第1話 再会、そして
地下鉄駅。かつては昼夜を問わず多くの人たちで賑わい、皆が足繁く通っていた場所。
今ではその面影すら無く、ただの寂れた廃墟に成り果てている。
ユイとユリナは、そんな廃墟に通じる階段の前に立っていた。
ユイはユリナの目の前に立って、ただひたすらにユリナをじっと見つめている。
完璧と言っていいくらい整った顔立ち。
サラサラとした長い黒髪に、お人形さんみたいな白い肌。
理知的で、透き通るような瑠璃色の瞳。
「ユイ」
触ったらふわふわしていそうな白いパーカー、そして黒のプリーツスカート。
「ユイってば」
ほっそりとした綺麗な足に、黒のニーハイソックス。
「おーい、どうしたー」という声とともに、ユイは自分の世界から引きずり出された。
ユリナがユイのほっぺをぐいっと引っ張ったのだ。いたい。
「いてて……何するの」
引っ張られた頬をさすりながらユイは聞く。どうして引っ張られたのか分からない、といった表情だ。
「何って……」
ユリナは呆れた顔をして答える。
「あたしの方に全力ダッシュしてきたと思ったら、突然自分の世界に入っちゃうんだもん。一体どうしたのさ?」
「えっと、それは……その」
「その?」
「……ユリナに会えて、嬉しかったから、つい」
ユイは自分でも何を言っているんだろう、と思った。
確かにこうやってユリナに会えたのは嬉しい。
目の前に立っているだけで胸が高鳴るし、ユリナと話していると心が弾む。
でも、この気持ちは、伝えたくなかった。伝えない方がいいと分かっていた。
この気持ちは普通じゃないから。
だからこそ、隠さなければいけない。
世界で一番大切な人に、嫌われるのが怖いから。
ユイは自分の顔を隠すように俯いた。無意識の行動だった。
いつの間にか、雨は止んでいて、雲の切れ間から指した午後の日差しが二人を照らしていた。
仄暗かった大地が、元の明るさを取り戻していく。
「へぇー、嬉しかったんだ?」
ユリナが近付いて来るのが分かる。相反する二つの感情がユイを支配していた。
「あたしに会えて、嬉しかったんだ?」
ユリナが覗き込んできたのが分かった。目に悪戯っぽい光を宿して。
どきん、という音がした。
あまりにはっきり聞こえたので、ユリナに聞こえてしまったのではないかと思った。
ここまで胸が苦しくなったことがあっただろうか。
ユイとユリナの顔は、これ以上ないほど近付いていた。
透き通るように綺麗なユリナの目。
ユリナに、わたしの心の奥底まで見透かされていないだろうか。
そうユイが思った時、ユリナは顔に笑みを浮かべ、ユイから顔を離した。
「ふふっ。ユイは面白いなぁ」
ユリナはそう言って、地下鉄駅の入り口を指差す。
「早く入ろうよ。ここにいても仕方ないし」
「う、うん」
あのまま時間が止まってしまえばよかったのに。
永遠に、あの時間を過ごしていたかった。
でも、やはりそれもまた、許されることではなかった。
「ユイー! 早くー!」
気付くと、ユリナは既に入口前に移動していた。
「待って! 今行く!」
ユイはユリナの後を追って、入口に向かった。
一体どれほど前に作られたのだろうか。
壁は所々が崩れ落ち、階段の脇にある手すりは大部分が失われていて、その本来の機能は果たせそうにない。
天井の蛍光灯は軒並み破損していて、階段の先は真っ暗になっている。
一際目を引くのは、壁や床に飛び散っている血液。
そこら中に残る弾痕。
かつてここであったであろう惨劇を、容易に想像することができる。
最初ここに来たときは本当に入りたくなかったなぁ。
ユリナは全く気にせず入っていったけど。
ユイはそんなことを反芻していた。
「ちょっと、ユイ! 止まって!」
階段の踊り場まで降りてきたところで、ユリナがユイを制止した。
「えっ!? 何!?」
「何って、ほら」
