kkt novel

権俵権助(ごんだわら ごんすけ)

Everyday IDOL!

 都心部における会社勤めの何がしんどいかと尋ねれば、まあ、半数近くは満員電車と答えるのではなかろうか。今、駅のホームに佇むその男も例に漏れずであったが、今日は随分と心が穏やかだ。時刻は午前十時過ぎ。取引先への遅めの直行を命じられたおかげで、朝からおしくらまんじゅうに励む必要が無くなったのだ。


 いつもなら幸花堂たい焼きのアンコのようにギュウギュウに人が詰まったホームからはみだしそうになるところを、普段は使わないマイナー路線ということもあってか、今日はなんと駅が貸し切り状態である。さらに、やってきた電車のドアが開いてまた驚いた。その車両の先客が、たったの一人だけ。これはノンビリできるぞ……と言いたいところだったが、男はその先客のことが気になって仕方がなかった。


 五人掛けシートのちょうど真ん中に、ちょこんと座った女の子。ピンク色のまるっこいぬいぐるみを、両手で大事に抱えている。


 気になったのは、その子がどう見ても小学生か中学生だったからだ。平日のこんな時間に、子供が一人で電車に乗っている……頭の中に「家出」やら「ネグレクト」やら、良くない言葉が並び始める。


「……ねえ、キミ。学校は?」


 ”事案”覚悟で話しかけた。すると、女の子は口元に手を当ててフフッと小さく笑い、窓の外を指さして言った。


「今、春休みですよ」


 見ると、流れる景色を満開の桜並木が桃色に染めていた。


「あっ、これは、どうも……」


 振り絞った勇気の分だけ恥ずかしさも大きい。これから、この子と二人でどこまで一緒に乗るのか分からないというのに、早くも、このいたたまれない空気。ドアの上に設置された液晶モニターから流れるCMの音だけが車内に響いていく……。


「あの……そのぬいぐるみ、かわいいね……」


 耐えきれなくなって、つい、大して興味の無いことを訊いた。けれど、その軽い言葉で少女に笑顔の花が咲いた。


「かわいい、ですよねっ……! この子、おねえちゃんにもらった大事な子なんです……!」


 ぬいぐるみを褒められたことがよっぽど嬉しかったのか、少し早口になっていた。


「普段はおうちで大切にしてるんですけど、今日は久しぶりにおねえちゃんに会えるから特別に連れてきたんです」


 と、そこまで言って、男が何やら神妙な顔つきになっていることに気が付いた。この男、どうやら”久しぶりにおねえちゃんに会う”という言葉から、またぞろ「別居」やら「離婚」やらのややこしいワードを思い浮かべているらしい。勘のいい彼女はハッとそれを察して、慌てて訂正した。


「あのっ、おねえちゃんって言っても本当の姉妹じゃなくって、お隣に住んでた幼馴染でっ」


「あ、そうなんだ。よかった……」


 面倒な大人である。


「仲がいいんだね」


「はいっ! おねえちゃんは、私が悲しい気持ちになるとすぐにやって来てくれて、いつも何か楽しいことをしてくれるんです。それで、気が付いたら笑ってて、どうして悲しかったのかなんて、すっかり忘れちゃうんです」


「へえ。たとえば、どんなことをしてくれるの?」


「えっと……私が傘を忘れた日にはカエルさんの格好で迎えに来てくれたり、なかなか眠れない日はパジャマで一緒に寝てくれたり、テスト勉強を頑張ってる時には、学ランを着て応援してくれたり……」


「それは……なかなかすごいお姉さんだね」


「はい! ……でも、二年前に私の家が引っ越すことになってしまって……。私、おねえちゃんと別れたくないって、大泣きしちゃったんです」


 当時の感情を思い出したのか、女の子は少しうつむいて、ぬいぐるみをギュッと抱きしめた。


「その時に、おねえちゃんがこの子を渡してくれたんです。おねえちゃんはいつでも傍にいるからね、って。それから、おねえちゃんはその約束をずっと守ってくれてて、今でも毎日、遠くから私に元気をくれるんです」


 そう言ってぬいぐるみに向けた視線は優しく、けれど、どこか芯の強さを感じさせた。


「そのうち、私もおねえちゃんみたいになりたい、毎日、世界中のみんなに楽しいを届けたいって、そう思うようになったんです。それで、この春からお姉ちゃんと同じ学校に通うことになって、今からその入学説明会に行くんです」


「へえ、そりゃすごい。……うーん、しかし、そんな話を聞くと、おじさんもその楽しいお姉さんに一度会ってみたかったなぁ」


 女の子は、また口元を抑えてフフッと笑った。アナウンスが、到着した駅の名を告げた。


”スターハーモニー学園前~ スターハーモニー学園前~”


「会えますよ、毎日」


 と、彼女は席から立ち上がり、ドアの上にある液晶モニターを指さしながら目的の駅で降りていった。


”おはようございます! 毎日ふうこちゃんのコーナーです! 今日は一体、どんなことにチャレンジしてくれるのでしょうか? それでは、現場のふうこちゃ~ん!”


 パッと明るい笑顔の、黒ぶち眼鏡と柔らかツインテールがチャーミングなアイドル、ふうこちゃん。彼女は、世界中のみんなを今日も楽しませるのだ。


-おしまい-

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