第25話 君の夢の中へ

「すぐに背負っているしずくを下せ、首にしるしが付いているぞ」

 風月がそう言った。

 背中から下ろしたしずくは、明らかにただ、眠いだけとは言えない様子なのは明らかだった。

 乱暴に体勢を変えられたというのに、ぼんやりとしていて、瞳は睡魔に負けて今にも閉じてしまいそうだった。


 うなじに見えたのは、1cmほどしるし

 こんなのに気付けなかった。

 昨日の奴は逃げたんじゃない、印をつける目的を果たして去っただけだった。

 自分の強さに慢心していた。


「どっどっどうしよう。瞼が閉じます」

「間にあうか」

 風月は慌てて袂に手をいれ札を取り出そうとするけれど間に合わないのはもう明らかだった。


 しずくの目が閉じる。

「くそっ、閉じんな」

 そう口にして、しずくの頬を両手でつかもうと手を伸ばしたけれど、しずくの瞳はゆっくりと閉じられた。



「取り申した……取り申した……」

 しずくの頭の下にはここにあるはずもない枕。それがぐるんっとその声とともにひっくり返された消えた。



「くっそぉおおおおおお」

 叫んで地面を叩いても遅かった。

 しずくを守れなかった。



 俺のせいだ。

 取り返しのつかないことをしてしまった。



 ぬらりひょんの俺は人に混じり生きる、知らぬ間に人の輪に混ざり、知らぬ間に人の輪から出るその繰り返しだった。

 人は俺がすることは当たり前のことだと誤認識するが、俺の存在を認識しないから記憶に残らないという矛盾。

 格の高い妖怪ゆえに、他の妖怪からは遠巻きにされ一人ぼっちで、街を歩きさまよう妖怪。

 楽しく遊んだ思いでもすべては俺がその場を去ればなくなるもの。それがぬらりひょんの宿命だった。



 今から8年も前に話はさかのぼる。俺は一人の人間の女の子に負けた。

 女の子が持っていたお菓子をいつものように一つだけひょいっと奪って、口に入れた瞬間だ。

 俺の頭に強烈な、ほんと一切手加減なし、全力のチョップが1発入れられたのだ。

 くらくらとする視界と生きてきた中であり得ない展開に仰天して自分より背の本の少し低い女の子を驚いた顔で見つめた。

「しずくのお菓子なんでとるの!? しずくと歳はかわらないでしょ、ならわかるでしょ勝手にとったらだめなこと」

 その場ですぐに謝って、別のお菓子を調達して渡すことで事なきを得たけれど。

 自分を認識する存在に驚いた。

 なんていう自分の物に対する執着……この執着に俺は負けたんだとすぐに分かった。

 初めてする『明日の約束』自分を認識してくれ畏れず傍にいてくれる存在。

 だから、俺はそれに執着した。



 俺の格が上がって、しずくが俺のことを認識できなくなって。平和が訪れた後も。

 いつか、またフラッと目の前に現れたら俺のことを見破り、チョップをくれるのではないかと。

 髪を伸ばして、人が着ない服を着て目立てば。

 いつか、またしずくが俺のことを見えるようになるのではないかと……

 それは叶わず、訪問してがっかりして彼女の下を去り他の家を渡り歩く。そんなことをして8年もの歳月が過ぎた。


 もし、次に万が一俺を認識したらどうしようってことを考えてきた。

 どうすれば彼女を守って、少しでも長く傍に入れるのかを。

 妖怪の格が少しずつ上がっていって、もう彼女が俺のことを見えることなどないと思ってた。

 修行も何もしてない女の子だったから。

 だから、再びチョップをもらった衝撃たるや……



 学校で妖怪を探していたとき不穏な気配がして、しずくをこの状態のままこれ以上引っ張れないと思った。

 俺のわがままで振り回してはいけないと。


 それでも、側にいたくてまだ見つかってくれるなと念じてた。


 俺が殺気をはなったせいで弱い妖怪はしばらく見つかんなくなって、時間が流れて行った、一カ月、二カ月、三カ月、四カ月……と。

 本当に楽しい時間だった。


 けれど、しずくが俺の術のようなものを使い目の前から消えた時、傍にい過ぎたことを知った。

 このままじゃ、だめだ。すぐに格を上げてしずくに勝って元通りにと思ったんだ。



「俺のせいじゃん……」

 妖怪である俺の我がままのせいだった。

 思わずぽつりと口から洩れた。

「何を府抜けている。そう、お前のせいだ。だから早くしずくを社に運ぶぞ。札を張って食い止めている。まだこの童は生きてる。社のある学校に入れれば時間のあちらの術の時間の流れが遅くなる。死ぬまでの時間を引きのばせるし。社には主様がいる」

