第十三話 アラスター・ウォレム・アーチボルト

 突然知らない男に肩を掴まれ驚いていると、黒髪の男はすがるような目付きでゆりを見た。


「……貴女は、一体、何者なんだ……?」

「ゆ、ゆりです。矢仲、ゆり」

「ユリ……。ゆり、殿」


 懇願するかのような男を刺激しないよう素直に名乗ったつもりだったのだが、男は切なそうな声で何度かゆりの名を反芻すると……。突然、がばり!とゆりを掻き抱いた。


「ええっ!?」


 ゆりが素っ屯狂な声をあげると、一番奥で不貞寝をしていたはずのナオトがゆらり、と立ち上がった。馬車の幌で日陰になった顔に、黄金の瞳だけがギラギラと輝いている。


「おい。クソ犬……、オレの抱きまくらに何してんの」

「勇者ナオト!?」


 ナオトの存在が全く眼に入っていなかったらしい黒髪の獣人に、突然、ナオトが抜剣し斬りかかった。


「ぐッ!? 貴様、何故ここに?!」

「死にたいの? いーからゆりを離せっつってんだろ」


 ゆりを片手で抱き留めながら、黒い男も剣を抜きそれを受け止める。

 ガキン、と澄んだ音がして、狭い馬車の中で唐突に剣戟が開始された。


 馬車から外に出ようと男が後退するが、ナオトはお構い無しに連続で剣を突き出す。仕方なくゆりを抱えたまま馬車から後ろ跳びに飛び降りると、ナオトは容赦なく追撃を加えた。


 金属の噛み合う音が響き、切っ先が閃く。


 いつもなら笑みを浮かべながら敵を屠っているはずのナオトの瞳がまったく笑ってないのを見て、ゆりは冷や汗を流した。この状態でゆりを下ろしたら、どちらかの剣が刺さる。


「ちょ、ちょっと、ナオトやめて!」


 ガキィッ、ガキンッ!


「やめなさいっ!!」


 びくっ!


 ゆりが声に怒気を含めると、二人の男はぴたっ、と動きを止めた。その間にゆりはいそいそと黒い男の腕から抜け出す。


「ゆり……!」


 我に返ったナオトがいつもの調子で飛び付こうとするのを、ゆりはピッ、と右手の人差し指で制した。

 ――抱きつかれてもなるべく抵抗しない、という今朝のゆりの誓いは既に忘却の彼方である。


「ナオト、私はこの人と話があるの。ちょっと待っててね?」

「……」


 ナオトは不満たっぷりの表情で、渋々頷いた。



「あの……」

「申し訳ありません!!」



 ゆりが向き直り口を開いた瞬間、黒い男はがしゃっと金属鎧の音を立て、ゆりの足下に跪いた。


「自分から名乗りもせずに不躾に御名を伺ったばかりか、か弱い女性にその、無体な真似を……!」

「あの、いえ……大丈夫です。ちょっとびっくりしただけで……。それでえっと、お名前は……?」


 ゆりの言葉に顔を真っ赤にすると、男は地面に片膝をついたまま耳と頭を垂れ、右の拳を胸に宛てた。


「重ね重ねの無作法を御許し下さい。私は中央評議会管下、黒狼騎士団団長のアラスター・ウォレム・アーチボルト。現在は主にモルリッツの治安維持と要人警護を任務とする者です」


 名乗りに合わせてびし!と黒い獣の耳が立ち、男の真面目そうな雰囲気を表していた。

 アラスターは下を向いたまま、困惑するゆりの手を取ると己の額に宛てる。


「勇者ナオト殿のお連れの方とは知らず乱暴狼藉を働いた件、如何なる咎もお受けします。申し訳ありませんでした」

「ええっ? 別に、大丈夫です。……えっとその、許します」


 丁重すぎる謝罪にかえって申し訳なくなってしまいゆりが赦しの言葉を述べると、アラスターは彼女の手を取ったままゆっくりと顔をあげた。


 真っ直ぐこちらを見つめる切れ長の薄金の瞳。目と目が合った瞬間、ゆりはその眩さに立ち竦んだ。

 ナオトの黄金の瞳が輝く太陽だとするならば、彼は静謐に満ちた夜の月。黒髪の合間に覗く顔立ちは涼しげで、鼻筋はすっと通っている。ナオトも絶世の美男子だが、アラスターもかなりの美丈夫だ。

 ゆりはその瞳の満月に吸い込まれるような錯覚を覚え――二人はしばらく無言で見つめ合っていた。



「あの……ゆり、殿」

「は、はい」

「それで貴女はその、一体何者なのだろうか。何故……そんなを全身から漂わせているのか」

「へ?!」


 なんだかさらりとすごいことを言われた気がする。ゆりがぽかんとしていると、音もなく静かにエメが現れ、ゆりの手に触れていたアラスターの左手を叩き落とした。



「――ヤナカ。このヒト、狼の神獣人。……ナオトの、同類」


「神獣人……」



 ゆりは、昨日ドーミオに教えてもらったばかりのその言葉を聞いて、なるほど、と納得した。

 アラスターもナオトも神獣人で、普通の人間や獣人に比べて鼻がきく。多分、それでエメみたいな普通の獣人とちょっと反応が違うのだろう、と。


 ゆりがナオトとアラスターを交互に見比べていると、同類、と言われてムッとしたのだろう、これまでゆりの言いつけを守って黙っていたナオトが吐き捨てる。


「駄犬と一緒にすんな」

「狼だ」

「犬だろ。評議会の」

「お前は教会の飼い猫だな」

「ハア? 殺すよ?」


 立ち上がったアラスターとナオトの剣呑な雰囲気に、いつの間にかゆりの右手を握っているエメが割り込んだ。


「アーチボルト……卿。ヤナカは、女神の召し人。教会で、保護、するから」

「召し人……!? あ、いえ神官の方でしたか。――わかりました。ゆり殿はしばらく神殿に滞在されるのですね」


 エメの言葉に、アラスターは驚きつつも首肯すると、すっと殺気を引っ込めた。エメが無言で頷き返すと、アラスターはそれまで睨み合っていたナオトを無視してゆりの方へ向き直る。


「では、ゆり殿。後日改めて、神殿に謝罪に伺う許可を……私に、下さらないだろうか」

「……え? あ……はい。わかりました」


 ゆりの承諾にアラスターはふ、と表情を緩めたが、すぐに元の顔に戻ると握った拳を胸に宛てて礼を返す。

 とても紳士的で隙のない立ち振舞いなのに、黒い耳と尻尾ははち切れんばかりにブンブンと振られていて、ゆりはそのギャップに思わず笑ってしまった。




 そして。


 堅物の狼将軍・アーチボルト卿が、勇者と女を取り合った挙げ句、その初対面の女に人目も憚らず求愛した。……という噂はあっという間に街に広まったのだった。

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