第2話 日常を送る、そして穴に落ちる
蒼い空、白い雲、初夏の風が心地いい今日この頃。10人にどんな気持ちになるか、と問うたなら10人が「清々しい気分になる」と答えるであろうこの陽気。
こんな日は河川敷にでも散歩に出かけて、緩やかな風を受けながら野原に横になって空をボーっと気の済むまで眺めるのが性に合っている……
んだけども、
実際そこまで気楽には過ごせない。サラリーマンは平日にゃ仕事に行くし、学生は学校に行く。主婦は家事に大忙しで、マンガ家は〆切前にマンガを仕上げようとペンを走らせる。
悲しいことに俺だって、現在進行形でその類。
「飯いいイィィいい!」
時刻は正午過ぎ。4時限終わり。待ちに待った昼休み。その昼休みにこんな頭の悪そうな台詞を叫びながら某公立高校の教室を飛び出して購買に向かって疾走する
俺だよ。
俺、
昼休み。それは即ち昼食の時間。毎日必ずやってくるささやかなお楽しみイベントの1つ。学校で頑張って授業を受けて、少し疲れた頭と心を癒す至福のひと時。
このために学校来てるようなもんだろ。普通。
で、だ。
今日も今日とてその時が来て、
ルンルン気分で弁当出そうとカバンを開けました……
……………
あ、その弁当家だわ(この間1秒)。
あー昼飯取りに行ってたら昼休み終わっちまうなーじゃあ仕方ないね一食くらい食べなくても我慢……
できるワケねーだろ!!!!
で、教室飛び出して今に至るってワケだ。
想像して貰えばわかると思うけどうちの高校の購買が一番混むのは、まぁ普通の高校の一般例に漏れずお昼頃。その混み具合たるやそりゃもうびっくりするもんで、何回か見たことがあるけど4限終わりに人が一斉に購買にドワっと集まったかと思うと、ものの十分で殆ど売り物がなくなってる始末。
その姿は側から見りゃアリの群衆。
菓子類とかラスクとかしか残ってないんだよなぁ最後の方になると。だから授業が終わったらすぐにでも向かわないとお望みのものなんて買えやしないわけで。
だからこんなに急いでるんですよね。
二段飛ばしで階段を3階から2階へと降りようと少し階段前で減速。購買は1階。急がなくちゃ。と、思っていたら。
目の前の人に肩をとんと抑えられる。
誰だ。こっちは急いでんのに。少しムッとして階段にあった目線を上に上げると、
「こーら! 廊下は走っちゃダメですよ? 天龍くん」
……見知った顔があった。
桜色の髪(本人曰く地毛らしい)が特徴的で、頭のてっぺんにアホ毛を生やした少女。少しあどけないその顔は天真爛漫で、元気そうな印象を受ける。
「佐倉さん。急がせてくれ。事は一刻を争うんだ。このままだと俺は放課後までひもじい思いを」
「はいはい。大方お弁当を家に忘れたとかでしょ? それって自業自得じゃないですかっ」
「ハイ全くもってその通りでございます」
返す言葉もない。佐倉さんの冷静かつ平坦な一言のおかげで、焦ってヒートアップしてた頭が少しずつ冷やされていく。平常心を取り戻すため、息を吸って、吐く。
よし、落ち着いた。
『ごめん佐倉さん。少し焦ってたわ』
とでも言おうと思ってた。いやほんとに思ってた。
でも、次の言葉によって、用意していた言葉は頭の外に、遥か彼方の宇宙空間へと吹っ飛んでいくこととなる。
「それにもう殆ど売り切れちゃってますしね。私もこれ、ギリギリだったんですよ?」
彼女は手に下げていたビニール袋を俺の目の前に掲げた。うっすらとだが購買部のお手製弁当が半透明のビニール越しに伺える。
まぁ、それははっきり言ってどうだっていい。
問題は別のところにある。
「」
購買に、殆ど売りもの、ないってよ。
ここまで走ってきた意味はなんだったのか。いやそもそもアレか。俺は今日昼飯抜きか?
