きる☆まい☆しすたぁ

宮園クラン

第1話【奇】

「時に君、ねずみは好きかい?」





橙色だいだいいろの電球が力無さげに点滅を繰り返すだけの薄暗い地下室で、なんの前触れもなく唐突に、義眼ぎがんの男は語りかける。描写を正確に言い直すのならば、それは会話にすらなっていない対話であった。眼前に伏する男の口元には、猿ぐつわをむ形できつく硬く巻き付けられており、発する声は言語に変換されず、うなり声を上げているだけなのだから。加えて彼は一糸まとわぬ裸体をさらけ出しており、両手両足を重厚な西洋風ダブルベッドの支柱ごとに縛り付けられている状態にあった。身動きが許されないその様を、僕はじっと見守っている。





「違うよ。違う違うそうじゃない。助けてだとか、懇願こんがんだとかを、俺は要求している訳じゃあないんだ。かつて君が、学徒がくとであった時に、教えてもらわなかったのかな?“質問に対してそれ以外で返事をするな”ってさ」





身柄を拘束された裸の男は、つい先ほどまで居酒屋にて安酒をあおっていた。アルコールを摂取せっしゅ陶酔とうすいする最中、数十分後にはこのような事態に陥ることなど、天のみですら知るよしも無いだろう。おびえる男を、僕はただじっと見つめている。





「話にならないな。まぁいい。俺は好きだよ、鼠。こいつ等は俺達人間と一緒で、食するものを選ばない雑食性だ。生きるためならなんだって、腹の足しにする。ははっ、それは空腹によって、生命が脅かされる事を回避する為の、生理的本能なんだけどさ。さてと、それではここで問題です。空腹以外の危機に瀕した時、普段食べ慣れないものに対して、コイツはどんな反応を示すの、だろうね」





子供の頭ほどの大きさである鉄製バケツを、男の腹の上に置く。ちょうど中に一匹の鼠が閉じ込められる形にして、置く。これからどんな事が起こるのか想像しながら、僕はじっと見続ける。





「大丈夫、心配しなくてもいい。俺はこの通り、耐熱性の手袋をしているから、しっかり抑えておくことができるし、君は手足を拘束されているから、じたばたと暴れる事も、出来ない。我慢比べとかじゃあ、ないんだ。俺は君に対して質問をしたのに、適切な答えが返って来なかった事実に、酷く憤慨ふんがいしている。だからちょこっと罰を、与えるだけさ。それが終われば、医者に連れて行ってやろう。死ななきゃ、ね」





彼は宣言通りに手袋をめた後、皮エプロンのポケットから無骨ぶこつなガスバーナーを取り出した。がちり、とトリガーを引く。轟々ごうごうと音を立て噴射口ふんしゃこうから容赦ようしゃなく吐き出される青色炎に炙られ、バケツは熱量を増していく。初めはカタカタと音を立てていただけの鼠も、事の重大さを知ったか否か、黒板を鉤爪かぎづめで引っかいたような金切り声をあげ、それをはるかに上回る筆舌に尽くしがたい絶叫が辺りに木霊こだまする。大の大人が5人がかりでやっと持ち運びが出来るであろう重量のベッドが、ガタガタと揺れる。その様を僕はまたたきする事なく、見る。見る。ずっと見ていた。













狂宴きょうえんはものの5分程度で幕を閉じた。あたりには焼けた肉の匂いと、鉄の匂いと、男が失禁したであろう糞尿ふんにょうの匂いとで満たされていた。むせ返るような室内で頭がくらくらする。倒れそうな気持ちで胸が一杯になるも、僕はまだ正気を保っていた。常軌じょうき逸脱いつだつした狂気を行使する、義眼の男を目の前にして。前を向く。





「汚いな、あらかた興もめた。たけなわというやつだね、ハジメさん。どおれ、小腹も減った事だ。旨い鹿のソテーを出す店、紹介しますよ。行きましょう」





赤く染まった左手を差し出す彼の生の方の左眼は、明らかに焦点が定まっていなかった。が、決して僕には危害を加えてくるつもりは無いだろう。少なくとも利害が一致しているうちは、なのだが。





ともあれ、今日は良い収穫となった。ここまでイカレた奴を味方に出来たのは、得てしてかなりのアドバンテージになり得るに違いない。









よもやこれを以って、妹の兇行きょうこうの連鎖を、止める事が出来るかもしれないのだから。









To Be Continued...▶︎▶︎▶︎Next【省】


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