ヴィア・ドロローサ

2626

第1話 山口多聞は学者君が好きである 上

1945年8月15日――最後の連合国、アメリカ合衆国は大日本帝国に無条件降伏した


 連合国側の完全敗北から、約半年後。

 冬の帝都、東京湾にて。


 「今日で僕はこの長門ナガトから降りて学者に戻る訳でありますが、何とも奇妙な気持ちであります」

と、その黒縁眼鏡のいかにも軍人になったばかりと思われる細身でノッポの青年は、帽子に手をやって感慨深そうに言った。

今日は一段と冷え込みが強く、予報では雪であった。

「はは、それは例えるとしたら、一体どんな気持ちなんだね、学者君」

「笑わずに聞いていただけますか、山口ヤマグチ閣下」と青年は少し恥ずかしそうに答える。

「何だ、女々しい感傷じみた事でも言うのかね、学者君!」

と、ノッポの青年よりやや小柄だが、軍人の風格を持った中年の男はその青年特有の恥ずかしさを、男の度量で明るく笑ってやった。

「ええ、僕のしがない感傷であります。 ……僕の父は零戦乗りで、ミッドウェーで名誉の死を遂げました」

中年の男の表情がその言葉を聞いた途端に変わった。

「変な父でありました。 母が若くして亡くなってからは酒も道楽も何一つやらず、僕を懸命に育てて下さいました。 ついには、息子の僕から『どうぞ後添えを貰って下さい』と進言しましたのにガンとして……僕が大学に合格した折には男泣きに泣いておりました。 ミッドウェーに征く前に、酒を酌み交わしたのが最期であります。 戦友の方から、秘密だと、特別なのだと父の最期を教えていただけました。 僚機リョウキを庇って被弾して制御不能となり、アメリカの空母エンタープライズに特攻、見事に刺し違えたと」

「……」

「僕は誰が憎い訳でも悲しい訳でも、ましてや恨めしい訳でもありません。 ただ、寂しいのです。 そして恐らく、この寂しさは僕だけのものではない。 きっと、きっと大勢の人が感じているのではないでしょうか。 大日本帝国は勝利したというのに、僕達は寂しい。 それが何とも奇妙な気持ちなのです」ここまで一気に言ってから青年は我に返った様子で、「……山口閣下、失礼いたしました!」

「……いや。 道理で君には既視感キシカンがあった訳だ。 あの生真面目なお人好しの息子か。 あまりその気持ちは大声で言わん方が良い。 分かるな、学者君?」

「ハッ!」と青年はびしりと敬礼した。

「君らのような若者には、これから大日本帝国を支え、発展させ、更に高みへ進歩させる義務がある。 その感傷は私だけの胸にしまっておこう。 学者君、君は成すべき義務を成せ! 返事は!?」

「ハッ! 激励ゲキレイ感謝いたします、多聞丸タモンマル閣下!」

「よろしい」

と男はわざとらしい偉そうなしかめっ面をして、頷いた。

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