第16話 女の矜持
気が付くと圭太は何か柔らかく暖かいものを枕にして眠っていた。果物のような甘い香りのする枕を抱き寄せると、ふにという感触が手に伝わる。まだ覚醒しきっていない頭で何かを確かめるために力を強めて握りしめる。
「ふ、うーん」
頭上から悩まし気な吐息が降ってくる。
「圭太。それ以上はここじゃダメ」
悩まし気な声が圭太を完全に覚醒させた。がばと頭を起こす。宇嘉のひざ枕にうつ伏せで眠っていたことに気が付いた。ということは、あの柔らかな感触は……。
圭太は宇嘉のヒップを揉みしだいていたのだった。恥ずかしそうに顔を伏せる宇嘉。そこへ一陣の風が吹き、桜の花びらをさあっと散らす。薄紅色の花びらを身にまとった宇嘉の姿は手を触れるのが憚られるほど美しい。そんな神々しい姿の人になんてことをしてしまったんだ、と圭太は後悔する。
今すぐに邪な右手を切り落としてしまわなくてはならないような気がした。
「ご、ごめん。無意識のうちに……」
「たぶん触っていたことは他の方には見えてないと思うので、それは構わないのですけど」
言葉を濁す宇嘉。
周囲を見回すと見知った顔がチラホラ見える。そりゃそうだ。地元で花見と言えば、ここ船越山公園ぐらいしかない。これは完全に恋人同士と認定されただろうな。その思いを肯定する声が聞こえてくる。
「なんだ。普段はその気がないような振りをして、実は二人きりの時はしっかり甘えてるんじゃないか。男のツンデレってやつかい?」
でかい声とでかい乳、市川冴子だった。
「しかし、この男のどこがいいのかさっぱり分からないね」
狼狽える圭太を尻目に宇嘉がすっくと立ちあがる。
「その顔についている目玉は飾りですか? 圭太の良さはあなたには分からないでしょうけど、余計なお世話です」
ぴしゃりと言ってのける宇嘉の言葉が響き渡る。
「確かに余計なお世話かもしれないね。だけど、そのセリフは頂けないなあ」
「あら。最初に喧嘩を売ってきたのはそちらでしょう?」
「別に事実を言っただけなんだが」
「それを言ったら私も同じですわ」
「ふーん。喧嘩を売ろうってのかい?」
「いいえ。買おうというのです。愛しい相手を貶されて黙っていては女が廃ると思いません?」
「面白い。そこまで言うなら覚悟はあるんだろうね」
圭太は慌てて止めに入る。
「や、やめなよ。相手は有段者だぜ」
「別に怖くはありませんわ」
「お嬢様。私も圭太さまに同意見です」
圭太と石見の意見を聞いて宇嘉は増々いきり立つ。
「私があのようなホルスタインに後れをとるわけがありません」
冴子は拳をベキバキ鳴らしながら嬉しそうに言った。
「前にそんな生意気なことを言った奴はしばらく口がきけないほど顔がはれ上がったぜ」
「なあ、二人ともやめろよ。こんな大勢の前で派手にやらかしたら勝っても負けても退学処分だよ」
「それは望むところではありませんね」
「確かに花見の余興としても無粋だな」
「では、こういたしましょう。来週月曜日、空手部に体験入部させて頂きますわ。その場で試合ということなら問題ないでしょう?」
「望むところだ。これだけ大口叩いておいて逃げるなよ」
「もちろん逃げたりしませんわ。では日を改めて」
まさに竜虎相討つとの形成だったがひとまずは落ち着いたことに圭太は胸をなでおろす。
「お嬢様。お気持ちは分かりますが、あのような約束をしてよろしいのですか?」
「だって、圭太の悪口を言われて黙っていられなかったんですもの」
「す、すまない」
「圭太は悪くないわ。あの無駄に乳がでかい女が悪いのです。昨日も絡んできましたが……」
宇嘉はハッと気が付いたように息をのむ。
「あのドロボウ猫も圭太に気があるに違いありません。だから、事あるごとに嘴を挟んでくるのですね」
当の本人がそれはないなあ、と思いながら質問する。
「えーと、相手は黒帯だぜ。深草さん怪我したらどうするんだ?」
宇嘉は不機嫌そうな目で圭太のことをじっと見る。
「え、何か、俺マズイこと言った?」
「宇嘉って呼んでってお願いしたでしょう?」
ツッコミどころはそこかよ。
「宇嘉。怪我したらどうするんだ?」
「怪我はしません。私にも些か武道の心得はありますし、いくら力があっても当たらなければどうということはありません」
「そ、そうなの?」
石見の方を見るとウンウンと頷いている。
「そんなことよりも、圭太。もちろん試合には当然応援に来てくれるよね?」
「そのことなんだけど……」
圭太の声を聞いて先ほどまでの勇ましさが影を潜めて、宇嘉はシュンとする。
「彼女が戦うというのに来てくれないの?」
「それなんだけどさ。俺達って、いわば幼馴染で友達だよな?」
「それはそうね」
宇嘉の返事に圭太がほっとしたのも束の間で、
「そして、恋人同士で、許嫁でもあるわ」
「あの。その点なんだけどさ。恋人とか許嫁とかいう点については疑問があるんだけど?」
宇嘉が目を輝かせる。
「ああ。それでは妻にしてくださるのですね」
圭太は天を振り仰ぐ。桜の花びらがヒラヒラと舞い落ちていた。
「いや、俺はまだ高校生だし。そもそも、宇嘉のことを友達以上には思えないんだ」
「ひどい……。私にあんな言葉まで言わせておいていまさらそんな」
「いや、さっきは言葉をかける余裕がなかったじゃない?」
「だいたい、ただの友達のひざ枕で寝ますか? それにあんな風にヤラしく触っておいて……」
「それは申し訳なく思ってるよ」
「責任を取ってください!」
「どういうこと?」
「少なくとも、来週、あの女と決着がつくまでは、恋人同士ということにしてもらいます。そうしないと、私が可哀そうすぎると思いませんか?」
「まあ、そうだね」
「じゃあ、そういうことでいいですね」
「ああ、うん。決着が付いたらカップル解消ってことでいい?」
「私のどこに不満があるというのです? 容姿端麗、料理堪能ですよ。これ以上何を望むというの?」
圭太は桜の花びらの付いたドレスの胸の辺りをみる。
「俺はD以上はないとダメなんだ。他のどんな条件を補って余りがある。宇嘉はどう見積もっても75Bしかないだろう?」
「……ううっ……」
みるみるうちに宇嘉の両目が潤む。まあ、仕方ないだろう。あまりにも理不尽な理由だった。
「だったら、どうしてもっと早く言わなかったのよ」
「本当にゴメン。あ、試合までと言わず、4月中はカップルってことでいいから」
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