14話 緊急事態ですのよ

 その日の午前、リリアンナは絵師達と相談しながらメニュー表の作成に勤しみ、ウルスラは仕入れ表とにらめっこし、ハルトは物言わぬアクアゾッドで素振りをしていた。

 そこに飛び込んできたのは家令のエドモンドである。


「大変です! ご主人様、奥様!」

「どうしたんだエドモンド」

「庭師からの報告で……とにかく菜園にいらしてください」


 それは尋常ではない慌てぶりであった。リリアンナとハルトは思わず顔を見合わせる。


「ハルト、あんた行って来なさいよ。ヒマでしょ」

「ヒマってなんだ、ウルスラ」

「まぁまぁ、私も行きますわ。ハルト様」


 こうしてハルトとリリアンナは屋敷の中の菜園へとむかった。


「どうした!?」

「へぇ、ご主人様。以前預かったトマトとやらの苗なんですがね。順調に増えていたんですが……」

「枯れたのか?」

「いんや、この通りでさぁ」


 庭師が差し出したのは……ハルトの常識で言えば……ピーマンであった。


「え、これ? これがトマトから生えてきたのかっ!?」

「ええ、そうなんでさ……食べてみたけんど苦くて苦くて……」

「こんなことってあるんだろうか?」


 問いかけられたリリアンナはピーマンを手にとって考えこんだ。


「トマトもピーマンも同じナス科ではありますけど……」

「ところでこれの世話をお願いしていたお前の息子夫婦はどこいった」

「それが今朝から見当たらなくて……」


 庭師はほとほと困ったように頭をかいた。


「ハルト様、今はこれが元に戻るかが肝心なのでは」

「あ、ああ。またハイエルフの里に戻っている時間はないよな」

「どうやったら元に戻るんだろう?」

「それは……この実を赤くした時のようにすればよろしいのでは?」

「それって……」


 ハルトはそれを聞いて赤面した。それは愛の言葉をささやくというものだったからだ。しかもこんな青空の下で。


「リリアンナからどうぞ」

「え? ハルト様から言ってくださいまし」

「し、しかたないな……『すごくがんばってる』。はい!」

「私ですか? 『いつも支えてくださってます』」


 リリアンナとハルトは真っ赤になりながら、一応本人なりの愛の言葉をささやいた。


「うーん? 実が丸くなったような?」

「もっともっと愛の言葉を囁かなくてはなりませんわ」

「うーん、あっそうだ。庭師、お前も愛の言葉をささやけ」

「あっしですかい?」


 急に名指しされた庭師はぽかんとしている。


「愛の言葉って……」

「お前のつれあいへの愛を言葉にしてみせろ」


 ハルトは庭師にそう言い放った。とんでもない暴君である。


「あっしの連れ合いは、もう十年も前になくなりましたが……そうさなぁ……三十年ほど前の夏の祭りの夜でした……」


 庭師は語り始めた。


「かがり火に照らされてくるくると踊るあの子の金髪に触れたくて……あっしはわざとよろけたフリをしてぶつかったんです。そしたら付けていた花飾りが水たまりに落ちてしまいましてね。あの子はそりゃあ怒って……それであっしは露店で新しい髪飾りを買ってやったんです。その子の髪に挿してやってこっちのほうがよっぽど似合うってね。それがあっしと妻の出会いでした。なんだかんだ喧嘩もしながら子供達を育て、この庭師の仕事にもありついてようやく楽をさせてやれるって時に……」


 庭師のつぶらな瞳から、つっ……と涙がこぼれた。


「それでも病の床であっしの手を握りながら、あいつは言うんです。自分は幸せだったと。あっしと過ごした夫婦生活は宝物だった、ってね」

「そうかぁ……お前、苦労したんだなぁ……」

「いいお話でしたわ……」


 ハルトとリリアンナは庭師の愛の半生にもらい泣きをしていた。


「うっ……」


 こっそりと、エドモンドも涙を堪えていた。その時、だった。緑色のピーマンが映えていた菜園の苗が一気に真っ赤なトマト畑に変った。


「ああ、トマトが元に戻った」

「本当ですわ!」


 庭師の人生を支え合った妻への愛の言葉がトマトを実らせたのである。


「よござんしたなぁ」


 庭師は顔をくしゃくしゃにして喜んでいた。


「しかし……なんでトマトがピーマンになったんだ?」

「そうですわね、原因をつきとめないと」


 その時、遠くの方から男女の怒鳴り合う声が聞こえてきた。


「この浮気者!」

「誤解だってー!」


 それは庭師の所の新婚の息子夫婦だった。二人の怒鳴り声にトマトがまた再び青くなっていく。


「おいおい何してるんだ」

「夫婦げんかのようですわ」

「あっ、ご主人様と奥様!?」


 庭師の息子はハルトとリリアンナの姿を見つけて足を止めた。


「喧嘩は良くないぞ」

「それが聞いてください! この人ったら浮気したんです!」


 妻の方がそうハルトに訴えた。


「浮気なんかしてない! 昨日はハンスのところでちょっと飲み過ぎて泊まっただけだよ」

「でも……マーガレットはきっとあなたの事が好きだわ」

「あいつはただの幼馴染みだ! たとえそうでも関係ない。俺が好きなのはシャルロット……君だけだ」


 トマトが再び赤く染まった。


「神の前で誓った通り、俺は君だけを愛するよ」

「ディビット……」


 結局、この夫婦の痴話げんかが原因だったようである。ハルトとリリアンナは夫婦仲良くするようにと二人に言い聞かせた。


「ふう、ちょっと当てられちゃいましたわね」

「ああ、そうだな」

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