37話 少女モチカの正体は……なのですわ

 どうしてこの少女がBLを描いているのか。ジャンルの進化を考えれば、いつかはそんな日も来るだろうと思っていたリリアンナではあったが、あまりにこれは早すぎる。


「BL……どうしてそれを」


 モチカが呟いた。その呟きを聞いたリリアンナの中で点と点とが繋がった。


「あなた、もしかして転生者……?」

「……と、いう事は……リリアンナ様も……」

「ええ」


 それを聞いたモチカはへなへなと崩れ落ちた。モチカにとって他の転生者がいるとは思いもよらない事だったのである。転移者であるハルトの存在を知っていたリリアンナとはそこが違った。


「実は、マチルダ先生の本を読んでから急に過去の事を思い出すようになって……」

「私の?」

「ええ、それで自分が前世で絵を描いていたのを思い出すようになったんです。それで描いているうちに自分が描いたものも思い出してきました」


 どうやらリリアンナとも違ってモチカの記憶の内容はあいまいなもののようだった。


「それでBLを……」

「BLって……BLって……」


 ハルトもBLの言葉の意味くらいは分かった。女性向けの男同士の恋愛を描いた作品群の事だ。ハルトにはちょっと理解できない世界だったが……。


「マチルダ先生に弟子入りして、いつかはBL作品を描きたいと思っていました」

「ええ……?」


 マチルダがちょっと困惑した顔でモチカを見つめた。まさか弟子がそんな事を考えながらアシスタントをしていたとは思いも寄らなかったのである。


「あ、普通の少女漫画も好きですよ? マチルダ先生の作品は大好きです」

「でも……描きたいのはBLなのですわね?」

「……はい」


 リリアンナに再度確認されたモチカは今度は素直に頷いた。リリアンナはため息をついた。


「モチカ、BLは女性のすべてが読むわけではありません。ましてややっと少女漫画が定着してきた所です。あなたの目指す道はいばらの道ですよ」

「わかっています……。それでも私は描きたいのです」


 モチカの強い意志の宿った瞳。この世界にたった一人の腐女子として生まれ落ちた運命。その運命にあらがおうとする意志……。

 リリアンナはハルトに出会い、メイドカフェを経営するまでの自分とそれを重ねた。


「ふう……なるほど。では描きなさい。出来にもよりますが出版のお手伝いはしましょう」

「ほ、本当ですか?」

「BLも萌えの文化の一つ。萌えの文化の発展と普及は私も目的ですわ」


 リリアンナはそう言ってモチカの手をしっかりと握った。ハルトはその様子を見てちょっと気が遠くなった。


「でも、今はあくまで助手さんですからね。その仕事を疎かにはしないように」

「はい!」


 モチカは力強く頷いた。その様子をかたずを飲んで眺めていたマチルダが口を開いた。


「でも、男と男の恋愛を女性が見るってどういう事?」

「世の中には色んな人がいますの。その背徳感に魅力を感じる人や、男同士として描いて初めて恋愛を楽しめる人、それから男と男の恋愛自体こそ純粋性を感じ惹かれる人……」

「ほお……」

「聞きたくなかった」


 マチルダは感心したように呟き、ハルトは耳を塞いだ。リリアンナはそんなハルトを無視してモチカに語りかけた。


「それで今考えてるお話はどんなのですの?」

「はい、流行りの勇者ものをベースに勇者受けの王子攻めの物語を……」

「リリアンナ解説してくれ」

「つまり勇者がされる……受け入れる方で王子がする方……攻める側……ですわね」

「……やめて、それだけは絶対やめて……」


 ハルトは小刻みに震えながらそれを拒否した。


「まあそうでしょうね。モチカ、私の夫は勇者ですの」

「あ、そうですか。ナマモノは慎重に扱わないとですね」

「また謎の単語が出てきた」

「実在の人物、という意味ですわ」

「ああ……そう……」


 リリアンナはそうしてぐったりとしたハルトを連れて帰っていった。


「ほらしっかりなさいまし」

「うん、ちょっとカルチャーショック受けてるだけだから……」


 それからリリアンナは急ピッチで女性向けりずむめいとの出店に向けて動き出した。


「とはいえ作家が足りませんわね」


 平行して、ラディに命じて女性作家の育成を頼んだ。そちらはなかなか進まなかったが、男性作家から転向したいという人物も出てきた。


「まるで初期の漫画界のようですわね。いいわ、描かせてみて頂戴。女性の募集も続けて」

「はい」


 やがて募集を見てやってきた何人かの女性が現れた。彼女達はまるマチルダのアシスタントとして働き、その技術を見て体得し作家の勉強をしてもらう。


「そろそろ手狭なので引っ越そうと思います」


 何人ものアシスタントを抱える事になったマチルダはもっと大きな家に引っ越した。そしてクスリと笑う。


「この状態をヴィアーノ親方が見たらなんというか」


 マチルダは新しい家……事務所とも言える場所に立ちながら、リリアンナに出会ってから変わった自分の境遇を思った。


「不思議な方だわ……リリアンナ様は」

「そうですね、マチルダ先生」


 モチカもその言葉に頷く。その頃には売れないのを覚悟しろ、と言いつつモチカのBL本も出版の目処が立とうとしていた。


「あの人は、もしかしたら世界を変えようとしているのかも」

「まるで勇者様ね」


 マチルダとモチカはそう言って微笑みあった。

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