第3話 初めての戦闘

 俺の遠慮のない物言いに熊井君の頬が一気に強張った。


 こんなおあつらえ向きの雰囲気で、しかもコボルトというファンタジー世界の住人が今目の前にいる。だったらその先の展開も読めるって。

 正直、魔法なんて使えない方が良かった。もしそれならこのボードは何かの悪戯とか演出ってことで片付けられたのに。

 けれど現実になってしまったからには俺たちはこれを頼りに、おそらくこの通路の先に待ち構えている『モンスター』と戦わないといけない。

 もちろん殺し合いをしたいわけじゃない。ただここまでお膳立てされてたらそう考えるしかないじゃないか。



「そ、そうだよね。はは……。こんなのがいるんだったら、そうなるよね」



 ようやく事態を把握してくれたのは良かったが、もう顔が真っ青だった。

 前衛がこれだとけっこうやばいな。思ったよりも小心者っぽい。俺だって武器も無いのに肉壁になれと言われたら嫌だけどさ。



「あー、ウジウジウジウジ。ったく、とりあえずお前らの話を聞いてやったがよ、それでどうするんだ? そろそろ黙って突っ立ってるのも飽きてきたぜ」



 しばらく大人しかったと思った白藤先輩がついに動き出してしまった。

 この人の扱いも考えないといけないなぁ。基本的に俺らは運命共同体みたいなもんで、しかも唯一の回復役があまり協力的でないときつい。

 でも見た目は美少女なのに中身はどこぞの不良のこの人を御せる方法があるのだろうか。



「そりゃ進むしかないでしょうね」



 確認は万全ではないが、やれることはもうそんなに残っていない。

 こんな袋小路の一番奥で救助を待つのも不毛だろう。

 仮に俺たちが動かなかったとしても、もしこの先に何かが待ち構えているとしたらそっちからやってくるのは必至だ。

 ならけっしてボーイズラブの話ではないけど、受けか攻めかの違いでしかない。

 それならば新しい発見があるかもしれない攻めに賭けるのが何倍もマシだ。



「よし決まりだ。その犬っころを前に出して行くぞ」



 手の平にパンチをする先輩に顎で促される。

 コボルトを盾にする感じか。



「えっと、もうちょっと色々試したりしたかったんですが」


「もう待ってられるかよ。こんなところに連れ込んだ首謀者とやらがいるのならよ、グダグダすればするほどちょっかい掛けてくるんじゃねぇか?」


「それは……そうかもですね」


「こんな得体の知れないところに置き去りにされてんだ、何があるか分からねぇ。本当は一人でとっとと進みたかったが、危険を減らすために長話に付き合ってやってんだ」



 ど正論ではあるもののこの人に言われると何だかなぁ。



「だ、大丈夫かな?」


「分からないけど、ここにいても事態は何にも変わらないと思う。遭難したならその場を動かないのが鉄則だけど、今回はどう考えてもそういう普通のことじゃないし、好転することを期待して進む方がまだメリットがあるはずだよ」


「それはそうだけど……」



 まだ怯える熊井君を宥めるように諭すもおっかなびっくりの雰囲気は治らない。

 気持ちは分からないでもないけどね。俺もぶっちゃけ混乱し過ぎて頭がハイになってるだけだし。



「あぁん? まだ文句あんのか? それともお前一人ここに残りたいのか?」



 今度は白藤先輩が熊井くんに突っかかっていく。



「ひぃっ! だ、大丈夫です。わ、分かりました!」



 鶴の一声と言っていいものか、その刺すような視線の一睨みで熊井君が進む気になってくれた。



「じゃあコボルト君、先導をお願い。道が別れてたら一旦止まろう」



 俺のお願いとも命令とも取れない指示にコボルトは頷き返し、立ち上がって進み出した。

 体のサイズからその歩みは緩やかなもので、こっちが気を遣うようなスピード。ただ早すぎても警戒しながらなので困るからこれでちょうど良いのかもしれない。

 

 順番はコボルト、白藤先輩、俺とそのやや斜め後ろに熊井君、そして最後尾が雨宮さんだ。

 RPGとしてこの編成順が間違っているのは分かってる。でも正論ばかりが正解ってことでもないだろう。

 ちなみに通路の幅は四メートルほどで広いと言えば広いし、狭いと言えば狭い。



「案外明るいですね」



 後ろから雨宮さんの声がした。

 光源のようなものはないのになぜか俺たちには通路がちゃんと見えている。不思議だが魔法がある時点でもうそういったことは無理に考えない方がいいだろうか。

 ただし見える範囲内には何も変化が無い。それが余計に不安を掻き立ててくる。



「何かが現れたらコボルトを壁にして、俺と熊井君で何とかするしかないね」


「う、うん」



 自分でそう言ったものの、自信などなかった。

 でも逃げ場も無いわけで、ここは熊井くんのフィジカルに期待だ。追い詰められて覚醒とか漫画みたいなことやってくれたら嬉しい。


 百メートルも歩いただろうか、ローペースだったのでそれでも数分は掛かった。

 地下にこれだけの施設で代わり映えもせずにそれだけのスペースが用意できるとは、ここは一体どこなんだろう。すっごい山奥には違いないだろうけど。


 突然、先を歩くコボルトの耳にピクリと反応があり、足が止まった。



「何?」



 剣呑な気配に思わず聞いてみたが、コボルトが日本語で答えられるわけはない。

 ただみんなが息を詰め、足取りがストップしたことにより静かになったおかげで耳を澄ますことができた。


 ――タッタッタッタッ……


 と複数の何かが走って近付いてくる足音が前方の暗闇から木霊してきた。

 緊張に俺の心臓がぎゅっと縮こまる。

 

 やがて奥から現れ出たのは、全身が気持ちの悪い緑の肌をして、サイズはコボルトと同じ小学生ぐらい。なのに愛嬌などは無く醜悪な面構えとそれでいてこちらを格下と侮っている雰囲気の――『ゴブリン』が三体だった。

 予想はしていた。こういうのが出て来るんじゃないかと自分で言っていたし予期はしていたが、いきなりのことに俺もそうだし、みんなも体がうまく動かなかった。


 ――本当にダンジョンかよここ!!


