第4話 この世界は


「同じようでいて、かなり違っている」


 部屋の本棚にあった本や雑誌。TVにインターネット。あれから、そういったものを片っ端から調べてみた。


 その結果、この世界は「俺が知っている世界」とは、別の世界であることがハッキリした。でも、ここはやっぱり日本で。歴史や地理には共通する部分も多い。


 ……但しそれは、平成と呼ばれた時代まで。それ以降は、かなり変わってしまっている。


「なにこれ。隕石?」


 二つの世界の相違が生まれる原因となった出来事。それを知ったとき、思わず声が出た。


 太平洋のど真ん中に、地球史上類をみない巨大隕石が落下した。当然世の中は、天と地をひっくり返したような大騒ぎになった。これが見知らぬ歴史の始まりだ。


 それから数年後、全人類に影響が及ぶ極めて重大な問題ーー出生率の急激な低下が生じる。より正確に言えば、男子がほとんど生まれなくなった。


 染色体を調べても何の異常も見つからない。遺伝情報の欠損もない。でもなぜか、男性に分化すべき受精卵が育たない。あるいは受精そのものが起こりにくい。


「隕石によって、未知の脅威がもたらされたのでは?」


 そんな仮説が有力視されるようになると「生物災害バイオハザード」に対する危機意識が世界中で高まり、各国で原因究明のための研究活動が活発に行われ始めた。しかし現在に至るまで、確かなことは何も分かっていない。


 このままでは人類滅亡か。


 どうにもならない人口減少に、そんな悲観論も出てきた頃、年々低下していた男子出生率の低下が、ようやく横ばいになった。それが十七年前になる。


 それまで減りに減った男性人口は、今でもあまり回復の兆しを見せていない。現在の男女比は1: 8。かなり危機的な状況だ。


 偏った男女比の影響で、社会構造も大きく変わらざるを得なかった。


 女性が社会の中心となるのはもちろん、文化的なものも大きな影響を受け、消費やサービスの需要だって、人口が多い女性向けに様変わりした。その中で最大の変化と言えるのは、男女の結婚スタイルが大きく変わっていったこと。


 だって男女が1:1で婚姻するには、若い男性の数が圧倒的に足りないから。


 ものすごい資産家や権力者ならともかく、この世界での一般人の結婚は、今では「通い婚」が普通になっている。俺のプロフィールに、両親は別居と書いてあったのは、つまりそういうことらしい。夫が妻と子供の住む家に通う。そんなライフスタイル。


 少なくなった男性を巡って、女性たちの間でいさかいが続いた時代もあった。でも、この通い婚システムが法的に成立してからは、かなり世情は落ち着いている。今ではごく一部の例外を除き、世界中でこのシステムが採用されているそうだ。


「通い婚」なんて、まるで平安時代みたいだな。国風文化が花開き、女性が文化的に活躍し始めた華やかな時代。


 この世界は女性が支配している。にもかかわらず、女性が男性に対して非常に寛容で、男性が生活に困窮するようなことはないらしい。


 でも、ずっとこうだったわけじゃないんだって。


 年を取って生殖能力を失った男は要らないと、公然と爺捨て山みたいなことがされた修羅の歴史もあった。怖っ。


 それを悲観した男性の自殺率がどんどん上がっていき、危機感を募らせた国によって、男性の権利を保障する法律が整備された。今は、年を取って隠居状態になった男性でも、穏やかな老後を過ごすことができる社会になっているそうだ。


 爺捨て山時代じゃなくて、本当に良かった。


 女性の男性に対する性犯罪が問題になることもあるけど、それはごく一部で、普通に道を歩いていても、一応は大丈夫らしい。


 高校に通い始めたら、歴史は覚え直し……面倒くさいけど、こればかりは仕方がないな。


 これから転入だから、学校の人間関係は新しく作っていけばいい。問題なのは、どう考えても家族になる。妹には会ったけど、両親は海外か。いつ日本に帰ってくるんだろう?


 その間、生活費はどうなってる?

