5-07 日記帳所有者

 父さんからは、俺が知らない話を沢山聞くことができた。


「日記帳所有者同士の親子設定って、実は凄く珍しいんだ。というか、今まで会ったことがない。たぶん僕が不甲斐ないせいだろうけど、通常は一神につき一所有者。例外的に一組だけ双子がいたくらいだ」


 そうなんだ。じゃあ俺がこうして助言を得ることができるのは、かなりラッキーなことなのかもしれない。


「僕がこの世界に呼ばれたのは十年前だ。いきなりこんなファンタジーな現象に巻き込まれて、最初はパニックに陥った。僕は小心者だから、誰かが僕に害をなすんじゃないかって常に怯えて、誰も信用しなかった」


「でも、スキルがありますよね? 平常心を保つような」


「それは日記帳所有者特典のこと? あれが与えてくれるスキルは、人により様々なんだ。スキルには優れた効果や恩恵があるけど、所有者の本質を捻じ曲げるようなスキルは出てこない。だから君が動じないのは、スキルのせいだけじゃなくて、元々そういった資質があったんだと思うよ」


「うわぁ、勉強になります。そんなことも初めて知りました」


「日記帳は肝心のことは何も教えてくれないからね。君はまだ、この世界に来て日が浅いでしょ? でも君は、それにしてはこの世界にめっちゃ順応している。率直に言って羨ましいよ」


「順応っていうか、いやもう、流されるがままです」


 本当に忙しくて、わけが分からない一年間だった。


「それが自然体でできるのが、僕から見れば十分に凄い。僕は自分の置かれた状況に納得がいかず、思いっきり抗ったからね。それも十年。十年間もだよ。自分でも頑固過ぎて呆れるくらいだ」


 そうか。人によっては、いきなり呼び寄せられたこの世界を受け入れられないってこともあるのか。


「この十年間、世界中を見て回った。僕以外にも日記帳所有者がいるって知ってからは、探し回りながら歩いた。見るからに危なそうな人には近寄らなかったけど、大勢の所有者に出会ったよ。その中でも、君はダントツにこの世界に順応している」


 つまり、案外みんな苦労しているってこと? なんでだろう? そこは気になる。


「日記帳所有者には、どんな人が多いんですか?」


「性別でいうと圧倒的に男性が多いね。今まで会った人の九割くらいが男性だった」


「それって、わざわざ男性を選んでいるってことですか?」


「それも多少はあるのかもしれない。この世界の逼迫した状況を補うために、あえて男性を優先的に選んでいる可能性はある。でもそれは補助的な因子であり、別の要因の方が大きいと僕は考えている」


「それはなんですか?」


「この世界には、夢の実現を人並み以上に強く願う人が呼ばれている。そのせいだと思うよ」


「つまり、男性の方が夢みがちってことですか?」


「そう言ってもいいね。いつまでも子供みたいな夢を抱き続ける人には男性が多い。女性でここに来る人は、よほど何かへの執着心が強い人かな。命をすり減らすくらいにね」


 たいていの女性は現実的で、若い頃は夢を追っていても、一旦家庭を持つと、家族のために自分の時間や労力、それに財産を費やしていく。特に子供ができるとそうならざるを得ない。


 その子供を作るにもタイムリミットがあるし、いざ生まれれば、必然的に人生を振り回される。責任感やプレッシャーも自然と大きくなって、どうしても現実と向き合わざるを得なくなる。


 そしていつの間にか、現実をしっかり踏みしめていて、フワフワすることがなくなる。


 だからこの世界にやってくる人は、いくつになっても夢を抱き続けることができる男性ばかりになってしまう。そんな話だった。


「この世界には日記帳所有者が思っていた以上に多いから、捜せば君の周りにもいるかもしれない」


「えーっ! 本当ですか?」


 マジか。今までそれらしい人はいなかった気がするけど。


「たぶんね。そう思って見直すと、アンテナに引っかかるって言うのかな? ピンとくることが増えていくはず」


 なるほど。所有者かもしれないという意識で接すると気付きやすいってことか。今度からやってみよう。


「そうだ! 以前、友達のプロフィールが、いきなり空中に浮かんで見えたことがあったんですが、あれってなんですか?」


「プロフィールって、日記帳にあるのみたいなの?」


「いえ。もっとシンプルというか。ゲームのキャラクター説明みたいなやつです。それを見て、もしかしてここはゲームの中の世界じゃないかと心配になったことがあって」


「なるほど。ここがゲームの世界ってことはないな。ちゃんと生身の人間が生きて生活している世界であることは、僕が自分自身の目で確かめてきた。。ただここは日本だから、他の国に比べてアニメや漫画、それにライトノベルやゲームに関するリソースに溢れている。そのせいかもしれないね」


 ここでまたリソースか。


「リソースってなんですか?」


「簡単に言うと、精神的なエネルギー? みたいなものかな。人間が生み出し発するものだから、モロにそこに住む人たちの嗜好や文化の影響を受ける。だから君も、何らかのゲーム的要素の干渉を受けた可能性があるね。ゲームの世界に入り込んで好き放題したいっていうような夢の所有者が身近に現れたのかも」


