第2話

「き、君は……って、もしかして、音無さん……?」


 少年が恐る恐る声をかける。目の前に現れた少女に見覚えがあったのだ。

 傷だらけの少女は少年のクラスメイト、音無おとなし鈴音すずねにしか見えなかった。


「え、なんで。君、音無さん……だよね?」


 だが、確証がなかった。少女の姿は確かにクラスメイトの少女に見えるのだが、髪の色や身に纏っている服が、普段目にするものと大きく異なっていた。


 まず着ている服が学校では見たことのない派手なドレスだった。フリルがたくさんついた膝丈のワンピース。

 それに、見たこともないような高級そうなアクセサリーもつけている。一番目立つのは胸元に弱々しく輝く虹色のペンダントだった。

 そして、顔や体つきは彼女そのものだが、髪の色がまるで違った。肩まで伸びる癖のある黒髪が、淡い薄紅色に染まっていた。


「影谷くん……」

 少女は弱々しい声で呟いて、ふらりと体を揺らすと、その場に崩れ落ちた。

「音無さん!?」

 慌てて少年は少女に駆け寄る。見ればひどい怪我だ。全身を刃物で切り刻まれたように無数の傷がある。

「大丈夫!? 音無さん!」

 少年が少女の肩を揺すると、少女は苦悶の表情を浮かべながら瞳を開けた。

「奇跡……だね。影谷くん……、まさかあなたが能力者だったなんてね。知らなかったなぁ……」

「音無さん、なんでそんな怪我してるの!? 病院に行った方がいいよ! ちょっと待ってて、いま大人の人を呼んでくるから……」

「待って」

 駆け出そうとする少年を少女は制止した。

「だめ。いいの。このくらいの傷、どうってことないから。それに一般人を巻き込むことはできない。……ここは結界が貼ってあるから魔女も来ない。ここなら安心なの」

「結界? 魔女? なんの話をしているの。そんなこと言っている場合じゃないでしょ」

「本当に、大丈夫だから……」

 傷だらけの少女はよろよろと立ち上がった。

「で、でも……」

「平気。もう大丈夫。ちょっと疲れただけだから。心配しないで」

 強がりにしか聞こえなかったが、その語気の強さに少年は口ごもった。

「なんか、いつもの音無さんじゃないみたい。だって、服装も、髪の色も、いつもと違うし」

 まるで別人だった。普段はスカートなんて履かないのに、ピアノの発表会で着るみたいなドレスを着ているし、先生に怒られそうな奇抜な髪の色も変だ。

「まあ、この姿を見られちゃったら、ごまかせないよね……」

 少女は諦めたように微笑んだ。

「白状すると、影谷くんの言う通り、実はわたしは普通の人間じゃないんだ」

「どういうこと……?」

「わたしは魔法少女。世界を破滅に導こうとする魔女と戦っていたの、この世界を守るためにね」

 真剣な表情で話す少女の瞳から、少年は目を離せないでいた。少女の表情は冗談や妄想話をしているようには見えなかった。

「魔法少女……。もしかして、今日学校を休んだのって、その魔女との戦いのため?」

「そうよ」

「……でも、なんでカエルに?」

 魔法少女だとしても、カエルになっている意味はわからない。

「魔女との戦いに負けて、カエルにされてしまったの」

 悔しそうに少女は唇をかんだ。

「戦いに負けてカエルにされて殺されそうになって、必死に逃げて、ここまで来たけど、元に戻る方法もないし、もうこのまま死ぬだけだと思っていたんだ。まさか人間の姿に戻れるとは思わなかった……ありがとう。影谷くん、あなたのおかげだよ」

