第十一話 人前ではまくら扱いは止めて
「うー。お尻が痛い……」
「ハッハッハ。ユリ殿はこのようなオンボロ馬車、ご覧になったこともないでしょうなあ」
「あ、いえ。馬車自体が初めてなので……」
「ほう! 魔獣車をお使いですか。あれは良いものですな! トゥ=タトゥ領へ行く機会があればぜひ商材として扱ってみたいものです」
向かいに座った恰幅の良い男の言葉に、ゆりは無言でただ、にこ、と微笑んだ。
遡ること数刻前。
約一週間かけて森を抜け、後は街道に出ればモルリッツまであと二日というところ。
ナオトが突然、「殺し合いの匂いがするー」と不穏なことを呟き、ウキウキ顔で走って行ってしまった。ゆり達も慌てて追いかけたところ、白昼堂々、隊商の馬車が盗賊に襲われている場面に行き合ったのである。
盗賊達をナオトが軽く皆殺しにしかけたところをゆりが叱り(「でも、ちゃんと商人さん達を助けてあげたから偉かったね」と誉めることも忘れない)、結局全員生かしたまま捕縛した。
伝説の勇者の華麗な活躍を目の当たりにした隊商の主人は大変に感激し、ナオト達は中央都市まで盗賊の連行、馬車の警護……という名目で、同乗させてもらうことになったのだった。
「いやあ~、かの勇者様にお目にかかったばかりか、そのご活躍を間近に拝見できるなんて! このマニフ、商人仲間に自慢できますよ!」
隊商の主・マニフはお腹をゆさゆさと揺すりながら、既に本日何度も繰り返した台詞を上機嫌に話してみせた。
この馬車に乗っているのは、マニフ、ゆり、ナオト、エメの四人。ドーミオはどう見ても重量オーバーなので、隊列やや後方でマニフに雇われた他の傭兵達と共に盗賊連行の役を引き受けている。
これでもかと持ち上げられ、大層いい気分になっているかと思われたナオトだったが、始終機嫌が悪そうに座席の端にそっくり返っている。理由は恐らくマニフが男だから誉められても嬉しくないのと、せめて人前では抱きまくら扱いはやめて、とゆりに釘を刺されているからだろう。
エメは馬車に乗ってから一言も喋らないし、仕方なくゆりがマニフの相手をしているのだが、どうやらこの中年はゆりのことを良家の子女か何かだと思っているらしかった。
単にこの世界のことをまだよく知らないので、あまり会話ができず笑って誤魔化していたのを、慎み深さを是とする上流階級の淑女のそれと勘違いしただけなのだが。
車内の微妙な空気をまったく気にすることなく、マニフは饒舌に喋り続けた。
「時に……、勇者様は神獣人なのでしょう? 原初の獣の御姿、是非拝見してみたいですなぁ。いやあ間違いなく、御美しく、気高い御姿なのでしょうなあ!」
シンジュージン? ゲンショのケモノ??
聞き慣れない言葉にゆりが戸惑っていると、ナオトが上体を起こし、向けられた者が凍りつきそうな程冷徹な瞳でマニフを見た。
「あ? それがお前に何の関係があんの?」
「ひっ……!? い、いえ、た、立ち入ったことを申し上げました……っ!」
マニフが腹をぶるん、と恐怖に震わせると、ナオトはまた不機嫌そうに座面に転がった。
「……。い、いやあ、それにしても、かの勇者様のご活躍を間近に拝見できるだなんて、光栄の極みですなあ! このマニフ、家族に自慢できますよ!」
ゆりは臀部の痛みに加え頭痛がしてきた、気がした。
気を紛らわそうと幌の外を見ると、ちょうど宿場――と言っても、井戸と更地があるだけの所謂キャンプ場――が見えてきたところだった。
「ドーミオさん、お疲れ様です」
「おう」
いよいよモルリッツへと着く前に、今夜は宿場で一晩過ごすこととなった。大きな街に入るには必ず検問所を通らねばならず、その待ち時間も考慮する必要があるからだ。
広い宿場には、たくさんの馬車やテントが並んでいる。
ゆりは臀部の痺れを紛らわそうと近くを散歩しているうちに、ドーミオの姿を見つけたのだった。
「馬車の席を譲って下さってありがとうございます。大丈夫でしたか?」
「ハッ気にするようなことじゃねえよ、これが仕事だからな。お前さんは森の中で一度も弱音を吐かなかったじゃねえか。街に着く前にちったぁラク出来て良かったな」
ドーミオがぽん、とゆりの頭に大きな手を置くと、ゆりは少しはにかんで微笑んだ。