そう思うと、襲ってくるのは悲しみ、そしてそれ以上に、虚無感。まともに声が出せない。
アレ、さっきまで何言おうとしてたんだっけ?
呆然として体の力が抜ける。その場に膝から崩れ落ちた。
膝をついた時に結構変な音がしたけどあまり気にならない。それよりも昼飯にありつけなかったという虚無感の方が、上。
「ちょっ、あー、あの、殆ど売り切れたと言ってもパンくらいなら少し余ってますよ? そろそろ人混みも少なくなってくるでしょうし、行ってきたらどうですか?」
その声色は同情してんのか困惑してんのかどっちなんだと思うけど。
ぶっちゃけ気にしてる余裕が殆どない。
鏡に映る自分の姿は
さながらセミの抜け殻の様。
「ほげ(ありがとう)」
……言葉にならなかった
取り敢えず微かに聞こえたその言葉に一縷の望みを託して、ふらふらと購買へ向かう。
「……ちょっと天龍くん。天龍くん? あぁもう心配っ! ホラ、肩貸してあげますから! 一緒に行きましょうっ!」
佐倉さんが横で肩を組んで支えてくれる。面目ない。というか佐倉さん力強いなぁ男性の体重軽々と支えるなんて。そんなことを頭の片隅で考える。
学年のみんなの微笑ましいようなものを見る目を一身に浴びながら購買へと向かった。
因みにパンは買えた。
1つだけだけど。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「やったー! 咲ちゃん怒涛の腕相撲30人抜きぃ! ちょっと男子情けないですよ! さぁさ次の相手は誰ですかっ!?」
飯を食った後の昼休み。みんな各自各々の時間を5時限目まで過ごす頃。
寡黙な奴は一人で本を読んでたり、仲良しグループ数人で集まってソシャゲの進捗状況をスマホ片手に語り合ったり。今の高校生の昼休みってだいたいこんな感じじゃなかろうか。
そんな中うちのクラスは、
佐倉さんを中心になんかやってる。
一部始終を見てたけどクラスの片隅でクラスの半数の男子が腕相撲に興じていて、結構な盛り上がりを見せていた。
それに興味を引かれたらしい佐倉さんが「私も混ぜてくださいっ!」とその中に突撃&乱入。
佐倉さんって控えめに言っても可愛い。
元気で快活な性格は男子に好印象だし、個人的には見てくれも人気アイドルにも引けを取らな いと思ってる。
それはクラスのみんなもおんなじ認識みたいで喜んで……というか野郎ばっかのところに華が一輪やってきたなら受け入れない理由もなく。
和気あいあいと取り巻きの1人が佐倉さんと手を組みあってレディーファイト……
までは良かったんだけど。
その場にいる男子を軒並み倒してしまったもんだからもう大騒ぎ。
「佐藤がやられた!」
「後藤連れてこい! あいつ確か空手やってたろ!」
「後藤がやられた! 次武藤や!」
「行け加藤! 俺たちの仇をとってくれ!」
とまぁなんで名字が「藤」縛りなんだというツッコミはさておいて。
こんな感じで他クラスからもやいのやいのと人が集まり気づけば30人なぎ倒してたってわけだ。
「おい天龍。お前もしかして佐倉さんが力強いの知ってた?」
「まぁね。中学の頃散々ぶちのめされてますし……。てか佐倉さんのパワーがおかしいだけだから元気出せ」
つい先ほど佐倉さんの怪力の餌食になったクラスの奴だ。心なしか少しショックを受けているような顔つき。
悪いな。同情してやることくらいしかできぬ。
まぁ俺もだいぶ前に佐倉さんのあの男子顔負けのパワーの犠牲者となった男の1人なんだけど。
確かその時も腕相撲だったか。当時中学生だった俺には相当応えたっけ。あの華奢に見える腕のどこからそんな力が出るのか不思議でならなかった。
