第3話 名前

「しずく、御飯よ~」

 そう言われて私はちょうど読み終わった本を閉じた。

「あっ、これ読んでいいよ。でも、お菓子食べながらは辞めてよね。大事な本なんだから」

 ベッドに横になる彼に漫画を渡して、部屋を後にしようとしたんだけれど、彼が後ろからついてくる。




「ちょっと待って、どこに行くの?」

「どこって、ご飯でしょ? さっき、お母さん言ってたじゃん。聞こえてなかった?」

 もうやだな~って顔をして首をかしげられてしまう。

「何、当たり前に家でご飯を食べようとしてるのよ!」

「いや、俺そういう妖怪だし。さっきwikiwikiペディアで見たでしょ」

 そんなこと言われても……みたいな顔をした後、私の横をするっと抜けて、先に階段を下りて行っちゃうし!



 さっきは私のお母さんは彼に気がつかなかったけれど、今度は気がつくんじゃない? だって、御飯だよ……私達家族の分しかないよ。

「姉ちゃん、今日オムライスだぜ」

 弟のはやとは嬉しそうに冷蔵庫からケチャップを取り出していた。


 食卓に並んだオムライスは案の定4つ。

 一番大きいのはお父さん、中くらい2つが私とお母さん。一番小さいのは6歳のはやと。

 大皿にドーンっと入った唐揚げとポテトサラダやお味噌汁は普段おかわりできるように余分にあるけれど、流石にオムライスは家族の分ぴったりしかない。

 どう見ても4つ。彼の分はない。

 どうするのだろうと、チラッと隣をみると。

 指をパッチンと鳴らした。


 その途端、お母さんがしまったって顔になって口に手を当てた。

「あら、数を勘違いしてたわ。オムライスが一つ足りないじゃない。まぁ、お父さんは後でうどんでもゆでて出すことにして、先に4人で食べちゃいましょ」

 お父さんのオムライスは――――なくなった。

 本当に私のお母さんが違和感なく、彼がいることを当たり前に受け入れたのだ。

「「はーい」」

 ぬらりひょんとはやとがそう返事をする。

 そして迷うことなく、ぬらりひょんはお父さんの席に座った。

「ケチャップで何描くかな~名前にするか、絵を描くか」

 はやとはそういってオムライスの上に何を描くか悩みだす。

「お母さんは名前かな」

「うーん、じゃぁ俺は猫ちゃんかな」

 何の違和感もなく家族の会話にぬらりひょんが入ってしまっている。

 何よコレ……おかしいでしょ。



 それより、さっきから彼とかぬらりひょんとか思ってるけど、名前はあるのだろうか。

「皆で名前にしようよ」

 なんとなく、ぬらりひょんである彼の名前が気になって私はそう提案した。

 するとギョッとした顔で彼が私のほうを向いた。

「俺は、猫ちゃんが……」

「いいね! じゃぁ名前にしよーっと」

 そういって、ケチャップでハヤトとカタカナで書くとケチャップはお母さんに回される。

 お母さんはミチと大きくカタカナで書くと、今度は私にケチャップを渡した。

 私もカタカナでシズクと書いた後、ケチャップをぬらりひょんに渡した。

「ほら、早く名前書いたら?」



 ケチャップを受け取ると、さらさらと器用にケチャップがオムライスにかけられる。でもそれは、カタカナじゃなくて、みたことがない記号のようなものだった。

 書き終わってすぐに、スプーンでそれは消されてしまう。

 書き終わりをすべてみた私の頭の中にフワッとさっき彼が書いた不思議な記号が浮かぶ。

 ナニコレ今まで経験したことがない変な感覚。

 ぐにゃぐにゃと、その字は変わり、朱夏となる。

 『シュカ』

 なんとなく、そう読む気がしたの。



「シュカ」

 思わず口に出してしまった。

 カランっと音がして、そっちをみると。

 ぬらりひょんがスプーンを落としていた。

「もう、気をつけなさいよ」

 そう言って、お母さんは何事もなかったかのように、スプーンを拾い上げると洗い。テーブルに戻して床を拭き始める。



「そうか、名も認識されたのか……」

 ポツリっとぬらりひょんがそう呟いた。

「ふーん、シュカって言うんだ」

 妖怪にもやっぱり名前ってあるんだ……

 オムライスに書くとか、なんていうか見た目が完全に人なこともあって、妖怪の癖になんというか人らしい。

「そうだよ」

 そういって、シュカはムスっとした顔でオムライスをほおばった。



 ご飯を食べ終わった後、「私がお風呂に入っている間に漫画を読んで帰ってね」と言ったんだけど。

