第10話 四季良子

 次の日、あっという間に放課後になってしまった。

 朝起きても授業中もずっとどうするか悩んでばかり。

 その内容は当然、『ダンジョン潜り』を続けるか否かについてだ。

 あれだけ先輩に釘を差されたのにそわそわして落ち着かず、授業ノートは真っ白で内容すら覚えちゃいない。


 気持ちは面白そうだからやってみたい。前人未到という限られた人しか挑めないことに挑戦してみたい。そういう欲求があった。

 しかし理性はお前のようなただの高校生ではどこかで野垂れ死ぬのが関の山だと耳に囁いてくる。


 そのたびに両親の顔を思い出した。

 自分がいきなり死んで死体も無く行方不明扱いで告げられた親の顔を想像したのだ。

 悲嘆に暮れ、手に何もおぼつかなくなるんじゃないだろうか。

 それを考えるとあまりにも親不孝だろうと意気消沈してしまう。


 そんな思考がぐるぐるとループを朝から何度も繰り返している。

 もっと考える時間が欲しかったが、きっとこれはどれだけ時間があったとしても意味がないものかもしれない。


 ふと他のメンバーはどうなんだろう? と頭をよぎった。


 白藤先輩はやる気に違いない。あの人は何らかの目的がありそうだった。

 熊井君は分からない。お金が欲しそうな感じはしたが、性格上、あまりこういうのは好きじゃないかもしれない。

 雨宮さんも最初はかなりびびっていたけど、ゲーム好きっぽいし、途中からどんどん慣れてきている感じがあったから熊井君よりは可能性は高そうだ。

 

 じゃあ俺は?

 俺には叶えたい願いなどない。お金は欲しいけど危ないことしてまでとなると躊躇する。ゲームは好きでもそれはモニターの中だけで生と死を隣り合わせにしてまで体感したくはない。

 じゃあ何がそこまで俺を駆り立てる?

 自問自答だ。



「……くん。……新堂君」



 肩を揺らされ、はっと意識が戻る。

 横を向くとそこにはクラスの委員長である『四季』さんがいた。

 髪をピンで留め日焼けした健康的な肌をしている女の子で『四季良子しきりょうこ』という名前。

 確か陸上部だったはずだ。部活もやっていて委員長もしていて面倒見がいいと評判の女子。

 残念ながら彼女との接点はクラスメイトというだけで業務連絡程度でしか話したことがなく、こんな気安く声を掛けられるような仲ではない。

 いきなり話しかけられたことにちょっとだけドキドキとしてしまう。

 


「聞いているの? 新堂君」


「えっと、ごめん。ぼーっとしてた。四季さん何?」



 辺りを見るとすでにホームルームは終わっていて、クラスの半分以上は部活や帰宅で出て行っている。

 残っているのは雑談目的の連中ぐらいだろう。



「もう。今、時間ある? 二号館の裏に一緒に来て欲しいの」


「えっ……!? あ、あるけど……」



 思わず声が裏返ってしまった。

 二号館の一階は技術室や家庭科室が並び、放課後になると誰もいない。

 つまりその校舎の裏側は人気が無い場所で、いわゆる『告白スポット』だった。

 いくら人気が無いと言ってもなんでわざわざ学園で告白なんてするのか意味不明だったが、今はその文句を外に出さないでおこう。

 


「そう。なら行きましょ」


「えっと何で? ここでじゃダメなの?」


「うーん、そうね。ここじゃダメなの」



 野暮なことを聞いてしまったようだ。

 やや強引な彼女に連れられて数分で校舎裏に向かう。

 あまりのことにダンジョンのことも忘れ心臓は高鳴るばかり。

 というかもし俺に彼女ができるのならダンジョンなんてどうでもいいかもしれない。

 殺伐としたものより甘酸っぱい青春の方が優先だろそりゃ!



「ええと、良い天気だね?」


「そう? まぁそうね。涼しい風もあってこんな時は河川敷を走ると気持ち良いんだよね。よく部活で走ってたなぁ」



 タイミング良く風が吹き、彼女が髪を押さえる仕草をしているのを見て、二人で河川敷を歩いているところを想像した。

 うん、良いな。めちゃくちゃ良い!

 っていうか今のは遠回しなデートのお誘いか?