あんまりに悔しかったのと、自分自身が少し情けなくなったもんだから親父に「空手習わせてほしい」と頼んだところ、武術を嗜んでいる人とツテがあるらしく紹介してもらって、その人に土下座して頼み込んで入門。
以後週に二回ほど稽古をつけてもらってる。
まぁ師匠には遠く及ばないし「武術家としては中の下」なんて言われてるくらいだから、正直そこまで強くはないけど。
でも、いざって時に誰かを守れるくらいにはなってんじゃないかって思う。
あれから結局一度も彼女とはやりあってないけど、今だったらどうだろうか。別に彼女の鼻を明かしてやろうなんて思ってるわけじゃないけど。
「そういや天龍。お前はチャレンジせんの? 佐倉さんに。リベンジマッチってことで」
「三船。お前アホか。俺の今日の飯、パン一個とラスクだぞ。この程度じゃ出る力も出んわ」
「納得……ってかそれ逃げの口実じゃ」
「言ってろ」
それに、今日全然飯食えてないからそんな気分じゃない。三船に茶化されるけど無視を決め込んで仮眠を取ろうと顔を伏せる、
「じゃあ天龍くん! 一戦お願いできますか?」
直前。
思わぬところからご指名入りました。佐倉さんがこちらに歩いて、前の席に座って俺と向かい合う。
「天龍くんとは中学2年以来一回もやってないじゃないですか。少し体つきもあれから良くなってますし、また一戦やりたいなぁなんて思ってたんです。 さぁほら! 手を出して!」
彼女はにこやかな、少しわくわくしたような笑顔でこちらに向かって手を差し伸べる。
周りの視線が痛い。これはやるしかなさそうだ。
「……ハハ。お手柔らかにお願いしますよ」
「ふふ、乗り気じゃなかったでしょうに。優しいなぁ天龍くんは。じゃあ行きますよ。よーい……!」
やるからには負けたくない。そう思うと腕にグッと力がこもる。
「どん!」
と、彼女が声を上げたその時、
聞き慣れた音が教室のスピーカーから聞こえた。予鈴の音だ。
無機質で、少しくぐもったチャイム音。
それは、昼休みの終わりを告げる音だ。
「あれ、もうそんな時間ですか?」
佐倉さんの気の抜けた声。
先程まで高ぶっていた闘志が一気に削がれたようだ。それは俺も同じ。
「……あの、ごめんなさい。5時限目って、教室移動、でしたよね。準備もありますし、その……」
「あぁ、しょうがないよ。また後日改めてやろう」
「……はい。よろしくお願いします。楽しみにしてますからね?」
少し残念そうにしつつも、笑って佐倉さんは教室から出て行った。
ったく。時間ってのは空気読まないなぁ。とか、面白そうだったのになぁ。なんてぼやきながら、周りにいた野次馬は散り散りになっていく。
はぁ、拍子抜けしたけど、仕方ないか。取り敢えずロッカーにある教科書とって音楽室向かうか。そう思って教室を出て、ロッカーに入れてある音楽の教科書を手にとって音楽室に向かう。
階段を降りる時、ふとした好奇心が心を刺激した。
階段6段飛ばし。これをやってみたくなった。なんでかはわからない。
思えば、こんな馬鹿な真似をしなければ、何も知らずに、平和に、大人になれたのかもしれない。
少し強めに地を蹴って飛ぶ。
階段が6段、足の下を通過する。
強い着地音がする。足が思いっきりジンと痺れた。
そして、何か、がちりという音が床の下から聞こえた。
次の瞬間
視界が暗転した。
一瞬のことだったから何が起こったのかもわからず、声も出せなかったけど。
上を見たら、急速に遠のいて、見えなくなる光。代わりに暗闇が視界を染める。
それを見てようやく、床の底が抜けて、俺は落下しているんだな、と理解することができた。
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