「僕のおかげ? よくわかんないよ。僕、何もしてないけど……」

「あなたは自分でも気づいてなかったみたいだけど、『王子』の能力者だったのよ」

「王子?」

「カエルにされた王子様はお姫様のキスで元の姿に戻るんだよ。知ってるでしょ?」

 キョトンとする少年。

「おとぎ話で、そういうのあったような気もするけど……。あ、だからさっき僕の顔に飛び込んできたの?」

「まあ、そういうこと」

「でも逆じゃない? おとぎ話だと、カエルになったのは王子様でしょ」

「細かいことはわたしだって知らないよ」

 フッと、少女の顔に微笑みが浮かんだ。それまで辛そうに顔をしかめていたので少年は少し安堵した。

「そうか、ごめん。ていうか、あれ、キスだったんだ。……あの、一応、僕、ファーストキスだったんだけど」

 少年が頬を赤らめると少女は吹き出した。

「あはは。そんなこと。影谷くんってやっぱり面白いね」

 今度こそ、少女はいつもみたいに笑ってくれた。少年は嬉しいような恥ずかしいような複雑な気持ちになった。

「わ、笑わないでよ」

「わたしもキスしたの初めてだよ。恥ずかしいから秘密にしてね」

 少女は笑った。少年よりもずっと大人っぽく笑った。


「……でも、ラストキスでもあるんだけどね」


 ポツリと少女は呟いたが、少年は少女の笑顔に頭がポーッとしてしまって、続けて吐き出されたその言葉は耳に入らなかった。


「だ、だけどさ。カエルの姿の音無さんだったわけだから、あれはノーカウントだよね?」

 照れ隠しでおどけると、それに調子を合わせてくれるように少女は口を尖らせる。

「あ、ひどーい。影谷くんって、そういうこと言う人だとは思わなかった」

「いや、あの、えっと……ごめん。なんか突然いろいろあったから、混乱しちゃって」

「ふふ。まあいいけど」

 よろめきながら立ち上がった少女が身震いしたかと思うと、身に纏っていたドレスが光の粒子となって消え、普段着に戻った。髪の色も元どおりの黒色に変わった。

「あ、いつもの音無さんだ」

 少年はなんとなくホッとした。いつもの少女の姿の方が好きだった。

「そ。もう魔力がなくなっちゃったからね……。これでわたしの戦いもおしまいってわけ」

 嬉しいのか寂しいのか判別できない憂いのある顔で少女は笑った。

「よくわからないけど、もう危険な目には合わないってこと? それなら良かった」

「……まあ、そうね。わたしの代わりにまた別の子が戦うだけだけど。ひとまず今クールのお話はここまでって感じかな。最後にあなたに会えて良かった」

「……最後って?」

「ううん、なんでもない。なんでもないよ」

「そっか。じゃあ、明日は学校に来れるの?」

「え……。それは……」

 少女は口ごもる。少年はハッとした。

「そっか、ごめん。音無さん、怪我してるもんね。まずは病院に行った方がいいもんね。僕、今日のことは誰にも言わないから、ちゃんと治して、それから学校においでよ」

「そ、そうね……。元気になったら、その時はまた学校に行くわ」

「良かった。音無さんがいないと寂しいから。……ってクラスのみんなが言ってたよ」

「うふふ、ありがと。でも、本当に今日あったことは誰にも言わないでくれる?」

「うん、約束するよ。もし誰かに言っても、音無さんがカエルになってたなんて、どうせ信じてもらえないだろうしさ。あと、キスしたら元に戻ったなんて知られたら、みんなにからかわれちゃうし……」

 クラスの友達に冷やかされることの方が気になる少年だった。

「ふふふ。それもそうね。でも、誰が聞いてるかわからないから。本当に気をつけてね」

 誰にも口外しないと伝えているにも関わらず、真剣な表情で念を押されたので少年は少したじろいだ。

「わ、わかったよ。ともかく病院に行った方がいいと思うんだけど、つき添おうか?」

「ううん、大丈夫。一回家に帰ってからママと行くよ。それより念の為。ちょっと待ってね」

 そう言うと少女は懐から小さなペンライトのようなものを取り出した。

「何、それ?」

「ここから光が出るから、ちょっとだけ見ていて」

 少女はペンライトの後ろのスイッチを押した。青白い光が尖った先から覗く。

「これ? 見るの」

「うん」

 少年が光を覗き込む。すると、一つだった光がぐにゃりと歪んで分裂した。


「……ごめんね影谷くん。今日のことも、わたしのことも忘れて」


 耳元で囁いた少女の声はどこか遠くから聞こえるような気がした。

 何かを言い返そうとしたが、意識は遠のいてしまって、少年は自分の話す声も聞きとれないまま、意識を失った。


 少年が目覚めたのは自分の部屋のベッドの上だった。


「あれ、昨日はどうやって帰ってきたんだっけ……音無さんに会ったのは、夢だったのかな」


 学校から家までの記憶も、昨日の出来事も霧のかかったように記憶は曖昧だった。

「まぁいいか。学校で音無さんに会ってみればわかるだろうし」

 寝ぼけ眼でベッドから起き出し、母親にせき立てられるように学校に出かけた。

 学校についたら、彼女とその夢について話そう、と思った。


 ……だが、少年の思いは果たされることはなかった。

 学校に着くと、クラスメイトの少女が急病で亡くなったことを知らされたのだった。


 信じられなかった。友人達と連れ立ってお通夜に行き、花に囲まれた音無鈴音の亡骸を見ても、彼はピンと来なかった。綺麗な顔をしていた。白い服を着せられていた彼女の体に傷があるのか、確認することもできなかった。

 クラスの女子たちのすすり泣く声が、本当に彼女がもうこの世にはいないのだ、という事実を突きつけてきて、もう昨日のことなど誰にも言えなくなってしまった。


 一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎた。

 半年が過ぎ、一年が過ぎ、もうあの日の出来事も、少女のことを思い出すこともなくなった。

 中学受験を控えて学習塾に通い始めると、あの空き地に行くことも、道端のカエルを捕まえることもなくなった。

 全ては幻だったのか。悪い夢だったのか。

 日々の中、疑問を持つ気持ちも薄れていき、少年は変わらない日常に戻っていった。


 だが、全てを忘れかけていたある日、少年は再び不思議なカエルと出会うことになる。

 それは全てが記憶の片隅に消えかけていたある冬の日のことだった。




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