第三十二話 やさしくするから

「は~。緊張した」


 ドレスショップを出ると、ゆりは盛大に息を吐き出した。


「ん? なんで?」


 たった今、物凄い金額を即金で払ってきたらしいこの男は相変わらず飄々としている。


「なんでって、あんなにたくさんのドレスや宝石初めて見たし、お姫様みたいに次から次へと着替えさせられてそれに……」

「勇者の隣にいるんだから、お姫様でしょ! あ、聖女サマかも?」


 そう言ってナオトが嫌味でなくにこりと笑ったので、ゆりは「この自意識過剰男……」という言葉を飲み込んだ。ナオトにドキドキさせられて疲れただなんて言えるわけなかった。


「そういえば、ナオトの服はいらないの?」

「さあ? 多分、儀礼用の金ピカの鎧でも着せられるんじゃないの」


 興味なさそうに呟くナオトを見てゆりは、悔しいけど、この顔だけは抜群に良い男はきっとそれもさらっと格好良く着こなすんだろうなあ、と思った。


 それにしても。


「ダンスかぁ……。気が重い……」

「ん? ゆり、ダンスできないの?」

「できるわけないでしょ!」


 ゆりの反論に、ナオトは不思議そうな顔をした。


「そーなの? ドーミオやエメが『ゆりはオジョウサマ』だって言うからそれくらい楽勝なのかと思った」

「私は庶民です。それに私の国ではパーティーでダンスするなんて習慣ないし……」


 せいぜい盆踊りくらいか。


「そう言うナオトは踊れるの?」

「踊れるわけないじゃん」


「ええっ、じゃあ私たち、どうやって踊るの??」



 ゆりはこの世界のパーティーの常識をまだ知らないが、普通に考えれば、ゆりとナオトが連れ立って参加したなら一曲くらいは一緒に踊らなければならないだろう。

 テオドールは練習はそれほどいらないと言っていたが、はっきり言ってゆりは体力には自信があるものの、あまり運動神経は良くない。ぶっつけ本番で上手くやれる気がしなかった。


 さーっと青くなったゆりを見たナオトは、愉しげに尻尾を揺らすとゆりの正面に立った。


「見よう見まねでいけるっしょ。――ほら、まずここをこうして」

「うん」

「それからここをこうする」

「えっ……けっこう近いね」


 ナオトがゆりの腰を抱き、ゆりの手を自分の肩に添えさせる。正面を見ると、ナオトのキラキラした顔が目の前にあった。


「それでこうして、後は……。適当に、跳んだり跳ねたりするだけ?」

「きゃぁぁぁあああああっっ!?」



 ナオトが空いた手でゆりの向かい側の手を掴むと、いきなりぽーん、と空高く跳躍した。



 そのまま先程のドレスショップの屋根に飛び乗ると、ゆりをダンスの体勢で抱いたまま、あちこちの屋根に軽快にステップを踏むかのごとく跳び移り始めた。


「いやぁあーーーっ!? 落ち、落ちるっ!!」

「ほらゆり、ちゃんと掴まってないと」

「ぎゃーーーーーーーーーっっっ!!!!」


 ナオトが笑いながら屋根の上でくるくるとステップを踏むのを、ドレスショップの店員達が気付き、二階の窓から微笑ましい表情で手を振っている。


 色気のない声で叫んでいたゆりは、やがてそれが無駄だと悟ると今度は落ちないようにひしっ、とナオトにしがみついた。そうしてナオトに身体を預けていると、まるで自身に羽根が生え、重力を無くしたように軽かった。



 そうしてしばらくの間、二人は誰もいない屋根の上を跳び回り、調子外れなダンスを踊っていた。






「つ、疲れた……」


 ようやくジェットコースターのようなダンスから解放されると、ゆりはこの辺りで一番高い三階建ての宿屋の屋根の上で仰向きに倒れこんだ。


「あはは、ゆりはもっと足腰鍛えなきゃね」


 なんなら? と覗きこんできたナオトを、ゆりは「コラッ」と軽く小突く。

 ナオトはイテ、と顔をしかめたが、ゆりを見下ろしたままその場から退く気配はなかった。


 しばらく無言で見つめ合っていると、ナオトが懐から小箱を取り出し、はい、とゆりの体の上に置いた。黒の革貼りに上品な型押しがされたその小箱は、あの魔の黄水晶ミスティックシトリンのピアスが入ったものだった。