 このパーティーの中で唯一、敏感に反応したのはコボルトだ。



『グルル!』



 唸り声を一息上げて三体のゴブリンの内、真ん中のやつに飛び上がって果敢に突撃を敢行した。

 身長差はそんなに差が無く、もつれ合う二匹はそのまま地面に倒れ込み泥試合を繰り広げる。

 まだどちらが優勢とは判断できない感じだ。


 だが残り二匹は気にも止めず後衛である俺たちを脇を抜けて狙ってくる。



「ひぃっ!?」



 熊井くんの短い悲鳴が横からした。

 現代社会で暮らす俺たちからしたらこの生命を狙われるという状況が初めてなんだ。ぬくぬくと町の中で生きてきて熊どころか野犬に襲われる経験すらない人の方が多い。

 生の殺気はそれだけで思考を奪ってきた。

 偉そうなことを言っていてもこんな空想上でしかお目にかかれない異形の怪物相手に俺も足が竦んでしまっている。だから彼のことをみっともないなんて言えやしない。


 ただそれは悪手でしかなかった。足を止め何の抵抗すらもできないなんて肉食動物の前に棒立ちの獲物がいるのとなんら変わりがない。

 


『ギギ、ギギィ!』



 聞き取れない発声をしておぞましい二体が歯と爪を剥き出しにしてやってくる。

 たかが俺たちのお腹ぐらいまでぐらいしかない生き物に完全にびびってしまっていた。

 虫や動物が人間サイズになれば人間は最弱という話を聞いたことがあるが、まさしくそれだ。能力的にも精神的にも惰弱で、部屋に現れたゴキブリ一匹に騒ぎ立てる俺たちがこんなやつらに敵うはずがない。

 頭の中はすでに絶望感でいっぱいだった。



「おらぁっ!!」



 しかしながらその絶体絶命の場面を精細な前蹴りでぶち壊してくれたのは白藤先輩だった。

 彼女は自身の履いている革靴のかかとを容赦なくゴブリンの下顎に叩き付けた。

 スカートなのもお構いなしの前キックにそのままゴブリンの一体がふっ飛ぶ。



「先輩マジですか!?」



 今の瞬間まで死を予感していた。渦巻き立ち込める暗雲のような悲壮に苛まれもはや進退窮まっていた。

 だがそれが一気に晴れるような気持ちだった。


 ただその感動に費やしている時間は俺には残されていない。

 残された一匹がもう手を伸ばせば肉薄する距離までやってきていたのだ。



「しまっ――」



 ゴブリンはそのままタックルを決めるように俺の足にまとわりつき、そして制服のズボンごと獰猛な歯で噛み付いた。



「痛ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」



 生まれてこの方、動物に噛まれたことも喧嘩して骨折したこともない。

 初めての絶叫するほどの痛みに恥も外聞もなく頭の中は真っ白で思わず盛大に声が出た。



「た、助けてくれぇぇぇ!!」



 すぐ横にいる熊井君たちに助けを求めるが、



「ご、ごめんんんん。で、できないいよおおぁ」



 彼がしたのは怯え半泣きになりながら震える声を振り絞って謝罪しただけ。そこから一歩も動こうとはしなかった。

 そして雨宮さんに至っては目を逸し後ずさろうとする始末だ。

 助けは期待できない。

 

 ――何がパーティーだよこんちくしょう! 何の役にも立たないじゃないか!


 胸の内で悪態を吐く。 



「くそっ! くそっ! この野郎!!」



 誰も頼れない。そういう状況は人を変える。

 さっきまで動けなかったのに痛む足を必死に堪え俺はゴブリンの子供のような細い首に指を回した。

 


『ギィィィィ!!』



 けれども噛み付きは中断されない。

 それどころかより一層、食い込む激痛は増すばかりだ。  

 こうなったらもはや我慢比べだ。こっちの首絞めか、そっちの噛み付きか。とことんやってやる!!



「があぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「ギィィィガァァッァァア!!」



 脂汗で滑りそうになる指を外れないようにしっかりと締めると、ゴブリンも空いている手足を暴れさせ俺の体の他の箇所に打撲ダメージを与えていく。

 低レベルだがどちらも命懸けの攻防だった。早く終われとありったけの殺意を込める。


 それは数秒だったか一分だったか、それとももっと掛かったのか、あまりに死に物狂い過ぎて時間の感覚が薄れる中、ついにゴブリンの手がだらりと落ちた。

 そして今俺を襲っていたはずのモンスターは夢を見ていたかのように粒子となって消失していった。

 

 

「はぁ…はぁ……倒した……のか……」



 息が荒く整えられない。あまりのことに呆然としてしまう。

 我に返ると奥で白藤先輩がコボルトとタイマンを繰り広げている残ったゴブリンの顔を踏み潰して光に変えたところだった。

 どうやら三匹共全滅らしい。


 これが俺たちの散々な初めての戦闘だった。

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