第32話 あの日の顛末

 圭太は特に変わったこともなく連休の日々を過ごす。その間、隣家は静まりかえっており、敏郎とのイチャイチャの合間に思いついた遥香が挨拶をしに行った時も門扉は固くしまったままだった。さすがに圭太も宇嘉のことが心配になったが、連絡先を知らないことにはどうしようもない。


 隣だからいつでも声をかけられると思い、何一つ連絡先を聞いていなかった。自分から連絡先を聞くのも変かな、という気持ちもある。交流に積極的なのは向こうだし、変に期待させちゃっても悪いし、と言い訳を並べているが、要はヘタれなのでスマートに聞き出すことができないのを誤魔化しているのだった。


 ずっと不在なのも気になるが、白鳥との間に何があったのかも気になる。ほどなく、白鳥の件については疑問が氷解した。暇つぶしに涼介と映画を見に出かける途中に剣呑な声をかけられたのだった。

「おい、へなちょこ」


 振り返ると市川冴子が立っている。シャツにカーディガンを羽織り、デニムパンツというスタイルだった。左足を前に出し半身になっている体勢は無意識に圭太に対して攻撃的な気持ちになってしまう表れかもしれない。圭太はできるだけ胸元に視線が行かないように気を付けながら返事をする。

「それって俺を呼んだの?」


「ああ。カノジョが悪い男についていくのを黙って見ている奴のことは他になんて呼べばいい?」

「見てたんだ?」

「校舎の上から見えたよ。ちょうど窓枠に足かけて逆さ吊り腹筋してたからな」


 スカートはどうしていたんだろう? という疑問が浮かんで頭から振り払っていたら、涼介が口を挟む。

「何があったんだ?」

「純情可憐な宇嘉ちゃんが、ゴミ黒鳥に連れて行かれたのを、このヘタレが見送ってたって話さ」


「アノ3年の停学になってた?」

「そうさ。で、コイツは普通に駅に向かって帰ったってわけ」

「いや、宇嘉がそうしろって言うからさ」

「お前もあのクズの評判知らないわけじゃないだろ。彼女があんなのに連れて行かれて平然としてるなんて」


 首を振ってやれやれという顔をする冴子に圭太は指摘する。

「一つ聞いてもいい? 市川さんがアノ人にどこか連れて行かれそうになったらどうする?」

「もちろん。そんなことあるわけないだろ。アイツ自身はイキってるけどそれほど強くないし」


「ですよね。市川さんが歯牙にもかけないなら、宇嘉ならもっと問題無いと思いません?」

「それでも、クスリ盛ったり、数人がかりとか心配しないわけ?」

「え?」

 自信たっぷりだった圭太は急に不安になる。


「これだからな。まったく」

「いや、そんな状態になったら俺じゃ尚更無力でしょ」

「はあ。情けない。どうしてこんなの……」

「それより、何があったんですか?」


「ん? お前聞いてないのか?」

「休みに入ってから会ってないですし」

「ふーん。それでか。道理でね。私に対してそういう態度なわけだ」

「どういうことですか?」


 またまた涼介が口を挟む。

「立ち話もなんだし……どう? おごるけど?」

 目線で、近くの三河屋を指し示す。冴子は口の端をあげた。

「さすが気が利くじゃないか」


 三河屋はたい焼き屋だ。店のすぐ横には日よけの下にテーブルと椅子があり、そこで座って食べることが出来る。あんこがぎっしり詰まったたい焼きはお手頃価格で学生に人気があった。涼介が買ってきたたい焼きを齧りながら冴子は話し出す。


「つけて行ったら、案の定、あのバカは宇嘉ちゃんを雑木林に連れ込むじゃないか。しかも、奥の方から、つるんでる手下連中も出てきたんだよ」

 そこまで話すと、たい焼きをモグモグ始める。

「焦らさないで、どうなったのか、教えてくれよ」


 尻尾を口に放り込んで飲み込んだ冴子は冷ややかな視線を圭太に向ける。

「へーえ。少しは気になるんだ」

「そりゃそうだろ?」

「その割には、本人に連絡してないんだろ?」


「だって、連絡先知らないし、今朝から不在にしてるみたいだしさ」

「なんだか、良く分からない関係なんだな。新婚夫婦みたいに仲良くお弁当食べたりしてる割には連絡先を知らないとか」

 といいつつ、もう一つのたい焼きに手を伸ばす冴子。


「それで?」

 ジリジリする圭太を見て冴子はにっこりと笑う。

「お願いします、は?」

「え?」


「だって、私に話をして欲しいんでしょ。人に物を頼むときはどうするのかなあ?」

 圭太は頭を下げる。

「その後の話を聞かせてください。お願いします」

「俺からもお願いします」

 涼介も合わせた。


「まあ、本当は話す義理はないんだけどね。でも、たい焼き奢ってもらったし、友達に感謝しなよ」

 冴子は手にしたたい焼きを圭太に突き付ける。


「取り囲まれて怯えた表情をしてた宇嘉ちゃんが、木陰にいる私の方にほんの一瞬だけ、視線を送って来るじゃないか。頼まれたら断れないよね。なので、ズカズカ乗り込んで行ってやったよ。そしたら、げえって言いながら、手下連中は逃げてったね」


 それだけ、有名なんだな。つーか、マンガに登場する関羽と同レベルの反応されるとか、どれだけ恐れられてんだ? 圭太は改めて、目の前にいる女傑に睨まれている境遇を思い出し身震いする。

「それで、白鳥はどうなったんだ?」


「ぼっこぼこにしておいた」

「え?」

「当然だろ。宇嘉ちゃんを性的な目で見るだけでも許しがたいのに、あのような行動に及べばね。とても嫌だったけど、ズボンの上からギュウギュウ踏んでやったよ」


「あ、ありがとう」

「まあ、あんたに礼を言われる筋合いはないんだけどね。それに十分お礼はしてもらったから」

「お礼?」


 冴子は潤んだ瞳で遠くをうっとりと見つめた。しばらく、そうしていたが我に返ると聞いた。

「聞きたい?」

 コクコクと頷く二人を見ると冴子はニヤアっと笑う。


「宇嘉ちゃんが抱きついてきて、ほっぺにチュッてな。思わず抱きしめてしまったが、あの華奢な体、たまらんな」

 飲み屋で話すおっさんのような感想を漏らす冴子。

「その後、二人でボートに乗って、アイス食べて、カラオケ行ったぞ。どーだ、いいだろう?」


 どう返事したものか黙ってしまった圭太の態度を悔しさと解釈した冴子は得々と語る。

「二人でデュエットもした。ちょっと音痴なところもポイントだ。完璧だと思っていた彼女にもそういう面があるというのも、うふふふ」

 笑み崩れる冴子の姿にあっけにとられる圭太と涼介だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る