 ゆりはそれを胸の上に抱えたまま、疲れているのと落ちてしまいそうで怖いのとで動くこともできず、ただ、ナオトを見上げた。


「ナオト、これ本当にもらっていいの……?」

「ん、約束したでしょ」



 絶対そんな約束してないと思うんだけど。



 ゆりはそう思ったが、言っても無駄な気がしたので口には出さなかった。

 アクセサリーを他人からもらった経験などないのでなんだかくすぐったい。そもそもナオトにこんな高価なものをもらう理由もないので気後れする部分もある。


 でも。



「お店の人が言ってたでしょ。この宝石とナオトの瞳の色が同じだって。……私ね、初めて会った時からナオトの瞳は宝石みたいで綺麗だなぁって思ってたんだ」



 ゆりはそう言って見下ろすナオトの顔に手を伸ばす。触れるか触れないかの指先で無邪気に笑うと、ナオトは黄金の瞳にゆりを映し、普段はあまり見せない真剣な面持ちで囁いた。



「ゆりが欲しいなら、あげるよ。オレの眼」



 その声音は至極真面目で。眉すら動かさず涼しい表情でそう言うナオトは、冗談を言っているようには見えなかった。


「もうっ! そんなことできるわけないでしょ」

「じゃ、代わりにこれ、もらってくれる?」

「……わかった。ナオト、ありがとう」


 ゆりが改めて微笑むと、ナオトはその黄金の瞳をすっと細めた。



「ね、今、付けていい?」

「ええっ、痛くないかな……?」

「やさしくするから」



 そう言って、ナオトは仰向けになっているゆりの黒髪を梳き、耳にかける。それがくすぐったくて、ゆりはぎゅっと目を閉じた。


 ナオトがくすりと小さい笑みを溢したのが脳の奥に届いた。同時にゆりの耳に彼の節だった指が触れたので、緊張で上体が力む。するとそれを宥めるためか、ナオトの指の甲がゆりの額にそっと触れ、やわやわと撫でた。何度も触れられ、その優しい愛撫に強張った目元が自然と緩むと、慈しみを伝えていた指が輪郭をなぞり、頬を滑った。そして。


 ぷつり。


 突然頬を力強く押さえつけられ、左耳に小さな喪失を伴う痛みが走った。一点に熱が集まり痛みが飲み込まれると、次第にその熱はじんわりと、さざ波のように顔中に広がった。

 ナオトの髪先が僅かにゆりの顔を掠め、やがて頬を押さえていた手が顎に落ち、ぐい、と上を向かせられる。唇に指が触れたので驚いてそれに意識を取られていると、唇の上から顎を掴まれ、今度は右耳に熱い違和感が突き付けられた。


「痛、ぁ――」


 鈍く熱い痛みが脳を支配し、意識をぼんやりと浮かされたゆりの瞳にじわじわと涙が浮かぶ。そうして集まった熱と共に、ぽろりと溢れ、零れ落ちた。



 穿たれた両耳。その痛みはゆりをこの世界に楔打ち、縫い付け、前の世界と決別させる痛みだった。



 ゆりが生まれたての赤子のように恐る恐る薄目を開ける。

 するとそこには妖しく目を細め、恍惚の表情で此方を見つめるナオトの顔があった。ナオトは喘ぐような吐息と共にせつなげにゆり、と零すと、自分の指に付いた赤い血をぺろりと舐め取った。



「……ハァ、なにこれヤバイ。めっちゃコーフンする。


 ――――ねえ、なんでいつもゆりからこんなにイイ匂いがするのか、今わかった」


「え……?」



 鼻先が触れるほど間近にナオトの熱い息がかかり、ゆりが今一度目を見開く。すると魔の黄水晶ミスティックシトリンと同じナオトの黄金色がゆりの視界を埋め尽くし、ゆらりと妖艶に輝いた。



「ゆりの汗も、涙も、血も――――。ゆりの体液からは、魔力が溢れ出てる」



 そう言うと、ナオトはかぶり付くようにゆりの頬の涙を啜り、うっとりとした表情で笑った。

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