第2話 バニーさんがいらっしゃい 下 【改訂版】
まだ座布団さえも無い、まっさらな部屋のフローリングの床に。
日曜の穏やかな昼下がり、外で駆けまわる子供たちのはしゃぎ声をBGMに。
凄く美人なバニーガールと、俺は向かい合わせて座っていた。
俺の下宿の床の上に。
繰り返して言うけど、ここは俺の下宿だぞ?
所在無げにもじもじするバニーガールが、網タイツの膝をすり合わせる様子が非常に煽情的で、思わず俺は視線を取られてしまう。
いかんいかんと顔を上げれば、贅肉なんかわずかも無いすっきり絞られたウエストが目に入る。
そこから豊かな双丘へと続く自然な曲線がこれまたたまらなく蠱惑的で、レオタードのキツい胸元に押し込められたアレの深い谷間の上には押されてえくぼが浮かんでいた。
実に。
実に芸術的な曲線美だ。
フィギュアのような、という表現がある。
現実にはありえない美しさを求めた偶像にそっくりの美しさが、現実に存在してしまうという事象は本当に存在したのだ。“事実は小説より奇なり”とはよく言ったものだと思う。
「親の目の前で娘をじっくり視姦するとは、君はなかなか大物だな」
横からかかった苦笑交じりのからかう声に、俺は慌てて視線を外した。
「いえ、そんなつもりじゃ!? ただ俺はちょっと顔を合わせるのが恥ずかしくて目のやり場に困ってですね!?」
「顔を見れないからって、身体を舐めるように見ているのもな」
「だから、そんなつもりではないんですよ!? でもこの身体が一度目に入っちゃったら、どうしても視線がはずれなくなるでしょうが!」
……口走っておいてなんだけど、自分でもこれはアウトだと思う。
「そりゃそうだ、ハハハハハハハッ!」
また管理人さんのバカ笑いが始まって、俺はもう穴があったら入りたくなった。
「んじゃあ、改めて。こっちはあたしの娘の
二人の間にあぐらをかいた管理人さんのザックリした紹介に合わせて、俺とバニーガールはお互い頭を下げた。
「あの、羽嶋沙織です……」
「どうも……沢田誠人です」
相手の顔色を伺いながら恐る恐る頭を下げあう俺たちに、管理人さんは「はぁ〜やれやれ」と肩をすくめながらため息をついた。
「硬い、硬いなあ! 若い者同士、もっと砕けてさあ」
「いえ……最初にインパクトあり過ぎて、何をしゃべっていいのか……」
下宿に入居したら管理人の娘(美女)がバニーガールでスタンバイとか。
もちろん俺も大学に入ったら薔薇色の新生活が、とは夢見ていた。夢は見ていた、見ていたけど……なにこのファンキーなドリームは。他人にしゃべったら夢の新生活を病院で過ごすことになりそうだ。
そんなことを考えていて、俺はさっき感じた小さな違和感を思い出した。
「そうだ! あの、管理人さん。親子って?」
俺は一度はずした視線をバニーガールへ戻す。白皙の美貌といい身長の高さといい、管理人さんの姉妹ならともかく娘にはとても見えない。
なによりこれだけのスタイルの良い美人、今週発売の雑誌のグラビア全部見比べて一人二人見つかるかどうかってレベルだ。俺のイメージする子供の範疇には入らない。
管理人さんだってまだ若く見えるし、とてもこんな大きな子供がいるとは……。
「親子は親子さ。この子、これでも高二だよ」
「うそっ!? まだ高校生!?」
いや、大人びた子っているけど! それにしても完成されすぎじゃない!?
「ふふっ、メイクに騙されたね? 女は化けるんだよ、誠人君」
してやったりとまた笑い出す管理人さん。
「まあ身体は誤魔化しようがないけどな! どうだい、うちの娘は。なかなかのもんだろ?」
「ええ、なかなかのもんですね!」
うっかりまともに答えてしまい、沙織さん、じゃなくて沙織ちゃんはまた真っ赤になる。
「ご、ごめん! つい正直に」
「本当に誠人君は正直だよなあ。視線も口も」
慌てて弁解しようとする俺に余計な一言をツッコんで、管理人さんがまた爆笑し始めた……この人に対する見方もだいぶ変わったわ、俺。頼りになるどころか、凄いイイ性格じゃねえか。
親子だというのは納得するとして。
「あの、管理人さん……それで、なんで沙織ちゃんはバニーガールで俺の部屋に?」
一番の謎がまだ全く説明してもらってない。
つむじの辺りをコリコリ掻いた管理人さんは、なんでもない事みたいに答えてくれた。
「うん、この子ももう十六だからさあ。管理人の仕事を手伝わしている所なんだわ」
説明が終わって数秒間。無音の状態が続いた。
「……はいっ!? え? もう説明終わり?」
「おう。それが?」
「いや、バニーである理由をなんにも聞いてないんですけど」
部屋に合鍵使って入って待ち伏せしていた件はこの際置いておこう。でもコスプレは気になる。
「それはな。君が沙織に手伝わせるようになってから初めての新入居者だったから、お出迎えを任せたのよ」
「そ、そうですか……でもあの、部屋にいきなりバニーで待ってるって」
「そうなのよ。この子ったら、それがうちのマンションの歓迎セレモニーだって教えたら真に受けちゃってさぁ。もうポンコツ過ぎて笑えるのなんの」
「沙織ちゃん!?」
「お母さん!? 嘘だったの!?」
「なんで信じるんだ、そんな与太話!?」
