第31話 終なき世のめでたさを 【改訂版】
俺はテレビを眺めるのに飽きて横になり、こたつに潜り込んだ。何もやる気が起きない。
正月休みなんて元々退屈と倦怠感に満ちたものだけど、今年はそれに加えて後悔と悔しさが同居して胸がパンクしそうだった。
「あーあ……最悪の年末年始だ」
画面の中では正月にしか見ない芸人が、コントを披露する前の決まりきった掛け合いをしてる。判り切った茶番劇をなんとなく眺めながら、俺は年末の出来事を鬱々と思い出した。
昨年末のクリスマス・イブ。
ちょうどよくスケジュールが空いた沙織ちゃんを、俺はデートに誘うことに成功した。
イブなんてカップルには一番大事な日に、沙織ちゃんの他の予定が奇跡的にキャンセルになるという奇跡が起きて……俺は千載一遇のチャンスに飛びついた。
さらに人気のレストランにたった三日前で予約をねじ込むことに成功し、沙織ちゃんの誕生日の時よりもさらに厳選したプレゼントも用意した。
ここまで準備して俺のやる気も過去最高、絶対に告白するんだと不退転の決意を固めていたわけさ。奇跡が重なり準備も順調、行く手に何も障害は無い。神様が奇跡のお膳立てをしてくれたんだ。絶対うまくいく。
俺はそう確信して当日を迎え、着飾った沙織ちゃんと落ち合って人生最高の夜を……楽しむことができなかった。
……エっちゃんにみつかるぐらいは正直覚悟していた。ゴンタ辺りに見つかって妨害された場合、一撃で沈めて路地裏のゴミ箱に放り込むことも考えていた。
それが。
「まさかクエスト開始直後に
管理人さんもいろんな意味でうちの母と同じ人種とは思えないが、沙織ちゃんパパもそこら辺のお父さんとは一味違ったよ……。
「まさか自分のデートを放棄してまで妨害にかかってくるとは……」
沙織ちゃんが大事で仕方ないんだろうけど……デート潰された管理人さん、後が怖え。こっちにあたってこないといいけど……。
「だけどさんざん振り回してくれた管理人さんに、一言も口を挟ませないんだものなあ……」
聞いてはいたけれど……お父さんのラスボス感、めっちゃヤバかった。
イブの当夜どころか、俺が帰省する二十八日まで徹底的に俺と沙織ちゃんが二人になるチャンスを潰してくれたしな。しばらく空けるって挨拶に行った時の、あの清々しい“やり遂げた”感に溢れた笑顔が忘れられない。
そして、さっき沙織ちゃんから来たLINE。
『お父さんが急に四日までいるって言い出しました……(T△T)』
明日三日に下宿へ帰って沙織ちゃんと初詣……なんて思っていたのに。それもブロックされたか……!
俺も泣いたが、それよりあの女神のような沙織ちゃんが、自分の父親の滞在を呪うLINEスタンプを付けてくるとか……。
俺の下心どころか沙織ちゃんの“お兄ちゃん”趣味までが風前の灯だ。沙織ちゃんパパの溺愛ぶり、マジ半端ない。
なんか、沙織ちゃんを口説くのはもう絶対無理な気がしてきた……。
寝返りを打って、俺は目を閉じた。
ものすごく期待して、それだけの準備をして、いざ! とジャンプした途端に叩き落されたこのダメージ……
「あー……諦めるしかないのかな……」
沙織ちゃん。
一目惚れして、その後のご近所付き合いの中でそれ以上に深く好きになって、もう彼女以外目に入らないくらいに熱望しているのに……高嶺の花とか言うレベルじゃない、手の届かないところに持っていかれようとしている。
「はー……」
もうどうしていいかわからなくて、深く深くため息をつく俺……の顔を、いきなり誰かが踏みつけてくれた。
「……姉ちゃん、何してくれんだよ!?」
誰かっていうか、いきなり他人の顔を踏むような家族は一人しかいないんだけどね。
飛び起きた俺の前に、会社の制服のまま仁王立ちする姉がいた。
姉ちゃん……制服のまま通勤するのは禁止されているって言ってたよな?
