第八話 もう、やめて

「ヤナカ、もう少し、急ご」

「う、うん!」


 ドーミオが見えなくなってすぐ、エメはゆりの手を引くと小走りでナオト達を追う。ゆりは必死でそれについて行くが、ナオトやドーミオにはすぐには追い付けそうもなかった。



 ここまで討伐については来たものの、実際に魔物と相対するとなると、自分は足手まといにしかならないんじゃないか。そもそも今二人を追いかけて行くより、ここで待っていた方が迷惑にならないのでは?



 そんな疑問が頭をもたげるが、走りながらエメに問う余裕はゆりにはなかった。


火炎蜥蜴アイツら、ヤナカの匂い、気付いたの、かも。こちらに向かってくると、面倒」


 繋いだ手から感情が漏れ伝わってしまったのだろうか、エメはゆりを振り返ることなく駆けながらも、ボソボソと状況を説明してくれた。


 つまり、通常巣穴からは出てこないという敵が此方に現れたのは、敵がゆりの匂いに釣られてきたせいかもしれないのだ。魔物がゆりに向かってきてしまって戦力が分散されるより、先制攻撃を仕掛けたであろうナオトに合流した方が対処しやすい。

 

  戦略的なことは素人だが、ゆりはエメの短い言葉から、ドーミオが咄嗟に出した指示の意図をそう推測した。



 二人とも、無事でいて――。




「グギャアアアアアアアーーーーッッ!!!」


 走って走って走って。

 突然、耳をつんざくような生き物の悲鳴が聞こえ、目の前の視界が拓けた。

 ドォォォォォン、と地面が揺れ、巨大な岩のような何かが崩れ落ち、倒れるのが見える。今のが魔物――火炎蜥蜴ファイヤサラマンダの断末魔だと気付くのに、ゆりはしばしの時間を要した。


「二体いる! 一体は今殺った!」


 エメとゆりの姿を認めたドーミオが大斧を携えたまま、少し離れた場所から叫んだ。



 火炎蜥蜴ファイヤサラマンダ


 ドーミオがトカゲだと説明したその魔物は、ゆりの想像を遥かに越える――象の三倍はあろうかという体長に、更に体と同じくらい長く大木のような太さの尾を持つ、恐ろしい生き物だった。

 エメがゆりの手を離し、魔物から遮るようにさっと腕を広げる。これ以上近付くな、という意味らしい。



 ドーミオの更に前方、火炎蜥蜴ファイヤサラマンダの正面に立つ人影は――ナオトだった。


「ギャアアアア!!!」


 恐ろしい啼き声と共に火炎蜥蜴ファイヤサラマンダがナオトに牙を剥き襲いかかる。


「危ない!」


 ゆりが思わず叫ぶと同時にナオトがだらりとした体勢から少しだけ横に振れた、ように見えた。魔物の牙がその影を掠めた瞬間、ナオトの赤い髪が数束はらりと落ち、同時に火炎蜥蜴ファイヤサラマンダから血飛沫が舞う。


「ギャアアアアーッ!!!」


 剣を振り抜き反動で横跳びにしたナオトを火炎蜥蜴ファイヤサラマンダの前脚の赤く鋭い爪が引き裂く。上体を捻り躱すと、風圧が刃となりナオトの頬を切った。そこへすぐさま巨大な尾が上からハンマーのように叩きつけられ、凄まじい衝撃音と共に地面が割れる。ゆりが思わず目を覆うと土埃の中から神剣が煌めき、伸び上がるようにして巨大な尾を斬りつけた。血が噴き出すとすぐに反転して重たい爪の攻撃を剣で受け止め、返す刃で斬る。また、鮮血。



 "肉を斬らせて骨を断つ”、ゆりの中にそんな言葉が浮かんだ。己が身を囮にして繰り出される、決死のヒット&アウェイ。若しくは、極度の集中から成される渾身の一撃離脱。普通に見ればそうなのかもしれない。

 だが、戦闘の素人であるゆりにしてみればむしろ危なっかしくて見ていられない。わざと命を目の前に差し出して、危険な状態からギリギリの攻撃を繰り返しているようにしか見えなかった。



 そう、ナオトの戦いは文字通り「捨て身」だった。



 ギリギリでかわし一撃。すんでのところで弾き一撃、ニ撃。返り血を浴び、肉を切り裂いて、そんな攻防を繰り返していたナオトがふと一瞬、こちらを見た気がした。



「笑ってる……?」


 魔物の真っ赤な血が髪と顔に張り付いて燃える赤銅色と同化し、ギラギラと光る黄金の瞳を強烈に浮かび上がらせる。全身に返り血を浴び、微笑みながらそれを拭うナオトはぞっとするほど冷たく、美しかった。


「……もう、やめて、」

「グギャアアアアーーーッッ!!」


 ナオトが火炎蜥蜴ファイヤサラマンダの眼前に立つと、巨大な口がナオトの頭を喰い千切ろうと迫る。紙一重で躱すと、そのままの不安定な姿勢から容赦なく魔物の眼に神剣を突き立てた。


「ギャルルルルルァァァ!!!」

「もうやめて、」


 痛みに悶えて仰け反った火炎蜥蜴ファイヤサラマンダが滅茶苦茶に暴れ出し、ゆりの足下までもが震える。何としても滅さんとばかりに容赦なく迫りくる前脚と大木の尾の連続攻撃を全て辛うじてのタイミングで避け続けたナオトは、火炎蜥蜴ファイヤサラマンダの懐に飛び込むと下から喉元に神剣を突き刺した。そのまま剣を引き抜きくるりと一回転したところに巨大な頭ごと叩きつけられるが、これも身を反らせて避ける。そして、まるで必死に生きようともがく相手を嘲笑うかのように、再度喉元へ神剣の輝きが突き立てられた。


「グルォギャアアアアアーーッ!!!!!!」

「もうやめて!!」


 火炎蜥蜴ファイヤサラマンダが血の泡を吐く。気付くとゆりは叫んでいた。



 どうして。どうして。

 胸が掴まれたように痛くて、呼吸すら苦しい。


 自分の命を剥き出しにして、無防備に晒して、危険の淵に捨て置くような真似をして。身体を切り刻んで、心を抉るように切り落として、生温かい命を飲み込んで、嗤ってる。貴方の命も、その魔物の命も、そんなに軽いものじゃないはずなのに。


 ――――でも。

 どうして、どうしてそんなに苦しそうに見えるんだろう。心にまで返り血を浴びて、滴る血が涙のように見えたのは、気のせいなんかじゃない。



「もう、やめて!!!!」



 びくり!

 ナオトの耳が震え、ゆらりと弱々しくこちらに振り返る。


「ゆり……?」

「ナオトてめぇ、遊びすぎだ!とっとと止めを刺しやがれ!」


 ナオトが変則的な動きをするので加勢しづらかったのだろう、ドーミオが最早ナオト以外見えなくなっている魔物の後ろ脚に、思いっきり大斧を振り落とす。


「ギャウウアーーーーッッ!!」


 その叫びに我に返ったように、ナオトはその場から上へ高く跳躍すると、落下する重力と共に火炎蜥蜴ファイヤサラマンダの太い首に神剣を振り下ろした。


 キィィィィィンッ


 太刀筋が眩い閃光となり、火炎蜥蜴ファイヤサラマンダを両断する。



 重たい地響きだけを残し、火炎蜥蜴ファイヤサラマンダだったものは地面に転がった。

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