第五十六話 自由に囀ずる小鳥

 命を刈り取る瞬間が好き。

 切り刻んで、飲み込んで、平らげれば、オレは生を実感できる。

 女を抱いている瞬間が好き。

 捩じ込んで、蹂躙して、支配すれば、からっぽのオレの心は満たされる。


 ああ、でも。

 あの子が泣くんだ。

 とても美しく。澄んだ瞳を曇らせて。あの子が泣くから、オレの心はバラバラになる。



 オレを見て。俺を暴かないで。

 オレに触れて。俺に近づかないで。

 オレの全てを知って。俺を受け入れないで。

 オレを……




 物心ついた時にはスラムに捨てられていた彼は、親の愛を知らずに育った。

 最低な生活だったが、空腹に喘ぐことはそれほどなかった。

 何故なら、彼は美しかったから。

 掃き溜めのようなスラムでも一際目立つ彼は、時に娼婦に可愛がられ、まれに貴族の男に気に入られて。甘言の裏にある大人の欲望に晒されながらも、凍え死にさえしなければいいと思い育った。


 年齢が二桁になる頃には、自分は他人と比べてが得意だと知った。ほんの短い刃渡りの刃物さえあれば、街中で彼に勝てる者はほとんどいなかった。

 そうして冒険者ギルドに籍をおいた彼は瞬く間に「赤い悪魔」と呼ばれるようになり、畏怖と尊敬を集めた。それなりの金も得て、もう寒空の下で眠ることはなくなった。


 今から五年前、アルバスの丘でほんの冗談から神剣を引き抜いた時、彼は実は嬉しかった。

 何故なら、神剣オスティウスは生まれて初めて他の誰でもない「ナオト自身」を受け入れ、認めてくれた存在だからだ。

 その後すったもんだの挙げ句教会から「勇者」と認定され、役目を与えられ。神殿に縛り付けられる生活は決して面白いものではなかったが、それでもナオトは世界でただ一人自分だけが勇者と呼ばれ、必要とされることを悪くは思っていなかった。


 勇者になって、子供の頃に持ち合わせていなかった大抵のものは手に入ったけれど。

 でもずっと、彼には何かが欠けていた。





「んぁ……?」


 ナオトが目を開けると、そこにあるのは見慣れた神殿の天井だった。


「ほっほっほ。勇者殿、お目覚めですかの」

教導じいさん……!」


 目覚めて一番最初に目に入った人物が白眉の老人だったので、ナオトは心底嫌そうな顔をした。


「なんじゃ。儂じゃ不満か」

「そりゃそーだろ……」


 ナオトはベッドの上に上半身を起こすと、額に手の平を押し付けながら嘆息する。

 サンタクロースのような髭を持つこの神殿の教導トップはカラカラと笑った。


「じーさん。オレはどのくらい眠ってた?」

「お主がゆり殿の部屋の窓を割って入ってから、丸三日かの」

「ゆりは……? ゆりはどうしてる?」


 教導はナオトのその問いには答えず、自身の白い髭を撫でた。


「ふむ。勇者殿。お主は、自分がどのような状態だったか覚えておるかの?」

「は? 不死者アンデッドにやられて血が止まんなくなって、あと、不死の王デカイのに噛まれて……」

「まさかお主が、誰かを庇って怪我をするとはの」


 人は変わるものだな、と教導がしみじみと呟いたのを見て、ナオトは悪態をついた。


「うるせーな。お陰でオレは死にかけて……。あれ?」



 そうだ。自分は消えない傷を受けたはずなのに。



 慌てて自分の腹を確認すると、清潔な衣服に着替えさせられていたナオトの脇腹には、もうほとんど何も残っていなかった。

 次に不死の王アンデッドキングの接吻を受けた右肩を確認すると――こちらには、相変わらず恐ろしげな紋様の呪印が刻まれていた。だがその色は薄く、当初のように赤黒く明滅する気配はない。


「なんで、オレは……。――! ゆりの、血……!」


 自分がいつの間にかピンピンしている理由に思い至って、ナオトは蒼白になった。


「落ち着きなされ。ゆり殿は既に目覚めておられる。左腕が治るにはちと、時間がかかりそうじゃが」

「ゆりの、オレはゆりの腕を噛んで、それで」

「勇者殿」


 教導は静かな、だが威厳ある声でナオトを黙らせた。



「勇者殿。もし、お主がゆり殿をこれまで通り自由にさえずる小鳥であれと願うなら――。


 ――その身に起こったことは、誰にも打ち明けなさるな」



 教導の声は深刻味を帯びていたので、ナオトはただ「ああ」と首肯することしかできなかった。



「ゆりは今、どうしてるの」

「ああ。今、フレデリク王子がいらしてての。二人で会うておるが」


 突然出てきた“王子”という単語に、ナオトはきょとんとした。自分がいない間に、何かが起こっているらしい。


「は?? 王子が……なんだって??」

「いやあ、たまげたぞなあ。まさかあのフレデリク王子がゆり殿に求婚するなど。まだほんの小さな子供だったと言うに……。しかしゆり殿を見初めるとは、なかなかどうして、見る目がある」


 そうじゃろう?と笑顔で聞かれ、ナオトは混乱した。



 王子が、求婚? ゆりを見初めて?



「ま、王子と言えどもままならぬことはあるということじゃ。失恋も良い経験に……」


 ナオトは教導の話を最後まで聞くことなく、部屋を飛び出していた。




 いつだってそうだった。


 あの子が笑えば、オレは祈りと共に生を実感できる。

 あの子を抱き締めれば、オレのからっぽな心は真に満たされる。




 ナオトは神殿に残るゆりの匂いを感じ取ると、脇目も振らずに走り出した。




 ――ゆり。

 きみがいるから、オレはどこまでも走っていける。

 傷ついて、血を流しても、きみの優しい手を探してる。


 ゆり。ゆり。かわいいゆり。

 オレはきみが好き。


 初めて会った時から、ずっとずっときみが好き。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る