「居間でため息ばっかついてんじゃねえ、うざってえ」
寒さが嫌いな姉は俺がどいた分空いたスペースへ潜り込み、首まで埋まって一息ついた。
「はー……極楽極楽」
だから姉ちゃん、制服は脱げよ。
完全に寒さで着替えを忘れている姉は、亀になったまま俺をキッと睨んできた。
「誠人、あんたこんなところで陰気な空気をまき散らしてんじゃないわよ! みんなが使うスペースを私物化するんじゃない!」
「その言葉そっくりお返しするわ! こたつに他の人間が入れないじゃないか!」
「働いてもないガキが社会人様に意見するなんざ、十年早え」
管理人さんといいウチの姉といい、なんで大人の女ってこう横暴なんだろう。
俺が姉を扱いかねていると、夕食の具材を台所から運んできた母が仕事帰りの娘のだらしない姿に眉をしかめた。
「智美! あんた、せめて服は着替えてきなさい!」
「もうちょっと温まったら」
「そんなこと言って、また夕飯が始まるまで出ないんでしょう? 着替えるまで食べさせないからね!? 今日はすき焼きなんだから、スタートダッシュに間に合わなくても知らないよ!」
姉は素直にこたつから出た。
我が家はなぜか昔から正月二日はすき焼きなのだ。正直おせちよりも正月の代表料理の立場にある。姉に言うことを聞かせるんだから、すき焼き様は偉大だ。
そんなことを考えていたら、姉が八つ当たり気味(気味じゃねえな、八つ当たりだ)に俺を指差してきた。
「で!? このボンクラは何をうっとおしくゴロゴロしてたの!」
「うるせえ!」
余計なお世話だ。俺は姉にぶっきらぼうに答えたが。
「それがねえ。クリスマスデートの失敗、まだ引きずってるみたいなの」
母がわざわざしゃべりやがった。
「……」
聞いた瞬間、無表情になった姉。
一拍置いた後。
「誠人!? てめえいつまで色ボケしてんのよ!?」
一瞬で二歩を詰めて来た姉に胸ぐらを掴まれた。
「だから言いたくないんだよ!」
「恋人のいない姉ちゃんが正月も売場に立って汗水流して働いているってのに、年末年始家でゴロゴロしているだけのあんたが失恋をいまだに楽しんでるって!? ふざけんなよ、この野郎!」
「年末年始休めないのも彼氏がいないのも俺の話に関係ないだろ!? 失恋を楽しむってなんだよ!?」
「姉ちゃんより先にあんたが恋愛ごっこなんざ、神の摂理に反するわ」
「まだ全然そんなところまで行ってないよ!」
「要するに姉ちゃんに素敵な彼氏ができるまで、あんたや雅美に浮いた話なんて許さないからね!」
「俺たち永遠にお一人様かよ!? うちの血筋途絶えちゃ……グハッ!?」
この
「オイコラ、いいか? あたしに隠れて女なんか作ってみろ……呪うぞ?」
据わった目付きの姉に胸倉掴まれる。ヤバいくらいに目がマジだ。
次の皿を運んできた母が注釈を加えてくれた。
「目を付けてた新任の主任さんがね、よく見たら結婚指輪付けてたんだって」
「ワハハハハハ! バーカバーカ!」
「母さん、こいつには言うなって言ったでしょ!?」
◆
「相手の父ちゃんにうまく防がれただけでしょ? べつにまだ望みはあるじゃない」
妹が姉の邪魔をかいくぐり、肉をいち早く確保して溶き卵でシャブシャブしながらそう分析した。こいつは“肉は半生でもイケる”派なので、こういう時は有利だ。
「なんにしても誠人は打たれ弱いからね。もっとガツガツいかないと。女を口説くなら失敗を気にしないで食らいついて行くガッツが大事よ」
母が幸せそうにしらたきを頬張る。そっちはもっと味がしみ込んでから食えよ。
正月二日の大事な晩餐、今年のすき焼きパーティーは何故か俺のクリスマス反省会になっていた。
「しっかし、写真を見れば見るほど誠人で吊り合うとは思えないわ。本当に好意的なわけ? こんな子が? 思い違いって言うか、あんたがストーカーな勘違いを爆発させてるだけじゃないの?」
「姉ちゃんに俺の何が判る!?」
「過去十八年間のモテない実績」
姉は俺が一番気にしていることを平然とえぐってくる。自分が結婚するまで俺や妹に恋愛を許さないと言ったのは伊達じゃない。
