最近のワンルームマンションには、なぜかバニーちゃんが付いているらしいです。

山崎 響

第1話 バニーさんがいらっしゃい 上 【改訂版】

 春三月。新生活が始まる、桜舞う季節。

 進学で上京した俺こと沢田誠人は、思いがけずバニーさんに出会うことになった……自分の部屋で。




 三月中旬のとある日曜日。

 大学に無事合格した俺は上京し、都内のとあるベッドタウンの一角に来ていた。念願の一人暮らしを始めることとなったので、鍵をもらって今日からいよいよ下宿に入るのである。

「それじゃ、これからよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくー。まあ、何かあったら頼ってよ。生活の事から悩み相談まで、なんでも聞いてやるからさ」

 住むにあたっての諸注意を聞いた後、俺が頭を下げると管理人さんはひょうきんに笑ってひらひら手を振った。なかなか話せる人みたいだ。

 マンションの管理人ってあまり若い人のイメージは無かったんだけど、ここの管理人さんは歳は判らないけど若いお姉さんだった。しかもなかなか美人。

 ちょっと吊り目気味の切れ長の瞳に不敵な笑みが良く似合う、キャリアウーマンな感じの人だ。さばさばした姐さんって感じが話しやすそうで、初対面の人に緊張する俺としてはとても助かる。


 管理人室を出ようとした俺の背中に、管理人さんが思い出したように一つ付け加えた。

「ああ、そうだ! 引っ越し荷物を廊下に積み上げるなら、奥の部屋への通路は確保してくれって業者に言ってくんない? その代わりに階段挟んだ201号室の前には積んじゃってもいいから」

「わかりました。201は空き部屋ですか?」

「いんや、あたしの部屋。今見ての通り、ここの管理人室って住む部屋じゃないのよ。だからちゃんと家賃払って自分の家を借りてんの。管理人をするために管理するマンションを借りるって、自分でもマッチポンプだなあとは思うけどね」

「ははは……」

「退勤する夕方までには片付くっしょ? それまではうちの前は使って大丈夫」

「了解です」

 作業スペースは広いに越したことはない。管理人さんのご厚意に甘えることにして、もう一度礼を言って俺は退出した。




 会社の事務所みたいな管理人室から出ると、春先の陽光がぽかぽかと降り注ぐエントランスになる。蛍光灯の室内から急に明るい外に出て、太陽が眩しくてちょっとめまいがした。


 俺は一度敷地の外に出て、これから四年間住むことになる下宿の建物を見上げた。

「ここで、俺はこれから四年間暮らすんだな」

 このマンションは三階建ての鉄筋コンクリート造りの低層構造で、建物両端に2DKの家族用、その間が学生向けのワンルームが六室並ぶという変則的な作りになっているそうだ。まあ自分の部屋以外は、今出て来た管理人室ぐらいしか用は無いだろう。

 俺の部屋は管理人さんの説明によれば、二階の階段を上がってすぐの一つ目らしい。引っ越し荷物の受け入れがしやすくて助かる。


 視線を手元に戻す。

 受け取ったばかりの真新しい鍵を、掌の中で一回振ってチャリンと鳴らす。自分の城を持てたのが、なんとなく嬉しい。

「さて、自分の部屋を見てみますかっと」

 一応不動産屋で写真は見せてもらっていたけど、まだ前の人が住んでいたので実際の部屋の内覧はできなかった。だから自分の下宿を生で見るのは初めてだ。何もないフローリングの部屋が広がっているだけだとわかってはいるけれど……やっぱり初めては嬉しい。

 スキップするように階段を上がり、左に曲がって最初の部屋が俺の住む202号室。

 もう隠しようがない期待に胸を高鳴らせ、俺は鍵を開けると勢いよく扉を開いた。


 狭い通路が目の前にあり、右側は靴箱兼収納棚とキッチンのスペースが並んでいる。

 通路左の壁に二つある扉は、風呂とトイレの入り口。別になっているのがここに下宿を決めた理由だ。

 正面には通路を抜けた先にフローリングの六畳。その向こうには小さなベランダに出られる幅一間の両引きのガラス戸。早くホームセンターを探してカーテンを買わないといけない。

 ここまでは予定通り。写真で見たとおり、俺の新生活を彩る素敵な部屋が広がっている。


 ただ。


 なぜか。


 フローリングの真ん中に……バニーガールが立っていた。




 俺は大きく息を吸って、吐いて、心を落ち着けた。

 オーケー、状況を整理しよう。

 俺は下宿に着き、管理人さんから鍵をもらった。

 その鍵で新居に今入って、四年間暮らす予定の部屋を眺めた。

 もらった資料通りの光景が広がっていて、そこにバニーちゃんが一人立っていて。

 …………。

 はいっ、おかしい点が一つある!

「なんでだっ!?」

 いきなり入って来た侵入者に目を丸くしていたバニーガールが思わず叫んだ俺に驚き、ビクッと怯えて半歩下がった。

 怖がらせちゃったけど、気を使っているどころじゃない。自分の部屋に珍客で驚いているのは俺の方なのだから。

「わ、私は、あの……」

 口ごもる不審者バニーちゃんに、俺は構わず矢継ぎ早に質問を浴びせる。

「え? 部屋あってるよな? どうして? なんなの? キミ、誰!?」

「あ、あの、その、わ、私……」

 俺がいきなり叫んだせいか、元々彼女が上がり性なのか。実に魅力的なバニーさんはこちらと一緒にパニックを起こし、ワタワタ焦って言葉が出てこない様子だ。


 バニーさんは正統派の黒バニーだった。

 背丈は俺より少し低いぐらいか? 百六十台半ばと言った所だろうか。

 背中に流したサラサラの黒髪ロングヘアと少しキツめの整った容貌はまさに和風美人。

 肌も抜けるように白くて、手足はすらっと長い。引き締まっていても肉感的に張りつめていて、痩せているんじゃなくて"細い"。関節が浮くようなことはなく、健康美に溢れている。

