5-09 十年の歳月

 

 びょうびょうと強い風が吹き抜ける観測展望台。ここからは、遥か遠くの水平線まで見渡せる。


「まさかまたここに来るなんて、思ってもみなかったわ。でも今回は運がいいわね。風が強いせいか、かすみがすっかり晴れているもの」


「この場所は、僕にとっては象徴的な場所だからね。もう一度君と一緒に来て、この目で直に確かめておきたかった。そしてやり直すなら、必ずここからと決めていたんだ」


 結子と隆星。二人が感慨深く眺めるのは、遙か遠くの海上に浮かぶ「地球の臍」と呼ばれているひとつの島だ。


 地球至上類をみない巨大隕石の落下点にできた島。


 太平洋の中心にあるその島は、周囲数十キロの海域が、今でも立ち入りを制限されている。だが晴れた日には、運が良ければこうして遠くから眺望することができた。


「ここに生じた異変を起点として、元の地球とは異なる未来を持つ世界が、いく通りにも分岐した。でも分岐した世界のほとんどが、引き起こされた変化に耐えきれず、そのまま消滅してしまう」


 降星が島を見つめながら、淡々と語り始める。彼が口にするのは、この十年間追い求めてきた、この世界の秘密ーーかもしれない、あくまで仮定の物語だった。


「本来はこの世界も消えていたはずだった。だけどそこに、なんの気まぐれか人智を超越する神的存在が介入する。その結果、加護エネルギーにより『夢を叶える夢の世界 』を維持することで、この世界は生きながらえてきた。これで合ってる?」


「もう……困った人ね。私にはその正誤を指摘することはできないの。それは、知っているでしょう?」


「まあね。この話は、僕や僕以外の日記帳所有者たちが、世界の秘密の断片を集め、パズルのように組み合わせて作った推論に過ぎない。でも、結構外れていないと思っているんだ」


「あなたがこの世界の情報を集めていたことは、日記帳から聞いて知っていたわ。だけど、その推論を私に話してくれるなんて思わなかった。まさかそんな日が来るなんて」


「ごめん。君がそう思ってしまうのも当然だね。僕が待たせ過ぎたせいだ。君のことをあまりにも長く放っていた。それは、君の存在を否定していたわけじゃないんだ。というか、その逆だ。日記所有者以外でこんな話ができるのは、君しかいない。僕の本当の胸の内を明かせるのも、君しかいないんだ」


「急にそんなことを言われても、すぐには信じられないわ。もう日本には戻ってこないかとすら思って……」


 降星は、言葉に詰まる結子の両手を優しく掴み、その目を覗き込むようにしながら話を続ける。今まで見た中でも最上級の、至極真剣な表情で。


「結子。君が時間をくれたおかげで、僕は僕自身の考えで、これから歩む未来を決めることができた」


 降星が、これから何か大事な話をしようとしている。そして変わろうとしている。それが結子にも分かった。


「この世界を見て回って、大勢の人と話してみて、やっと分かったんだ。ここは空想世界ファンタジーなんかじゃない。前にいた世界と同じ、血の通った人間が喜び悲しみ、懸命に生きている、実在する世界なんだって」


「……そう。世界が変わっても、そこで生きる人々は同じ。人間らしい悩みや願いを抱えて、日々葛藤しながら生きているわ」


「僕はバカで頭が堅いから、そんな当たり前のことを納得するまでに十年も浪費した。女性たちが本心から優しくしてくれても、それを信じることができなくて、結論が出せないままグダグダしてしまった。でも今なら分かる。それも、僕には必要な時間だったって。だから、謝るのは君に対してだけだ。結子、今まで待たせてごめんね」


「そんな……あなたが謝る必要なんてないわ。だって、同意なくこの世界に連れてきたのは私だもの。あなたが生きる希望を取り戻すことができたなら、私だって嬉しい」


 降星が掴んだ手をそのままにひざまずき、結子を見上げる。そして、心の内で温めてきた誓いの言葉を紡ぎ始めた。


「結子。改めてこの地で誓うよ、君への変わらない愛情を。君によく似た可憐なバニラの花と共にね。鉢植えの花は、時間が経ち過ぎて実になっちゃったけど、僕の気持ちはいつでも満開だ。こんな分からずやの男の気持ちだけど、受け取ってくれる?」


「もちろんよ。あなたに二度もプロポーズをしてもらえるなんて、こんな幸せな女性はいないはずよ」


 パッと花が開くような降星の笑顔。ゆっくり立ち上がる降星から、結子は目を離せなかった。


「前回は追い詰められた精神状態で誓ったから、君に縋るみたいな感じになっちゃって、ちっともロマンチックじゃなかった。あれはないって、凄く後悔したんだ。だから今回は、最初の誓いを挽回しようと思って、バニラの花に誓ってみた。だけどもしかして、唐突過ぎて意味不明だったりする? 花言葉に掛けたんだけど」


「大丈夫。私、今凄く幸せよ。それに、バニラの花言葉なら、もちろん知っているから。それは……」


 誓いのキスで塞がれた言葉は「永久不滅」。十年かけて辿り着いた降星の結論は、結子への永遠の愛の誓いだった。


 *


「さて。プロポーズのやり直しもできたし、あとは思いっきり遊ぼうか」


 宿泊しているホテルのコテージに戻った二人は、休憩しながら、これからの予定を話し合っていた。


「そうね。たまにはそれもいいわね。だって日本に帰ればお母さんですもの。それはそれで楽しくはあるけど」


「いまだに不思議だよ。僕も『お父さん』なんだよね。でも結星くんには驚いたな。僕とほぼ同じ容姿をしているのに、性格はおっとりっていうのかな? 柔軟性があるっていうか。あのナチュラルな順応の仕方を見ると、彼ってすっごい大物だよね?」


「そうかもしれない。実は私も同じように驚いたのよ。初対面のために緊張して、ドキドキしながら日本に帰ってみたら、あの二人が本当の兄妹みたいに仲良く暮らしているんですもの。私のことも、すぐに『母さん』って呼んでくれて」


「それは想像できる。結衣も似たようなタイプだしね。それにしても、一年で『使徒』に昇格するなんて感心したよ。見事にバッチリな人材を引き当てたね」


「そこはもう協力的で、凄く助かっているの。それに当人が楽しんでやっているのが分かるからいいのよね。見ていると面白いわよ、あの子たち」


「後継者が頼もしくてよかったよ。僕はこれでバニラの方に専念できるかな?」


「えっ、もっと? 今以上に専念したら、それこそ日本に帰って来れなくなっちゃわない?」


「そうでもないよ。結星くんのおかげで、僕も仕事の幅が広がったからね」


「それって『プリンの愛好と普及を推進する世界委員会』のこと?」


「そう。貿易会社の社員は旅をするには都合が良かったけど、もっと文化的な方向で活動範囲を広げるために、キャサリンにお願いして発足してもらったんだ」


「それで何をするつもり?」


「手始めにプリン関係のいろんなイベントかな。その最初の仕事が日本であるってわけ。最初が肝心だから、かなり派手にやるつもり。日本はこの世界でも人口が多い方だし、スイーツの市場としては相当に大きいから、成功するように頑張るよ。結星くんにも協力してもらってね」

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