第四十話 おまじないをかけてあげる

「ごきげんよう、ゆりさん。今日は私たちが精一杯お手伝いさせていただきますわね」

「ララミアさん、こんにちは。お連れの方達も、今日はどうぞよろしくお願いします」

「ふふふ、奥様。ウデがなりますわね」


 ゆりが頭を下げると、ララミアと彼女が連れてきたトゥエッテ家の二人の侍女達はそれはそれは嬉しそうに微笑んだ。



 今日はついに中央評議会主催の夜会の日。


 パーティーの開始が告げられるのは日が落ちてからだが、ゆりとナオトはその一刻程前にトゥ=タトゥ聖教国から代表としてやって来ている教導との面会の予定が組まれている。


 ゆりは身支度を整えるため、普段の自分の部屋とは異なる一際大きな客間を借りることとなった。王族などが神殿に滞在する際に使用される部屋で、部屋の続きにはバスルームも備えられている。

 ゆりはせいぜい、ドレスの着替えとヘアメイクを手伝ってもらうくらいの腹積もりでいたのだが、ララミアから指定された時刻はそれには随分早い、昼過ぎのことだった。



「ではゆりさん。まずお召し物を全部脱いで、そちらにうつ伏せになって」

「へっ?!」

「まずはお身体をじっくりほぐしてから、湯浴みをしましょう。更にその後御髪や御肌の手入れを致します」

「うへぇ……」



 昼過ぎから何を準備するのかと思ったら、どうやらララミア達はゆりを徹底的に磨きあげるつもりらしい。ゆりはその気迫に思わず淑女らしからぬ声を漏らした。


 さっ、貴方は早く出て行きなさい!とララミアにしっしと追い払われ、それまで入り口の隅に居心地悪そうに控えていたテオドールが慌てて部屋を後にする。


「ゆりさんっ。夕刻、神殿を発つ前にナオト様がこちらにお迎えにあがりますので!」


 テオドールがそう言ってドアから姿を消すと、それを後ろ手で閉めた侍女のひとりはゆりの方へ向き直り、凶悪な笑みを浮かべた。


「うふふ……。奥様、ついに、ついにこの時がやって来ましたわね」

「ええ、そうね。ノーラ、ベス、思う存分やって頂戴」

「お任せ下さいまし! 必ずや、ゆり様をブリアー一の御令嬢にしてみせますとも!」

「お、お手柔らかにお願いします……」



 ゆりの懇願の言葉はララミア達の笑顔の前に慈悲なく立ち消えた。



 腹を決め、恥をかなぐり捨ててえいやっとゆりが服を脱ぎ捨てると、二人の侍女はゆりをベッドに横たわらせ、全身に丹念にオイルマッサージを施した。始めは恥ずかしさやらくすぐったさが勝っていたゆりも、その手技に次第にうっとりして口許が緩んでしまう。


 なんのことはない、スパでエステのフルコースを受けていると思えば、かつて人生でこれほど贅沢な時間があっただろうか!


 至福の時である。


 やがて湯の貯まったバスタブに放り込まれて全身をくまなく洗われた時も、風呂上がりに手指の先から足の爪先まで上品な香りのボディークリームを塗り込められた時も、ゆりは既に半分夢心地で侍女達のされるがままだった。


 爪を磨き、ネイルを塗って。髪先に香油を馴染ませ、少しルーズに結い上げて。専用の下着を身に付けドレスに脚を通す頃には、既にそこには普段の控えめな印象のゆりとは全く違う一人の淑女が出来上がっていた。



 約半日かけて全身を磨き、空が僅かに赤みを帯始める頃には後はヘアメイクの仕上げを残すばかりとなっていた。


「ゆり様……。本当に本当に、お美しいですわ」


 ゆりのデコルテをマッサージしながら侍女の一人、ノーラがうっとりと呟いていると、何者かが廊下をバタバタと行儀の悪い音を立てて駆けてくるのが聞こえた。



「ゆりっ!!! ゴメン、オレちょっと今日行けなくな……! った………」



 突然ノックもせずにバタンッ!と部屋に飛び込んで来たのは、普段とは違う装いを身に纏ったナオトだった。



 金地で縁取られた純白の鎧。その下に見える白い詰襟は鏑地が臙脂の切り返しとなっていて、袖襟には金糸の蔦紋様が縫い取られている。上質な革製のトラウザーズに神剣を提げたその様は、紛れもない「勇者」の姿だった。



 一瞬、その神々しい出で立ちに言葉を失っていた女性陣は、誰かが息を飲む音にハッと我に返った。


「ゆ、勇者様! 女性の支度中にノックもなく立ち入るなど……!」

「――あ。うん。わりぃ……」

「ナオト……? どうしたの?」


 ゆりが立ち上がる。

 着せられたばかりのドレスの裾を持って鏡台の前から抜け出すと、さらさらと上品な布地の音を立てながら入り口で固まるナオトの方へ進み出る。


 ナオトはドアを開けた体勢のまま、ぽかんとした表情でゆりを見つめていた。



「ゆり……? マジで、本当にお姫サマになっちゃったの……?」



 “勇者の隣に立つんだからお姫様でしょ!”



