第39話 アクシデント

 ナイトメアハウスに入ると2回ほど広間で待たされ、その度に雷鳴が響いたり、暗くなったりの演出がなされる。その度にさりげなく宇嘉は圭太の腕にしがみついた。きゃっと小さな驚きの声を出すのも忘れない。そのまま乗り場までくっついたままで歩く。


 乗り場では宇嘉が先に乗り込んだ。この乗り物の行程は基本的に右カーブが多い。ここで思い浮かべて欲しいのは遠心力である。真っすぐに進んできた乗り物が右に曲がるとどうなるか? 乗っていた人は回転に伴い外側、この場合は左へ力がかかることになる。


 実際にはそれほど急に曲がるわけではないので、大きな力はかからないのだが、それを装って体重を預けることができる位置は、進行方向右側である。宇嘉はある計画を秘めていた。それは事故を装ってのお触りである。男性はスキンシップによって感情を刺激されることが多いことを利用しようというのだ。


 スキンシップの場所は体の中心に近ければ近いほど効果が高いとされている。宇嘉は体の中心へのダイレクトアタックを目論んでいた。乗り物が動き出す。薄暗い中を進んで行く中で次々とほんのちょっとだけ怖がらせるような演出が現れた。ここぞとばかり、宇嘉はもぞもぞとお尻を動かして圭太に体をぴったりと寄せる。


 圭太が世慣れていたなら、ひょっとすると宇嘉の動きにわざとらしさを感じたかもしれない。しかし、演技力はかなりのものであったし圭太なので素直にちょっと驚いているのかと感じていた。こういうところはやっぱり女の子なんだな、と暢気に考えたりもする。


 ついにひとつ前の乗り物が右に曲がるのを見て取って、宇嘉は深呼吸をした。ガタンと乗り物が振動して左に引っ張られる感じがすると同時に宇嘉は胸の前で握りしめていた手を離し、バランスを崩したかのように自分の左側に手を突く。狙いあやまたず宇嘉の左手は、シートに腰掛けている圭太の体の中心をぎゅっと押さえていた。


 チノパン越しにフニャリという感触が手に伝わってくる。ハッと圭太が息を吸い込む声がした後、頭の中で2秒数える。

「ごめん。ちょっと倒れそうになっちゃって」

「ああ。うん。それは大丈夫だけど……」


 体を起こそうとぐっと力をこめる。圭太はうっという声を漏らした。

「どうしたの?」

 そう言いながら、はじめて自分がどこに手を置いていたのか気づいたように声をあげた。

「あ……」


 ちょうど明るい光が照らす部分に差し掛かったところで、その光を浴びながら、宇嘉は顔を真っ赤にしてみせる。会ったその日に同衾を誘っておいて今更感はあるが、実際問題として、宇嘉にとってみれば初タッチだった。そして、自分で仕掛けているくせに急に恥ずかしくなってしまう。


 山吹に言わせると単なる構造上の凹凸なのでそんなに御大層なもんじゃ無いということになるのだが、発言者が発言者だけにイマイチ説得力がない。色々と事情があって真剣に圭太を誘惑する必要はあるのだが、宇嘉にしてみても、それなりに恥じらいなり、ロマンティックな思い入れなりがあったりする。


 圭太にしてみても、自分では何度も手にしていたけれど、他人に布越しとはいえ押されるというか、触られるのは未知の経験である。自分で脇を触ってもくすぐったくは無いが、他人に触られるとウヒャヒャとなってしまうのと同じで、なかなかに刺激的な体験であった。


 あ、う。圭太は喉が干上がったように言葉が出ない。首を動かすことができず、目だけで様子を伺えば、宇嘉は首筋まで真っ赤にしていた。こういう反応に男は弱い。演技でそういうことをしてもコロっと騙されるものであるが、この場合、宇嘉も計算外の反応である。


 血流が一気に体の中央に集まってくる。こめかみがズキンズキンするほど心臓が元気よく仕事をして血流量を増大させた。必死に自制しようとするが圭太の意志の力ではどうしようもない。宇嘉の手のひらの下でむくむくと固く大きくなっていく。圭太の体の変化に宇嘉は火傷したかのようにパッと手を離し体を起こした。


 お互いに深呼吸をして落ち着こうとするのに集中するあまり、アトラクションでどんなシーンが展開されていたのか、双方ともに記憶がない。圭太はともかく、仕掛けた宇嘉がこの体たらくであることを見たら、石見は嘆息し、山吹はイヒヒと笑ったことであろう。そして、三角木馬1日の刑に処されたに違いない。


 結局、降車場に着くまで明後日の方角を見たままの二人であった。係員に促されて慌てて降りる。降りてからひとしきり気の抜けた会話をする。

「あの、その、すいません」

「あ、いや、大丈夫だから、気にしないで」


 宇嘉は手のひらで顔をあおぐ。

「お昼を過ぎてから、急に暑くなったかも」

「あ、何か冷たいもの買ってくる。ここに座って待ってて」

 圭太は近くのベンチに宇嘉を座らせると、フワフワとした足取りで走っていく。


 宇嘉はスマートフォンを取り出し、動揺が収まらぬまま石見に電話をする。

「お嬢様、首尾はいかがでした?」

「……なんか急に恥ずかしくなってしまって、気まずいわ。今、圭太は飲み物を買いに行ってるところ」


「どうやら、そのようですね。それでどうしたのです?」

「圭太のに触ってしまったら、なんというか急に気が動転して……」

「ご心配には及びません。むしろ正常な反応です。そこで撫でまわしたりするのは、山吹なみにスレた女のすることですから」


「ちょっと、何私の悪口言ってんのよ。私だって、もうちょっと手順は踏むんだから。いきなりそんなことをしたらタダの変態じゃない」

「山吹、横から盗み聞きして大きな声を出さないでよ。申し訳ありません、お嬢様。ですので、全く問題ありません。圭太さまもお嬢様に対する好感度を上げたことでしょう」


「本当?」

「ええ、間違いありません。ご心配なさらず、このままデートをお楽しみください」

「これからどのように圭太に接したら……」

「何も無かったかのように自然にお振舞いください。それで大丈夫です」


「分かりました。頑張ってみます」

「あ、圭太さまがそちらに向かってます。それではまた後ほど」

 圭太が戻ってくる前に宇嘉はスマートフォンをポーチにしまって辺りの様子をぼんやりと見ているふりをする。息を切らせて走ってきた圭太にニコリとほほ笑んだ。


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