 パジャマに着替えて、バスタオルで頭を拭きながら部屋に戻ると、シュカはまだ私の部屋にいた。

「ちょっと、帰らないの?」

「こっちの気も知らないでさ……帰らないんじゃないの、帰れないの」

 ムッとした顔でシュカは答えた。

「なんで?」

「ぬらりひょんは、人の家をわたりながら経験を積むんだ。君のお母さんや弟は俺に気がつかなかったけど。多分怒りで矛盾に気づいた」

「もっと、わかりやすく言ってくれない?」

 ちっとも彼が言いたいことがわからない。


「これでも、かなりわかりやすく説明してるつもりなんだけど。んーー。俺ってまだ半人前でさ」

「半人前?」

「そう、もう一度いわなくってもいいじゃん」

 そういって、シュカは口を尖がらせた。

「悪気があったわけじゃないわよ。なんか嫌な失礼なことだったら、ごめんだけど」

「普通はおかしいぞって相手が思った時に俺が術をかけなおせば、もう何に怒っていたかわからなくなる。でもそれができなかった」

「かけなおすって、あの指をパッチンって鳴らすやつ?」

 私に見つかったとき、めんどくさそうに指をパチンっと鳴らしていた。

 そういえば、オムライスの数が足りない時もパチンっと指を鳴らしていた。



「そうだよ。俺は、部屋の時もご飯の時もしずくに矛盾を認識させないように術を使った……けどあんたには効かなかった」

 ぎゅっとズボンを悔しそうに握ってシュカはそう言った。

「たまたまじゃないの?」

 ドライヤーを取り出して髪を乾かそうとするけれど、ドライヤーをシュカは止める。

「たまたまじゃないから困ってんの!? 俺の名前どうしてわかったの?」

 シュカはそういって私を真剣に見つめてきた、私が彼の名前を知ったことってそんなに重要なことなんだろうか……

「どうしてって、オムライスに妖怪語で書いたからじゃないの? なんか文字をみたら、頭の中に文字がふわーっと浮かんで、気がついたらシュカだって思ったんだもの。もう、ドライヤー返してよ!? あんたも髪長いからわかるでしょ。乾かさないと次の日爆発しちゃうの」

 目の前にいる男の子が妖怪とか、まったく意味がわからないけれど。慣れたのか、彼が人の中に紛れ込める妖怪だからかちっとも怖くなくない。



「そっか……普通は人間には読めないんだよ。読めるっていうことは、おそらく俺を術を破った扱いになってるんだと思う。格上の相手の名は読めない、読めるのは格下のだけ。それなりに、法術ほうじゅつができる人間ならともかく。しずくは普通の小学生じゃん。半人前とはいえ、そんなのに、名前まで読まれるなんて……」

 そういって、地面に崩れおちる、妖怪ぬらりひょん……

「そんなこと……私に言われても」



「少なくとも、油断して適当に術をかけたけど、しずくは俺の術を破ったんだ。半人前とはいえ、あんたは術勝負でぬらりひょんに勝っちゃったんだよ。家の中というぬらりひょんにとって最も得意とする戦場……ぬらりひょんのホームでだよ! この意味わかんないの?」

 真剣な顔でそう言われても、わからないものはわからない。

「さっぱり」

「君は人間だけど、妖怪の格が半人前の俺より変な形で上になったんだよ。ぬらりひょんの俺は人の家を回りながら経験を積むっていったでしょ。経験を劇的につむことができる方法があるんだけどなんだと思う?」

「劇的につむ方法?」

「わかんない? ――――自分より格上の相手に勝つこと。半人前とはいえ、俺はぬらりひょんだから。この辺り一帯は俺の縄張りだったの。その俺に勝ったのがしずく。俺の名が読めると言うことは、俺より格が上になっちゃってる。妖怪の俺を倒せなくても、人間のしずくを倒せる妖怪は沢山いる」

「待って待って待って……」

「俺との勝負は、俺のぬらりひょんとしてのプライドだけが一方的に粉々になっただけで済んだけど、妖怪同士の勝負って実際は違うよ……。俺、人の傍にいて人と共に生きる妖怪なんだよ。このままあんたをほっぽり出したら、大変なことになるってわかってるから出ていけないの。妖怪にだって良心があるの」



「ちょっとまってよ。それって、このままだと他の妖怪に私が狙われる可能性があるってこと?」

「そうだよ。俺を倒すより普通の人間のあんたをお倒すほうが、ずっと楽じゃん」

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