 以前、ナオトはドレスを仕立てた際にゆりにかけた自分の言葉を思い出していた。


 胸元の開いた白い肌に映えるロイヤルブルーのドレス。結い上げられた黒髪は濡れ羽色に艷めき、肌は陶器のように磨きあげられ、発光するほどに美しい。


「ナオト?」


 吸い付きたくなるほど白い首元と煌めく双眸に見上げられ、ナオトは無意識のうちにその肩を掴んでしまった。


「ちょっ……! な、何か用事があったんじゃないの?」


「あ、ああ、ゴメン。あのね――――


 

 オレ、行かれなくなっちゃった」


「え!????」



 ゆりの目が驚きに見開かれると、ナオトはその細い肩を掴んでしまった両手を離そうとして……でもそれができないかのように名残惜しく首筋に滑らせると、そのままゆりの両の頬を包んだ。


「んー……。こっから北にある村で不死者アンデッドの集団が出たらしいんだ。現地の神官が遣り合ってるっつうんだけど、浄化するにも数が多いらしくて。オレが――神剣で叩き斬って来ないといけなくなっちゃった」

「それってつまり、『勇者』のお仕事ってこと?」

「ん。まあ、そうなるね」



 そう言って頷くと、再び両手をゆりの肩に置いたナオトは項垂れながらハァーーーーー、と長い溜め息をついた。



「あ~……。でもどーしよ。ゆりを一人で行かせたくない」

「何言ってるの。お仕事の方が大事でしょ?」

「ヤダヤダ。こんなゆりを絶対他の誰にも見せたくない」

「もう、子供みたいなこと言わないの」

 


 私なら大丈夫だからね?と、ゆりがナオトの頭をあやすように優しく叩くと、ナオトは耳と尾を情けなくへにゃ~~と垂らして、もう一度溜め息をついた。


「だって、こんなカワイくてエロい格好してて、ダンスやら何やらでアーチボルトや他の男に触られまくるんでしょ? オレ嫉妬でそいつら殺すわ」

「さ、触られるって言ってもそんなんじゃないでしょ! 大体、アランさんは紳士なんだからそんな変なことはしません」

「でもアイツ狼だから。ムッツリスケベだから」

「あのねえ……」



 子供のように駄々を捏ねるナオトに、今度はゆりの方が溜め息をついた。



「ね、ナオト。そのあんでっど?を神剣で叩き斬るお仕事っていうのは、勇者のナオトじゃないとできないことなんでしょ?」

「ん……。不死者アンデッドは普通の武器じゃ殺せないから」

「なら、やっぱりナオトが行かなくちゃ。そりゃ私だって一人は心細いし、それに……ナオトのことが心配だよ。でも、ナオトはとっても強いんだもんね?」

「うん」

「じゃあ、私、ナオトが帰ってくるの待ってるから。今日の夜会は一緒には行けないけど……。 ――もし私がお姫様になれるとしたら、それは勇者様ナオトが隣にいるからだよ。だから今夜の私は、ただの一般人」



 ――ナオトという光り輝く存在がいるから、私が引き立てられて見えるのだ。太陽なくして、地上のものが自ら輝くことはない――。



 ゆりは掛け値なくそう思った。

 しばらく下を向いてゆらゆらと尻尾を揺らしていたナオトは、やがて頭を持ち上げると凛々しい面持ちで頷いた。


「わかった。オレ、行ってくる」


 ゆりはそんなナオトの顔を見てにっこり笑うと、よしよしと頭を撫でた。


「気をつけて、無理しないでね。私もがんばるから」

「ん。 ……ねぇ、ゆりに悪い虫がつかないように、オレがおまじないをかけてあげる」

「?」


 ナオトはそう言ってゆりの右手を取ると、その場に片膝を立てて跪いた。

 後ろで二人のやりとりを見守っていた侍女達が、その美しい動作に興奮で頬を染める。

 ナオトはゆりの右手を恭しく掲げると、その甲に自らの唇を押し当てた。



「ゆりは今日、他の誰のお姫様にもなっちゃダメ」



 そう語りかけるように呟くと、そのままちゅ、と吸い付いた。

 ゆりの手の甲がピリッと痛む。それは、ただ肌を吸われたからではない、まるで静電気が走り抜けるような不思議な痛みだった。



 “ねえ、ゆりさん。我々ブリアーの民にとって、キスとは『魔法』なのです”



 ララミアが教えてくれた言葉が、ゆりの頭に響く。



 ――ああ、そうだ。これは、ナオトの呪いおまじない

 魔力を操る力を持つと言われる神獣人のナオトが、ゆりの右手に魔力の跡を残したのだった。


 ゆりが手の甲から伝わる熱に浮かされぼうっとしていると、やがてナオトはその手に慈しみの視線を向けたままゆっくりと離し、立ち上がった。



「じゃ、ゆり。行ってくるね」


 そう言ってゆりの耳に輝く魔の黄水晶ミスティックシトリンに触れた。


「今日のゆり……とってもキレイだよ。


 ――バイバイ」



 “バイバイ”



 ナオトにそう言われたのは二回目だが、前回の突き放すような別れの言葉とは違う。

 それは名残を惜しみ、再会を約束する言葉だった。




 まるで物語の演目のような一連の二人の光景に、侍女達は互いの手を取って感動と興奮に真っ赤になって震えている。

 そんな中ララミアだけは、勇者とゆりの親密な様子に驚きつつも、冷静にゆりを観察していた。



 勇者様、おまじないはいいけれど――

 かえって逆効果だったかもしれませんよ。



 手の甲に残された熱を全身に巡らせ、ゆりの身体からゆらりと妖艶な色香が立ち上るのを、ララミアは感じ取っていた。

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