていた回転椅子に腰掛けた。


「僕さ、建前とか堅苦しいのとか嫌いなの。だから特別に名前で呼ぶことを許してあげる。僕もあんたのこと、好き勝手に呼ぶから」

「はい。よろしくお願いします、ユークレースさん」


 ユークレースは特にゆりを見るでもなく椅子にふんぞり返ると、自分の向かいにある同じ回転椅子を指差して勧めた。


「大体のことはアラスターから聞いてるけどさ。不死の王アンデッドキングの接吻の呪いを解きたいんだって?」

「はい」


 ふうん、と呟くと、ユークレースはゆりを上から下まで値踏みするように不躾に見た。


「あんたが呪いを抑えてるって聞いたけど、具体的にはどうやってんの?」


 隠してもしょうがないので、ゆりは正直に話した。


「最初は、血をあげました。つ、次からはその……唾液を、口移しで」

「やだー、意外とだいたーん」


 ゆりの決死の告白に、ユークレースは机に置かれた書類に目を通しながらまったく心の籠らない棒読みで答えた。


「確かに、体内に魔力があれば体液にも微量に含まれるもんだけど……ちょっと信じられないな。じゃあまあ、まずその唾液の魔力量を見てみようかな。このシャーレにちょっと出してよ」

「ふえ……。はい……」


 この時点で十分恥ずかしいがしょうがない。ゆりはユークレースからガラスのシャーレを受け取ると、椅子ごとくるりと背を向け……一生懸命ぺっぺと吐き出した。

 ゆりが赤くなって俯きながらシャーレに蓋をして返すと、ユークレースはそのまま机の上にある電子レンジのような機械の中にそれをしまった。そしてスタートのスイッチと思われる場所に嵌め込まれた宝石に手をかざすと、ブツブツと何かを呟いた。


「僕、幻鳥族だから。絶滅危惧種なんだけど、けっこう魔力持ってるんだよね」


 その言葉通り、力を込められた電子レンジは全体が金色に輝き右上のメーターらしきものが揺れ始めた。



そして、そのまま十秒ほど経ったところで。


「あ」

「……な、何ですか?」


 電子レンジを見ていたユークレースが突然言葉を発したので、ゆりは思わず問うた。


「ヤバい、針が振り切れそう」


 ユークレースは淡々とした調子ながらも焦ったらしく、慌てて電子レンジの宝石部分を拳でゴン! と叩いた。すると、金色の光が止まる。

 そんなに雑に扱って大丈夫なのかな……とゆりが恐る恐る様子を見守っていると、ユークレースはゆりを睨み付けながら矢継ぎ早に言葉を浴びせた。


「は? 意味わかんないんだけど? なんでこんな地味な小娘が? あんたの世界って、みんなこうなの?」


 ユークレースのイライラした様子に、ゆりは困りながら答えた。


「え……それはちょっと、わかりません。そもそも私の世界には、魔法とか魔力とか存在しないので」

「何だよそれ、ナチュラルにマウント取ってんの? ……僕の幻鳥族としてのプライドがズタズタじゃないか」


 そんなこと言われても……、とゆりが返す言葉に詰まると、ユークレースは細い眉を歪めながら嘆息した。



「ハァ、もういい。――で、話を戻すけど。そのはどのくらいの頻度でしてるのさ。何日くらい呪印を抑えられるの」


「のっ……?!」


 ゆりはそのダイレクトな言い回しに一瞬言葉を失いかけたが、なんとか意識を引き戻して質問に答えた。


「――ギリギリまで粘ったことがないのでなんとも言えませんが、五日から六日……くらいだと思います」

「ふう~ん」


 ユークレースは顎に手をやると、斜め上を見て暫し黙り込んだ。何かを考えているらしい。

 ゆりが黙ってその様子を伺っていると、ややあってユークレースはけろりと言い放った。



「わかったよ、呪印を消す方法。理論上は」

「えっ!?」



 これまで教会も個人的に調べたゆりにもわからなかった解呪方法をあっさり見つけたと宣言されて、ゆりは目を見開いた。


「そ、それはどんな方法ですか!? どうすれば!?」


「……顔を近づけてくるなよ。簡単なことさ。あんたとその呪印の持ち主……勇者だっけ? が、


「――――は?」



 想像もしなかった、そして想像もできない答えにゆりはぽかんとした。

 ユークレースは自分の首元の羽毛に指を絡めると、事も無げに説明する。


「いいか? 呪いを解く方法は、それが強力なものだろうが普通のものだろうがやることは同じ。浄化術のように、大量の清浄な魔力で洗い流せばいい。普通、体液の中で一番魔力の濃度が高いのは血だけど……。不死の王アンデッドキングの呪いを解くほど大量に、となるとあんたの死体が丸ごと必要だろうな」