 しずくのうなじに張りつけられた風月の札が貼られており、赤く光る。



 俺ら三人はしずくを抱えて学校に走った。



 学校の敷地に入ったとたん、普段はあちらから姿を見せない、風月の兄弟弟子が現れた。

「主様がお待ちです。『なんてものをもちこんでくれたんだ』とのお小言つきでございます」

 女のほうが一切表情を変えずそういった。




『ヘマをしたなぁ。のう、ぬらりひょん』

 見守り稲荷の社の前には主と呼ばれるじじいキツネがすでに人型で立っていた。

「主様、私の札を張ったのですが、これでは……」

『ふぅ、お前たちは私が学校の生徒を守ることを使命としているところに付け込んでくるのう。しかたあるまい、札を張り替えてやろう』

 風月の札が一瞬ではがされ、主の札が貼られた。しかし、しずくは目覚めない。

「なんで起きないんだよ!?」



『そうカッカするな。まくら返しとは、これまた夢を操り魂を喰らう。厄介なやつを連れ込みおって。雷を落としてやりたいところだ』

「まくら返し……?」

 俺がそう質問すると、さらさらと器用に木の枝で地面に主は絵を描く。

 まくらをもった、小柄な妖怪だった。

 そうだ、さっきしずくの頭の下にこの場に似つかわしくない枕があって、それがくるんっと回されて枕が消えたんだ。

『この妖怪自体は強くないが、術がなかなか厄介だ。望む夢を見せてやり、弱らせて魂を喰らう妖怪。術を破らねばこの童は助からない。しかし、私ではこの童が望んで見ている夢を覚ましてやるすべをもっていない。夢に入ったところで追い出されるのが落ちだ。この子妖怪ではなく人、そう何回も夢の中に異物が入ったのでは、心が壊れてしまう。私とて、万が一この童の夢の中に閉じ込められるわけにはいかんから引きうけられん』

「そっ、そっ、そんなしずくちゃん」

 ぽろぽろとろくろっ首が泣き始める。



「その夢の中って俺は入れないの?」

『神じゃないお前さんには無理……と言いたいところだが。お前この子に確か名をやっていたな。お前の名がこの子の中にあるなら潜ることができる。ただし、この子は人間だ。挑戦できるのは2回というところだろう。それ以上はこの子の心が壊れてしまうし。心が壊れた時に夢の中にいれば閉じ込められてタダでは済まん。夢に潜れるのは1回だと思ったほうがいいだろう。本当に潜るのか?』

「うん、神様。あんたにできるなら、俺をしずくの夢の中に入れて。俺がちゃんと連れ帰ってくる」

『この童の額に触れて目を閉じよ、夢の中に送ってやろう。久々の大仕事だ』

 フォッフォッフォっと相変わらずサンタクロースのように笑うと、真剣な目つきでギロっと俺を睨んだ。


 しずくの額に手を当てて、俺は目を閉じた。

 しずく、俺の我がままのせいでごめん。

 もう我がまま言わないから。戻ってきて。

 俺のことがもう見えなくなってもいい、明日の約束ができなくてもいい。

 俺のことを忘れちゃってもいい。

 ただ、戻ってきて。



 一緒に帰ろう。しずく。


 俺の意識は遠くなって、パタリとしずくの隣に俺は倒れこんだ。

 瞼が落ちる、寝てしまう。

『いいな、無理だと思ったらすぐに目よ覚めろと念じるのだぞ。いいな。無理だと思ったら引くんだぞ』

 じいさんの声を聞いてから、俺は目を閉じた。



 硬い地面に土と草の匂い、おやすみ。




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