「だって、新しい人が入るのって初めてだったし!? お母さんが本当に衣装を出してくるから、そういうものなのかって……!」
「アンタもなんでそんなの持ってるんだ!?」
「旦那と
「お母さーん!?」
親に食って掛かる沙織ちゃんの素敵なお尻を見ながら、俺はなんだか疲れて脱力した。
(この人すげえわ、いろいろと)
はっちゃけ過ぎる管理人さんのノリに、俺はとてもついて行けない……。
一年分ぐらい笑ったんじゃないかっていう管理人さんが、目尻の涙をぬぐいながら立ち上がった。
「てえわけで。あたしもいないことも多いんだけど、何かあったらこの子が代理でいるから。気軽に何でも相談してくれればいいよ」
「はあ」
「このバニーコンシェルジュにね!」
「お母さーん!?」
バニー姿でタワーマンションのカウンターに立つ沙織ちゃんをうっかり想像してしまった。うん、似合うわ。でもそんなの、住んでる住人は俺らのクラスじゃなくって某ゲイツとか某ヘフナーとか、そういうランクのところだと思う。
いじり倒された若者たちの葛藤なんか気にもしないで、管理人さんはさっさと立ち上がると玄関でサンダルをつっかけた。
「それじゃ、あたし買い物に行ってくるから。細かい質問はその子に聞いてね。あとはお若い二人でごゆっくり~」
ひらひら手を振ってニヤニヤ笑いの管理人さんが消えると、俺と沙織ちゃんはハァ~っと深く深くため息をついた。
「沙織ちゃんも、大変だね」
「……はい」
二人で取り残されて初めはどうなる事かと思ったけど、ぽつりぽつり話しているうちに気の合う話題も見えてきた。
沙織ちゃんは特に俺の通う大学が鳥栖文化大だと聞いて食いついて来た。
「鳥栖文化大も選択肢に入れてるんだ?」
「はいっ。ここにしかない学科もありますし、家から近いので通いやすいですし」
キラキラした瞳でまた大学の様子を聞かせて欲しいとねだる姿は年相応で、大人びた子だと思っていたけど無邪気な笑顔は凄く可愛かった。
……と、油断したのがまずかった。
ふと視線を下げたら、腰を浮かせて前のめりになった沙織ちゃんの深い胸の谷間に俺の眼球はオートフォーカス。そしてズームアップ。さっきまで管理人さんもいて気を張っていたけど、今二人きりで仲良くしゃべっていたおかげで緊張感が緩んでしまっていた。
うん、そこまではまだごまかせるんだけど。
視線固定と同時に、全自動で男の化学変化が起きちゃったのも止めようがなくって……沙織ちゃんもバッチリ気がついて、また一気に赤くなった。
「あ、ごめ……その、どうしても生理反応で……て、俺も何を言ってるんだ」
「いえ、あー……わ、わかりますから気にしないで下さい」
しどろもどろに言い訳する俺に、沙織ちゃんも気を使ってくれるけど……微妙な雰囲気になってしまうのは避けられない。
我に返ってよくよく考えれば。
(よく考えたら俺は今、密室にナイスバデーなバニーちゃん女子高生と二人きり……)
ちらっと沙織ちゃんを見ると、向こうも同じことをして慌てて視線を外している。同じことを考えたようだ。
ダメだ。空気が完全に和やかなお話しどころじゃなくなってしまった。
「あーと、それじゃ、そろそろ戻った方が……」
俺はコホンと咳払いすると、沙織ちゃんに帰った方がと促した。
このまま変な空気が続くと今後の付き合いに差しさわりがあるし、俺自身意識しちゃうといつまで自制心が続くか自信が無い。
「そ、そうですね。長々お邪魔してすみませんでした。それじゃ、今後とも宜しく……」
沙織ちゃんも潮時と思っていたらしく、立ち上がってそそくさと玄関に向かいかけた。
えっ?
「あのさ、沙織ちゃん? そのまま帰るの?」
「はい?」
ストップをかけられ、靴を履きかけた沙織ちゃんが目を丸くして動きを停めた。本当にわかっていないみたいだ。
「バニーガールのままで帰るの? ここって外廊下だよね!?」
「あっ!」
管理人さんの自宅の201号室までたぶん五メートルぐらい。鍵開けもあるけど、急げば二十秒ぐらいで飛び込めるかもしれない。でも……たかが二十秒、されど二十秒。それだけの時間があれば、近所の人に目撃されるには十分だ。
「お母さん、私の服!? って、出かけちゃってるんだった!」
沙織ちゃんが青い顔になっている。
「家の鍵、管理人室……」
プラス三十秒追加。いや、あの部屋にいて誰か訪ねてきたら困るから……鍵を取って自宅に駆け戻るとして、二分追加か。
「……管理人室の鍵は?」
「あそこは電子錠でテンキー式なので入れますけど……一階まで行って帰ってくる? 一分じゃ無理だよね……どうしよう、帰れない!」
「あの、管理人さんが戻るまでここにいる? ……いや、まずい!」
取り乱す沙織ちゃんを見ていて、俺も大事なことを思い出した。
「そうだ、俺荷物の受け入れの為に今日来たんじゃないか! 引っ越し業者が来るのは……五分後!?」
「五分後!?」
スマホの時計を見て、俺と沙織ちゃんはお互い血の気の引いた顔を見合わせた。
「五分前だと、業者が下で待機していてもおかしくないよな」
「あ、あ、あ、あ……お母さーん!」
何もない俺の部屋に、沙織ちゃんの悲鳴が響いた。
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