「はい。代わりにお尻が痛くなっちゃいましたけど」
「ハハハ。……ところでナオトはそっちで何も問題起こしてないか?」
「う~ん。その件なんですけど……」
ゆりはドーミオに神獣人、原初の獣という単語、それを聞いた時のナオトの反応などを話した。
「あー……。嬢ちゃんにはまだ話してなかったな。アイツはな、『先祖還り』なんだ」
「せんぞがえり、ですか……?」
ゆりがおうむ返しに問いかけると、長い話なのか、ドーミオはその場に転がっていた木桶をひっくり返してゆりに座るよう勧め、自分はすぐ後ろの木柵に背を預けた。
「何から話したもんかな……」
ドーミオがぽつりぽつりと語った内容は、こうだ。
神話の時代、獣人の先祖である「原初の獣」という存在があり、高い身体能力と魔力を操る力があったという。
現在はその力も存在も失われたが、獣人の同族同士が子を成すと、極稀に「先祖還り」という、原初の獣の姿形と力を色濃く受け継いだ子供が生まれることがあるという。
ナオトは猫族の先祖還りで、初めてゆりと出会った時の獣の姿こそ、まさに原初の獣の化身としてのナオトであり、先祖還りだけがそれを可能にするという。また、そういった先祖還りのことを教会では「神獣人」と呼んでいる――。
「……はあ、なんだかおとぎ話みたいな話ですねえ」
ゆりはあまりにスケールの大きい話に、他人事のように呟いた。
「ほとんどおとぎ話みたいなもんだからな。その神獣人が更に神剣を引き抜いた勇者様ってんだから笑っちまうよな」
「私、獣人なら誰でも動物みたいに変身できるのかと思っていました。エメなら大蜥蜴、とか」
「…………そりゃ笑えねえな」
「あの……でも、じゃあなんでナオトはマニフさんの質問にあんなに怒ってたんでしょう」
「アイツの頭の中なんて、俺にはわかんねえ。まあ、ただ、な、」
ドーミオは言い淀んでポリポリと頭を掻く。
「神獣人ってのは、原初の獣の姿や力を強く受け継ぐらしい。
――つまりだ、両親のどちらにも全く似てねぇ異質な子供が産まれるってこった。髪の色、瞳の色……どんな修羅場になるか、想像できるだろ」
ドーミオの話を聞いた後、マニフ達の元へ戻るゆりの足取りは重かった。
伝説の勇者。神獣人。
どちらも神話の中から飛び出してきたような、崇高で、特別で、異質な存在。でも、それらってもしかして、とても孤独なんじゃないだろうか。
ナオト一人にとんでもない重荷が背負わされているように思えて、ゆりはそれが悲しかった。
「――ゆり!」
まさに今、ゆりの頭の中を占めていた人物がゆりの名を呼び駆け寄ってきた。
「ナオト……」
「抱きまくらが勝手に居なくなるなっつーの! 匂いですぐわかるから逃げてもムダ」
いつもの調子でぎゅーっとナオトがゆりを抱きしめ、首筋に顔を埋める。
「な、ナオト、人前ではまくら扱いは止めてって言ったよね!」
「いいじゃん、減らないんだし」
「減るっ!」
主にゆりの精神力が減る。
ナオトの顔は相変わらず間近に直視できないほどキラキラで美しいが、最近ハグされること自体には慣れてきてしまった自分がいる。それどころかむしろ、頼るもののない異世界で誰かに必要とされること――ゆり自身ではなく主に「ニオイ」が、だが――にどこか嬉しさを感じてしまっているのも事実。でも、それはそれ。やはり他人に見られるのは恥ずかしいのである。
ゆりは慌ててナオトの拘束から逃れようと試みる。
「ね、お願い。離して」
「ゆり、ウルサイ」
「離してってば」
「――わかった。じゃあ、代わりにこうする」
「はむうっ!?」
ナオトはゆりの顎を持つと、その唇を素早く啄んだ。
そして、思わず色気のない声が出たゆりの口内にナオトの舌が侵入する。混乱するゆりを他所に、思いっきりその舌でゆりを味わい……
――かと思いきや。
唐突にドンっとゆりの肩を押し退け、真っ赤になったナオトが口元に手を当てたまますごい勢いで後退る。
「 ――っぷはあっ?!」
「……うわぁ、ヤバ……! ゆりの身体ってマジでどうなってんの??!」
「し、し、知るわけないでしょーーーっっ!!!?」
色んな意味で泣きたいゆりの絶叫が、宿場中に響き渡った。
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