「は、はあ」

「血の次に濃度が高いのはだから。これなら安定供給できるし、あんたら男と女なんだからちょうどいいだろ」

「え、いや、……え?」

「なに? あんた処女なの? ……うわ、メンドクサ」

「…………」


 ずばり指摘され、ゆりは言葉に詰まった。それでもナオトを救う鍵になるかもしれない大切な話なので、何とか言葉を絞り出す。


「……そ、それって……。一回で、大丈夫……なんですか……?」

「んなわけないだろ。一日最低三回、一日も欠かさずに少なくとも数ヶ月は続けないとダメだね。……あ、何? 試そうと思った?」

「お、思ってません!」

「まあ、この方法だと……。途中でヤンチャで評判の勇者様の足腰が立たなくなるか、あんたが壊れるか孕むかしたらおじゃんだけど」

「!?!?!?」


 ユークレースの言うことは、途中から完全にゆりの理解の範疇を越えていた。


「……だから言っただろ。理論上はって」


 理解は追い付かなかったが、実践するのは困難らしいということだけはわかった。

 ゆりはパニックになりかけた頭を落ち着けると、すがるような思いで再びユークレースに問いかけた。



「ほ、他にはないんですか」


「……あるよ」


「えっ?」



 なんとまだ隠し球があったらしいことにゆりは心底驚く。

 そんなゆりの表情に、ユークレースは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「あんた僕のことなめてるの? 天才だよ? 頭が良くて、美しくて、貴重な幻鳥族の純血で……。魔力はまあ、あんたの方が持ってそうだけど……」

「ユークレースさん、教えて下さい」


 身を乗り出してローブの袖を掴んでくるゆりに、ユークレースは少し機嫌を良くして髪を掻き上げた。


「あんた、上級霊薬ハイポーションの作り方知ってる?」


 ゆりはふるふると首を振った。

 霊薬ポーションとは、飲むと多少疲労回復や怪我の治癒に効果のあるこの世界の栄養ドリンクのようなもの……というのがゆりの理解だ。「上級霊薬ハイポーション」というからには、もう少し効果の高いものなのだろう。


「魔力を含んだ水を他の魔力を高める触媒と一緒に……まあ簡単に言えば煮詰めて、魔力の濃度を濃くして効能を高めてるんだけど」

「はい」

「同じ理論が、あんたの血にも使えるんじゃないかと思う」

「はい」

「あんたの血をベースにして、極限までその魔力の濃度を高めれば……。なんかもう、霊薬ポーションとか通り越して伝説の神霊薬エリクサーレベルになるんじゃないかと思うわけ。そうすれば、この世に治らないものなんてないだろう。もちろんそれにはあんたの血が大量に必要だし……触媒や精製方法にも実験が必要だけど」

「ユークレースさん!」


 ゆりが突然立ち上がり、自分の髪を弄んでいたユークレースの右手を両手で掴んだ。



「ユークレースさん! ほんとに、ほんとにすごい!! 天才ですね! 頭が良くて、顔も良くて、なんでも知ってて、本当に天才ですね!!」



 ナオトを助けられるかもしれない。

 灯された希望にゆりは涙を流しながら笑うと、掴んだユークレースの右手をぶんぶんと振った。


「な、なんだよ、分かればいいんだ。……ていうか泣くか笑うかどちらかにしろよ。あと泣くなら涙はシャーレに溜めとけよな……それだけで上級霊薬ハイポーション何個作れると思ってるんだよ……」


 ユークレースはゆりのぐしゃぐしゃの泣き笑いに軽く引きながら、呆れた表情でハンカチ代わりの新しいシャーレを突き出した。

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