 ここまでは間違いなく柳腰の大和撫子といた感じなのだけど、皮をむいた白桃のような球体感溢れる胸とか、模範的にツンと上を向いたヒップとか、局所的には平均以上に発育がよろしいのがバニー的に大変素晴らしい。

 特に何が良いって、かなりの美巨乳なのでレオタードの胸元がずれ落ちる様子がないことだ。

 日本人がこれを着る時って、透明なブラストラップで吊っている事が多いんだよね。グラビアアイドルでさえ胸の立体感が足りない子が多いからなあ……なんて、俺は今どうでもいいことを考えた。

 動揺してワタワタしている彼女のバストは、たゆんたゆんと揺れている。うん、あれだけ大きいと身体が動いても胸の初動が一拍遅れるんだな……進学そうそう大変勉強になった。


 彼女の心の動きを見事に表現してくれているソコを見ているうちに、俺は逆になんだか落ち着いてきた。人がパニックになっていると周囲が逆に落ち着いて来るってアレだ。

 そう、クールに。冷静に物事を見るんだ、俺。

 とにかく俺は一度黙り、事情を知っているであろう彼女が説明してくれるのを待った。場合によっては警察に通報しないといけないかもだけど、出来れば手荒なことはしたくない。


 いきなり人の部屋に入り込んでいるバニーガールだけど、彼女にも何か事情があるのかもしれないし。

 変質者か変態かもしれないけど、強盗空き巣の類には見えないし。

 それともあれか? 新入学シーズンを狙った大学生向けデリヘルの押し売り営業か? それが部屋の中で入居の前からスタンバイって、都会って怖いとこだな……でも興味はあるので、後学の為に料金は聞いておきたい。


 俺が黙って見つめているので、さらに焦ったバニーガールは一人であたふたした後に……もじもじしながら蚊の鳴くような声で、やっと用件を切り出した。

「あ、あの……入居、ありがとう……ございます」

 それだけ言って、彼女は両手でバッと赤面した顔を隠した。

(なんか、ずいぶん慣れてなさそうなバニーガールだな)

 せっかく喋ってくれたけど、彼女の言葉は俺を満足させてくれはしなかった。

 音量はやたら小さいけど澄んだ綺麗な声だったのは容姿にすごく合ってるし、もじもじしている様子はエロかわいいけど……いや、何をしているんだかをまず教えて? 俺に伝える用件、それだけなの? 

 終わりっぽいけど、念の為に確認してみた。

「……あの、他になにか言いたいことは?」

「……以上です」

 説明終了、と。


 ……うん、訳が分からない。どこの誰かもわからないし、バニーガールコスの意味も分からない。

 俺はポケットの中で握りしめていたスマホを出した。

「とりあえず警察を呼んで、この場を取り仕切ってもらおう」

「待って!? 止めて下さい、私、怪しいものじゃないんです!」

「今この状況で、君より怪しい人なんていなくない!?」

「それは、そうなんですけどぉ!?」

 バニーさんはすっかり混乱してしまって、俺に飛びついてスマホを取り上げようとする。俺も渡すまいと抵抗するけど、相手がか弱すぎるしどこを掴んでいいのかわからない。痴漢冤罪が騒がれる昨今、バニー姿の女の子なんて捕まえるに捕まえられない。

 結果。意地悪しているみたいにスマホを高く掲げた俺の周りを、身体をこすりつけるようにうさぎさんがピョンピョン飛び跳ねる漫画みたいな展開になった。

 何この、傍目から見たら俺だけ得してる感じ。俺も真面目に困っているんですけど。

(これ、通報を強行した方が良いのか? でも、悪意みたいなのは感じないんだよなあ)

 向こうもパニックだけど、俺だってどうしていいのかわからない。




 しまいには。

 ウサちゃんは泣きそうな顔で俺の胸に縋りつき、「警察は勘弁して下さい!」と潤んだ瞳で見上げて来た。

 美人がバニーで俺に色仕掛けでお願いして来るとか……凄い。都会って凄い。こんなハプニングが毎日どこかで起こっているのか!? そりゃあ若者が田舎に帰らないはずだ!

 ……あ、この人かなり若いな。アイライン強調しているメイク取ったら、地顔はなんかかわいい感じなんじゃないか?

 

 この状況に困惑しているのはお互いさまで、二人ともどうして良いか判らない。

 どっちもどうにもならなくてそのまま固まっていると、いきなり後ろから。

「アハッハハハハハハハハハハハ!」

 不意に、第三者の笑い声が湧き上がった。

「誰!?」

 これ以上まだ何かあるのかよ!?

 底抜けの大爆笑に、俺が慌てて振り返ってみたら。

 そこにはゲタゲタ腹を抱えて笑う、管理人さんが立っていた。

「か、管理人さん!?」

 俺の叫びにハッとしたバニーガールが、管理人さんを見ると目に涙を浮かべて叫んだ。

「お母さーん!」

「お母さん!?」

 お母さんて、あれですか!? 母親的なマザーの事ですか!?

 このバニーガール美女の母上が、大して年が変わらないように見えるやり手OL風美女の管理人さんだって!? え? いや、これマジな話? どっちの歳が何歳なの?




 理解不能な現実に硬直する俺の前で。

 管理人さんだけが、ただただいつまでも笑い続けていた。

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