ユリナがフラッシュライトで壁の一部を照らした。小さな端末のようなものがある。
「あっ、そうだった。確かそこに罠が仕掛けてあるんだっけ?」
「そうだった、じゃないよー。先週、そこに罠を仕掛けたって言ったじゃん。気を付けないと本当に死んじゃうよ?」
「う……ごめん。今度からはちゃんと気を付けるから」
「分かればよろしい」
考えごとをしていたら大事なことを忘れてしまっていた。先週、ユリナが駅の各出入り口に罠を設置したんだった。セレクターの侵入を食い止めるのはもちろん、悪意のある人間が入ってきた場合でも役に立つ。ユリナのアイデアだ。
そういえば、どうやって動く罠なんだろうとユイは思った。諸々をユリナがやってくれたおかげでユイは何も知らなかった。
「ユリナ、それってどういう仕組みの罠だっけ?」
「これ? あぁ、そういえば言ってなかったっけ」
ユリナが端末を指差して続ける。
「壁の両端の端末から赤外線が出ていて、もし何かが通り過ぎれば仕掛けてあるプラスチック爆弾がドカン! 人なら木っ端微塵だし、セレクターでも足くらいは吹き飛ばせちゃうスグレモノだよ」
ユリナは声のトーンを高くしてそう言った。声に連動するかのように、瞳もキラキラと明るい光を宿している。
「……随分と楽しそうに言うんだね」
「え? だって、セレクターの奴らが引っかかって這いずり回ってるのを想像するだけでワクワクしてくるじゃん」
「ワクワク?」
「そう」
ユイにとってセレクターは恐怖という言葉をそのまま形にしたような存在だった。
さっきみたいに追いかけられているときはもちろん、銃撃を受けたセレクターが悶えながら暴れているときなどでも怖い。ワクワクという感情が誘起されるはずがなかった。
「しないかな、わたしは」
率直な答えだった。
すると、それを聞いたユリナは急に声のトーンを落として、
「えー、残念。ユイなら共感してくれると思ったんだけどな」と表情を曇らせた。
さっきまでの瞳の明るさはそこにはなく、心底残念そうにしている。
それを見たユイは自分の心が激しく波立つのを感じ、
「えっ!? なんかごめん」と慌てて取り繕った。
しかし、そんなユイの気持ちとは裏腹に、
「冗談だよ? ……やっぱりユイは面白いなぁ」
ユリナはそう言って相好を崩す。
ユイにとって、ユリナの笑顔は特別な意味を持っていた。
一度それを見るだけで、心のうちからありとあらゆるプラスの感情が湧き上がってくる。
だから、今この時も、ユイは笑顔で
「もう……ユリナったら」
と言ったのだった。
罠の方に向き直ったユリナは、手元のスマホを操作して赤外線を解除した。
そして、ユイの目を見つめて言った。
「まぁ、でもユイもそのうち分かるようになるかもよ?」
あまりにもひたむきな眼差しに、ユイはまたしても動揺してしまった。
「そ、そうはなりたくないかなぁ……」
「そっかー。ま、そりゃそうだよね」
ユリナは階段の先に体を向け、階段を降り始めた。
ユイも後に続く。
ユリナがこの階段に仕掛けた罠は一つのみ。
だから、あとは普通に目的地の駅務室に向かうだけだ。
入り組んだ通路を進み、二人は駅務室前に到着した。
駅務室というのは、元来一般人の立ち入りを許さない。だが、壁ができたことにより駅務係は去り、誰でも自由に利用できるようになった。今では駅務室を生活拠点にする生存者も少なくない。
この駅務室も元々はユリナが利用していたものだ。
ユイは以前、「どうして駅務室に住んでるの?」とユリナに聞いたことがある。
すると、ユリナは得意気な顔で教えてくれた。
「駅務室って、結構住むのに適した環境なんだよ。駅員が休憩用に使う電子レンジ、ポットとかの家電が置いてあるし、それなりの人数が出入りするからスペースもある。あと、仮眠用にベッドも置いてあるから睡眠を取るのにも困らない。すごいでしょ?」
それを聞いて、確かに住むのには最適な場所かもしれないとユイは思った。