 これは結衣に聞くしかないな。不審に思われるかもしれないけど、他に聞ける人がいないし。


 今後のことをあれこれと考えながら、なんとなくあたりを見回す。


 以前とあまり変わらない俺の部屋。それ故に一番安心できる場所。


 でも、ここが異世界という視点でよくよく見れば、あれ? と思うこともある。例えば服。ありがちな、いかにも俺が選びそうなシンプルなデザインの服なのに、聞いたことのないメーカーのものだったり。


 写真やアルバムなど、個人を特定するものはことごとく消えていたが、書籍やゲームなどは、この世界の歴史の変遷に合わせて改変されているようだった。


 個人情報的な記憶は消されていても、それ以外の一般常識や生活上の知識や認識については案外残っている。それが確認できて、かなりホッとした。


 こでもれだけ多岐に渡って、記憶だけでなくアイテムまで変更できるなんて。これもシステムってやつ? いったいどんな仕組みになっているんだろう?


 ◇ ◇ ◇


 夕方になって、結衣が帰ってきた。手に大きなレジ袋を提げている。遅いと思ったら、スーパーによってきたみたいだ。


「お帰り、結衣」


 ちょっと意識しながら声をかけてみる。だって妹だっていうから。


「ただいま。すぐに夕飯作るから待っててね」


 俺も手伝おうか? って言ったら、かえって時間が掛かるからいいって断られちゃった。


 結衣の作ってくれたやけに甘口のカレーライスを食べながら、分からないことをいろいろと質問してみた。学校のこと、両親のこと、生活費のこと。そして結衣自身のことや、俺に対する認識のこと。


 そういった変な質問をしても、結衣は特に疑問に思わないようで、ひとつずつ詳しく教えてくれた。


 俺が通う予定の学校は、結衣と同じ中高一貫校で、結衣はそこの中等部三年、俺は高等部二年に転入になる。転入理由は、保護者である母親の異動だ。


 どうやら俺たちの母親は、この春の辞令で栄転して本社勤務になったらしい。かなりやり手のようで、現在は海外出張中。転入が4月に間に合わなかったのは、辞令が出た時期が遅かったから。


「時期外れの転校先を探すのは大変だったんじゃないか?」


 転入先の心配からそう聞くと。


「お兄ちゃんのおかげで、すぐに決まったみたいよ」


「俺のおかげって?」


 いきなり今朝登場した俺のおかげって、どういう意味?


「男性の優遇措置がある私立学校の中でも、男子生徒の受け入れに熱心で有名な学校だから、試しに問い合わせてみたら是非来て下さいって、即決だったみたい」


 なーる。結衣も俺とセットで決まったそうだ。よかった。そういう学校なら安心して通えそう。


「お金に関しては、ママの出張中の生活費は私が預かってるよ。お兄ちゃんのお小遣いはこれ。えへっ、渡すの忘れちゃってた。ごめんね」


 やった! 当座の小遣いを入手。


 おおっ! いきなり万札じゃん。デザインが俺の知っているのと違うけど。でもこんなにいいの? それとも物価が違うとか? 


「あとお兄ちゃん、自分の銀行口座を持ってるよね? そこにも残高はあるんじゃないかな?」


 なんだって?


 銀行の通帳は、スマホが入っていたのと同じ机の引き出しの中に、ICカードと印鑑と一緒に置いてあるのを見つけた。


 朝調べた時にはなかったような? 今さらか。


 ICカードは、暗証番号がいるんじゃないかと心配したけど、どうやら生体認証だけでいけるみたい。


 ひ、ふ、み……なんか桁がいっぱいある。なんで?


 アルバイトはしていなかったと、さっき結衣が言っていた。その割に銀行残高がかなり多いのが気になる。その点を確かめなきゃ。


「それ? 男性特別給付金だと思うよ。確か高校を卒業するまでは、毎年支払われるはず」


 男性特別給付金?


 この国には、十八歳未満の男性に払われる給付金制度があった。ありがたい。右も左も分からない世界で生きていくには、お金はとても重要だ。この貯金は、いざという時のために大事にとっておくことにしよう。


 ◇


 明日は学校か。


 男女比1:8ってことは、女子校みたいな感じなのかな? そんなの想像がつかないっていうかイメージが湧いてこないや。


 以前と別人になってやり直す人生。転居したはずなのに馴染みのある部屋。居なかったはずの妹。


 すんなり思い出せることと、どうしても思い出せないこと。


 今日は、いろいろあり過ぎて、なんか疲れた……かも。


 ベッドにゴロンと横になる。いつしかウトウトし始めた俺は、次の朝、結衣が起こしに来てくれるまで、そのままぐっすり寝てしまった。


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