「不思議なことに向こうもかなり親し気みたいなのよね。私の分析では、あっちのお父さんの過保護が行き過ぎて身近に男がいないってのが大きいんじゃないかと」
母がおかしな持論を主張し始めた。
「インプリンティングってやつね」
姉がもっともらしく頷く。そして食卓を叩く。
「くそっ、その手があったか! うちの店にイケメンで素直で男子校育ちの将来有望な新入社員が配属されればあたしだって……!」
寝言は寝て言え。
「相手がどうとか、そんなことはどうでもいいわ。問題はお兄ちゃんがヘタレだってことよ」
妹が容赦ない一撃を突き刺してくる。
「不細工でもデブでもオタクでも、なんでこんな美人が? って彼女がいる例はいくらでもあるわ。身の程を考えないで、いくら拒絶されても付き合ってくれるまであきらめない根性が大事なのよ!」
「確かにそうだけど」
「いい? お兄ちゃんはまず自分を客観視しちゃダメ! 自分をイケメンと勘違いしたナルシストに成りきるのが大事よ! 相手がウンと言うまで攻めないと」
妹が俺の胸に突き刺した言葉の凶器をぐりぐりねじって傷口を広げてくる。そろそろ泣いてもいいだろうか?
「……そうは言うけどさ」
勝手に盛り上がる女性陣に、俺も現実的な観点から反論を試みようと口を挟んだが。
「黙れ腰抜け」
「『馬鹿の考え休むに似たり』って言うでしょ? 私たちに任せときなさい」
「どうせネガティブなことしか考えないんだから、自分で考えるだけ無駄だよお兄ちゃん」
沙織ちゃんに告白する前に、その告白の議論さえさせてもらえない……。
俺は母の横で黙って食べている父を振り返った。
「父さん、何か言ってやってよ!」
二個目の卵を割っている父は、どこか小さく見えた。
「誠人、男はな……無駄な時には引いて構えることも大事だぞ」
「カッコよく言ってるけど、無茶苦茶カッコ悪いよ」
「母さんと智美と雅美の間に割って入るなんて……」
父の何とも言えない虚無感を漂わせた微笑みに、俺も自分の意見を主張するのを諦めた。
◆
いつの間にかグダグダに終わった夕食の後片付けを、俺と父は回収と皿洗いで分担しながら始めた。
母と姉は途中から飲み始めた酒のおかげで、こたつにそのまま転がっている。妹は友達からLINEが来て部屋に戻ったまま帰ってこない。
すき焼き鍋を台所のコンロに持って行った俺に、手際よく皿を洗いながら父が語り掛けてきた。
「うちも娘が二人いるからな。俺も、その子のお父さんの気持ちもわからないではないんだよな」
「娘二人があんなのでも?」
「あんなのでも」
父はシンクに視線を落としたまま、言葉を続ける。
「赤んぼの時から大人になるまで育てた娘がな、急に現れたよく知らん男について行っちまう。十年二十年手塩に育てた身にしたら、やりきれない気持ちがあるんだよな」
「娘二人があんなのでも?」
「あんなのでも」
父の皿洗いは手際が良い。やはり俺とは母さんにこき使われている年季が違う。
「だけどな、そうはいっても覚悟はしているんだ。うちにずっと死ぬまでいるもんじゃない、いつかは嫁に行っちまうってな。それはたぶん、その好きな娘のお父さんも同じだと思うぞ」
父は蛇口を閉めると、壁に掛けてあったタオルで手を拭いた。そこで初めて俺の顔を見る。
「だから、わかっていて邪魔しているだけだと俺は思うな。そして自分の邪魔をかいくぐってでも娘をさらっていける、頼もしい男が現れてくれるのを待っているのかもしれない」
台所から出ていく父が、すれ違いざまに俺の肩を叩いた。
「……本当に好きなら、あきらめるなよ。向こうのお父さんを失望させるな」
「……!」
俺は自室に引き上げていく父の背中に、初めて父の偉大さを見た気がした。
「わかったよ、父さん……姉ちゃんたちも、誰か引き取り手が現れるといいな」
「……本当にな」
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