こんな状況だから野宿には常に危険が伴う。かと言って、そこらへんの建物では崩落する危険があるし、雨風を凌げる保証はない。その点、地下の空間だとその問題はクリアできる。それに、ユリナが言ういくつかのメリットもある。
駅務室を住処にするのは、合理的な選択だった。
「係員以外入室禁止」と書かれたステンレス製の扉の前に立つ。
ユイが
部屋の中から物音がした。何かが床に落ちた音だ。
それを聞いたユリナは血相を変え、扉を開けようとしていたユイを手で静止する。
何かが中にいる。二人が仕掛けた罠を掻い潜るような何かが。
二人の間に緊張が走った。
ユリナは足に付けたホルスターから拳銃を取り出し、ユイにハンドサインを送る。
扉の脇にユリナが待機して、ユイが扉を開けると同時に突入する。
そういう指示だった。
ユイはドアノブに手を置き、ユリナの様子を見る。
油断なく銃を構えたユリナはいつになく真剣な顔をしていた。
ユリナが頷き、それを確認したユイは扉を開く。
どうか、ユリナが無事でありますように。
目を閉じて、ユイは祈った。
だが、その必要はないようだった。
激しい銃声の代わりに聞こえてきたのは、動物の鳴き声。
猫だ。どうやら猫が入り込んでいたらしい。
ユリナが部屋から顔を覗かせ、「大丈夫そうだよー」と微笑んだ。
それを聞いてユイも部屋に入る。
家電や本棚、ロッカーに机。ホワイトボードにPC、武器や食料。実に多くの物が置かれた部屋の中央、一番大きな机のそばにユリナがいた。
その正面にいる小さな何か。
猫だ。キジトラ……だろうか。随分と小さい。子猫なのかもしれない。
ユリナの方を向いて、にゃーにゃー鳴いている。え、かわいい。
ユイは子猫のあまりの可愛らしさに動揺を隠せなかった。
対するユリナは猫の前にしゃがんで猫のことを一心に見つめていた。
「お腹……空いてるの?」
「にゃー」
「わっ! 返事した! ねぇ、ユイ。返事したよ、この子!」
「そ、そうだね」
偶然タイミングよく鳴いてくれたんじゃないかと思ったが、ユイは口に出さなかった。
「お腹空いてるんだ。そうだ、カリカリあるよ! カリカリ!」
「え? そんなのあったっけ?」ユイは首を傾げる。
「あるよ、あるある」
ユリナはそう言って立ち上がると、部屋の隅にあるダンボール箱を開けた。
「ほら」
ユリナが手に持っていたのは猫用のドライフード――通称カリカリ。いや、何でそんなものが?
「ホントだ。……というかそれ、どこで?」
「先週、B地区で見つけたから持ち帰ってきたんだー。こういう時に役に立つかと思って」
「こういう時、か。確かに役に立ちそうだね」
「でしょ?」
人が減り続けても、猫や犬といった動物たちは確かに生き続けていた。長年人と共に暮らしてきた彼らだが、人の助けを借りなくても生きられるらしい。こうやって動物と遭遇するのも珍しいことではない。そのうち、人と会うより簡単になるかもしれない。
ユリナは袋からカリカリを取り出すと、正面の猫に向かって差し出した。
猫に警戒する素振りはなく、ユリナの手に近付いてきて匂いをひとしきり嗅いだあと、食べ始めた。それもすごい勢いで。
「わぁぁ。食べてる。食べてるよ、ユイ!」
そう言うユリナの瞳はさっきよりも明るい光を宿していた。ユイは自分の心が少し楽になるのを感じ、笑みを浮かべる。
「おぉ……すごい。よっぽどお腹が空いてたのかな」
「そうみたい。……もうなくなっちゃったよ」
ユリナの手に山盛りだったカリカリは、きれいになくなっていた。
ちょうどその時、上の方から爆音が轟いた。
猫は驚いて部屋を出ていき、二人は顔を見合わせた。
その音が終わりの始まりであることを、二人はまだ知らない。
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