 ますます期待度は膨らんでしまう。



「ねぇ、私が陸上部を辞めたのって知ってる?」


「え? 辞めてたの? それは知らなかったな。確か怪我して休部しているとは聞いたことはあったけど」



 数ヶ月前、彼女が練習中に怪我をしたらしく、しばらく松葉杖を突いていたのは見たことがあった。

 その時は違うクラスだったけれど、その姿は珍しく、同学年の間ではよく話に上がっていた。

 


「うん、辞めたの。中学からやってたから計四年もやったのをすっぱりとね」


「ふーん、それは怪我が原因?」


「半分はそうかな……」



 四季さんは自分の足に視線を降ろす。

 今では包帯もアザも無い綺麗で引き締まった足だ。

 ただ見た目は何ともなくても本気走るには後遺症とかあったのかもしれない。

 それはお気の毒だけれど、俺にはどうしようもないことだ。


 

「帰宅部の俺が言うのもあれだけどさ、部活だけが人生じゃないからさ。もちろん仲間と苦しいことに耐えて嬉しいことを分かち合えなくなるのは寂しいことだろうけど、長い目で見たらそれだけに固執する必要はないよ」


 

 お決まりのフォローだ。

 まぁでも俺の本心でもある。

 打ち込んできたものが無くなってぽっかりと穴が開いたような気分になってもそれは一時のことでしかないはずだ。


 

「ありがとう。でもいいの。他にやりたいことは見つかったから」


「へぇなら良かった。やりがいは人生に潤いを与えてくれるって言うしね」



 それはあなたなの! って言ってこい! 一秒でOKしてやる! いやそこはがっつき過ぎるから五秒ぐらい間を空けるべきか?

 しかし、彼女の口から出てきた台詞は俺の期待したものとは全く別のものだった。



「新堂君、あなた


「は!?」


 

 今なんと?

 この十分ぐらいずっと忘れていた単語で頭を殴られた気分だった。



「昨日、あなたたちが『チュートリアル』を終えて誓約書を書いているところを見たわ。実はね、私は数ヶ月前からあそこで活動している。同級生だけどあそこでは先輩として助言を伝えるわ。やめておくべきよ」



 四季さんの口からつらつらと出てきたのは昨晩の俺たちのことだった。

 オープンスペースで話し合っていたから顔を見られるのはそりゃ当たり前だが、まさか委員長がすでに探索者だったとは思いもしなかった。



「確かに今、ダンジョン活動を続けるのかどうか悩んでいるところだよ。でもなぜそうもかたくななの?」



 先輩と言うのならもっと建設的なアドバイスをしてくれたらいいはずだ。

 こちらの状況も聞かず、頭から否定というのは到底受け入れられない。



「さっき、怪我して部活を辞めたって言ったわよね?」


「あぁ聞いたよ」


「噂では練習中にできた怪我ってことになっているけど、あれはダンジョンで負った傷よ」


「何だって!?」



 まさかのカミングアウトだった。

 今も四季さんが歩きづらそうにしていたのをちらっと覚えている。  

 あれがダンジョンでの出来事と関係していたとは。

 さすがに予想外も予想外だった。



「今でこそ人も増えたし、回復薬も普及しているからすぐに治るけどね。あの当時は人も情報も少なくて大変だったわ。知ってる? 初級の回復術やポーションじゃHPの回復はできても怪我の回復にはあまり効かないのよ」


「……いやそれは初めて聞いたな」



 白藤先輩の声が思い出される。

 危険と隣り合わせ、それはすでに目の前の少女が直に経験していたことらしい。



「まぁ昨日の今日だもんね。知らないことは多いでしょうね。HPは何て言ったらいいのかな、薄いバリアみたいなものかしら。それがあるとどんな攻撃でも痛みはあっても実際に体や服が傷付くことはないわ。でもHPが無くなるともう生身の体になってしまう。そうしてできたのがあの包帯ってわけよ。部活で負ったっていう噂は都合が良いから否定しなかったの」

 

「それは分かったよ。危険性を知らせてくれたってことだね。でもどうしてそれでいきなり止めろって話になるのかな? まだ試してもいないのに」


「何となく分かるの。これでも私は古参で最前線のパーティーに入っているからね。三組の熊井君もいたわよね。彼はおそらく前衛系。だけど性格が臆病でこのままじゃ絶対にどこかでミスをするわ。可愛い女の子もいたわね。あの子は魔法系か盗賊系か分からないけど、ずっとチラチラと他の人の顔色を窺っていた。指示をされないと動けないタイプで一度崩れると動揺してパーティー崩壊に繋がるわ。我先にと逃げ出すかもしれない。白藤先輩は……いつもと雰囲気が変わっていたけど、あんな心の優しい人がダンジョンでモンスターと殺し合いなんてやれるはずがないからね。率直に言って、他のパーティーから誘われることも難しいメンツだと思うわ」



 そして、と一旦区切ってから四季さんが続ける。



「あなたは後衛職かな。考えるのは得意だけどリーダーとかには向いていない。そしてやる気も無い。最低限の仕事はこなすけれどそれ以上は求めない人よね。それでは上に行けない」



 なかなか散々な評価だった。

 