 うわぁ。そんな夢まで実現するんだ。


「まあ君は、この世界で凄くうまくやっているから、今後も日記帳と精霊の導きのまま、自然体で過ごせばいいと思う」


 あれ? 今のセリフ……なんか既視感デジャヴ


 最近、似たようなセリフを誰かに言われたような? 引っかかったのは「精霊の導き」っていうところなんだけど……ダメだ。もやっとして何も思い出せないや。


「えっと、精霊ってなんですか?」


「えっ! そこから? まさか自分の精霊も知らないで今のこの状態なの? いやいやいや。なんか、信じられないな。これは君の評価を更に上げなくちゃいけないかも」


「自分の精霊? 見たことないですけど、いるのかなぁ?」


「見たことないって。……いや、あれだ。理由は分からないが、そうか、知らないのか。お父さんは衝撃が大き過ぎて驚きです。でもそうだ。それで非常に上手くいっているわけだから、無理に暴くのは却ってよくない気がする。そういう関係構築もあるってことで。でも……いずれ必要なときには分かるはずだ。だからその時を待てばいいと思うよ」


 なんか凄い驚かれちゃた。つまり、俺が気づいていないだけで、既に精霊は存在していて、いつも見守ってくれているってことなのかな? 


「そういうものなら、じゃあ、楽しみに待ってますね」


「うん、それがいいよ。いやあ。神様から息子ができるって聞いた時は驚いたけど、なるほど。これはスカウトするわけだ。まさに適材適所だね」


「神様? 神様と直に話をしたことがあるんですか?」


「そう。君もあるでしょ? だって『使徒』なんだから」


《マスターが使徒に昇格していることを、武田降星氏にお伝えしました。私を見れば一目瞭然なので》


「……そうらしいですけど、お祝いのスキルをもらっただけですよ」


「お祝いをもらっただけ? うーん。なんかそれだけっていうのは不自然な気もするけど……まあそういう僕も、直接会話をしたのはたった一度だけだ。それも一年ちょっと前に、君をこの世界に呼ぶって言われた時になる」


「なるほど。いきなりこんなでっかい息子を押し付けるわけだから、神様も直接断りを入れたわけですね」


 ……あれ? じゃあ結衣は、いつからこの家の子供なんだろう? 父さんが十年前にこの世界に来たってことは、さすがに実の娘じゃないよね?


「断りというか、僕には最後通牒に聞こえたよ。神様は今まで通り自由に過ごしていいって言ってくれたけど、もう僕は用無しなのかなって。そう思った途端、この世界に大切な存在が沢山できていることに気づくなんて、本当にバカ過ぎるよね」


 そう言って自嘲する姿は、あー、これはモテるわ。ーーそう思わせるほど危うげな感じがした。なるほど。女性だったらつい支えてあげたくなっちゃうのかも。


 見知らぬ土地で、父さんに救いの手を差し伸べたという女性たちの気持ちが少し分かる気がする。こうして会話をしている間も、表情が豊かで、喜んだりガッカリしたりといった感情を少しも隠さない。


 しょんぼりするイケオジ。そんな仕草がやけにチャーミングだ。これは、逞しいこの世界の女性たちの庇護欲を、思いっきり誘いまくるに違いない。


「でも、君と会って分かった。今からでも遅くないんだって。自分の好きなように生きた上で、僕は僕にできることで貢献すればいい。共に頑張ろうね! いやあ、君がめっちゃ優秀でよかったよ」


「いえ。俺はそう言って頂くほどのことはしていないです。周りの人にとても恵まれていたんだと思います」


 こうすればエネルギーが集まります! と助言を受けて、じゃあやってみるかって試してみたら、たまたま上手くいった。それだけだ。


「そういうのも大事! というか、それこそが大事なのかも。周囲を味方につけちゃう力がね。君という頼もしい仲間が増えたことだし、まずは至福のプリン再現に向けて、いっちょやりますか!」


「至福のプリンって……あれはこの世界には存在しないんですか?」


 至福のプリンは、日記帳に記載があった、前の世界で俺が嵌っていたらしいプリンの名前だ。名前が同じだし、きっと同じものを指しているんだよね?


「ないよ。でも遠くない未来に完成すると思う。それもあって予定より早く日本に来たんだから」


 食べてみたかったのに、ないのか。残念。でも。


「それは、日本に何かあるってことですか?」


「もちろんあるよ。君がいるじゃないか。いきなりだけど、ちょっと嗅いでもいい?」


「へっ? 嗅ぐ? 何をですか?」


「もちろん君の体臭だ。……結星。君、さっきから凄くいい匂いがする。ほら、こんな風に」


 うわっ。イケオジのドアップ。何、くんくん嗅いでいるんですか? 超顔が近いんですけど。


「俺、何か匂ってます?」


 自分じゃよく分からない。ボディソープの残り香かな?


「うん。めっちゃ甘くて陶然とするような匂いがする。僕は匂いフェチだからね。これでも匂いにはうるさいんだ。いわゆるこれが神的芳香ってものか。至福のプリンを作るのに必須とされている。なるほどねぇ」


 俺の体臭がプリンに必須? いい匂いって、プリンの香りがするの?

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