「本人を目の前にしてそこまで言えるのに驚いているよ」


「うん、私もきついことを言っている自覚はあるのよ。でも命に関わることだからここで言葉を濁しても意味がないの。勘違いして欲しくないんだけど、これはあなたたちを罵倒したいんじゃなくて善意の忠告なの。同じ学園の人たちに危険な目に遭って欲しくないっていうね」



 顔付きに一切の悪びれも負い目も無い。

 どうやら本当に心配してくれているらしい。


 さてどうしたものか。彼女の言うことは白藤先輩以外は大体当たっている。

 『臆病な戦士』に、『卑屈な盗賊』、『傲慢な神官』、そして『事なかれ主義の召喚師』。


 まぁどう考えても一流とはほど遠いメンバーだ。

 自分たちのことでなければゴブリンでも倒して残飯でも漁ってろって言ってやりたい。

 それに意思疎通だって上手くはいっていない。

 白藤先輩が睨み散らして俺たちが追随しているだけ。

 


「でもさ、うん、やっぱり『でも』だよ。学年も性格もでこぼこでちぐはぐでトンチンカンな俺らだけどさ、昨日は噛み合った瞬間だってあったんだよ」



 ホブゴブリンが現れ小部屋に逃げ込んでからは無様ながらもみんなが精一杯自分のできることをして勝利を勝ち取った。

 熊井君は堂々と立ち塞がり、白藤先輩は撃ち漏らしたゴブリンを引き受けてくれて、雨宮さんは魔法で援護してくれた。

 あの時は震えたんだよ。俺らだってちゃんとやればここまでできるんだって。

 あの感動と血が沸騰するほどの興奮は今も胸に秘めて忘れられないものとなりつつあった。

 もう一回あれを味わいたい。それが今日俺がずっと悩んでいた正体だ。



「そんなの偶然で、この先も通用しないかもしれない」


「だったとしてもあのメンバーでもう一度パーティーを組んでみたい。後悔なんて後回しだ。俺たちが出来損ないであってもあの時間は本物だった!」



 何を熱くなっているんだろうと冷ややかに見ている自分がいた。

 気を遣ってくれている女の子に何を啖呵を切っているんだと恥ずかしくもなってくる。

 しかし曲げない。この想いは曲げてやらない。


 四季さんは少し視線を漂わせ、やがて根負けしたかのように息を吐いた。

 


「……そう。ならこれ以上は言わないでおく。自己責任だからね」


「悪いね。男ってのは女の子の前では意地を張る生き物なんだよ」


「ふふっ、あなたがそんな冗談を言える人とは思わなかったわ。ちょっとだけ興味が出てきちゃったかな」


「忠告は聞く。でもそれで足は止まらない。ごめんだけど」


「いいわよ。まぁ現実を知ってからでもいいかもしれないし」


「現実? まぁそうだね。俺たちはチュートリアルしか知らない。その先のことはこれっぽっちもね」



 その時、またびゅうっと風が吹いた。

 その風に乗って大量の落ち葉が逆巻きこちらへやってくる。



「そうね。ところで外ではスキルも装備も使っちゃいけない決まりなの。だから拙いかもしれないけれど先輩として実力の一端だけ見せてあげる」



 彼女はゆっくりと足元に落ちている木の枝を拾い上げると胸の前に置いた。

 ――そしてその手が消えて代わりにパンと音が鳴る。



「は!?」



 俺は奇妙なものを見た。

 それは四季さんの周囲に近付く落ち葉が音を立てて消滅していく光景だ。

 いや本当の意味での消失はしていない。

 よく目を凝らすと粉々になって粉砕されていっている。

 

 特に気合も入れずこんなものは児戯だと言わんばかりに肩の力を抜いて無造作に木の枝を振るう。

 それだけで不規則に動く十数枚もの葉が次々と撃墜されていった。


 ――全く腕が見えないぞこれ


 ほとんどが同時と言っても過言ではない残像が出る速度だ。しなる枝が風をびゅんびゅん切る耳障りな音も発生した。

 もし彼女が敵だとしたら反応もできずに刹那の間に斬られる未来が見える。

 そして一呼吸ほどの間ですでに行動を終えていた。葉は一枚残らず無くなっていたのだ。


 さっき四季さんはスキルを使っちゃいけない決まりと言った。

 ということはこれは素の身体能力だということになる。

 

 脱帽しぽかんと口を開ける俺の頬を風が撫で過ぎ去った頃に彼女は木の枝をこちらに向け名乗りを上げる。

 


「私は『軽戦士フェンサー』。到達階層は六十三。このレベルまで追いつけるものなら追いついてみなさい」

 


 そう言い放つ四季さんは委員長でもクラスメイトでもなく戦士の目をしており「あ、無理です」とはすでに言えない雰囲気だった。

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